鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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ダメ上司が言いそうなセリフベスト3

4月。新しい会社、新しい部署、新しい役職の季節です。部下や新人に対して「このセリフ言ったらダメでしょ」というセリフを3つ紹介します。自分の仕事を振り返るきっかけにしてください。

 

(目次)

 


「臨機応変にやれよ」


「臨機応変」。どんな仕事においてもおそらく最も大事なスキルと思われるこの言葉。ですが、「臨機応変にやれよ」と指示するのはやめましょう。


なぜなら、「臨機応変」が理解できないのが新人だからです。最初に教えられた原則を、どの程度忠実に守るべきか、無視していいのはどんな場合か、分かるためには経験が必要です。


むしろ、部下が臨機応変にできていない場面に遭遇したら、その原因を考えるきっかけにすべきでしょう。業務知識が足りなかったのか、部下に自信が足りなかったのか。それとも、上司との信頼関係が不十分で、思い切った判断ができなかったのかもしれません。


「臨機応変にやってくれよ」と雑な説教をするぐらいなら、小さくても具体的な対応策を見つけて、1つでもツブしていきましょう。

 

「相談しろって言ってるじゃん」


事前に十分な相談がなく、ミスをしてしまった部下に対して、頭ごなしに「相談しろよ」と叱りつけるのは逆効果。


「自分で仕事の見通しを立てられ、物怖じしない性格の新人」ならしっかり上司と相談してくれるでしょうし、そんな新人ばかりなら上司は楽ですが、そんな人は5%ぐらいしかいません。上位5%の優秀な人材を基準に仕事を設計しても、全員が不幸になるだけです。


「〇〇の場合は相談なしでOK」「〇〇の時間に、@@さんが相談を受け付けられます」など、少しでも具体的なアナウンスするのも1つの方法です。


あるいは、うまくいった仕事を一緒に振り返って、「これはうまくいきましたね。途中で判断に迷った場面はありませんでしたか?」などと投げかければ、「うまくいった仕事を褒められた」とリラックスした新人が、「実は、〇〇がよく分からないんですが・・・」と相談しやすいかもしれません。

 

「察しろよ」

 

「忖度(そんたく)」という言葉が流行したおかげで、まるで「他人の気持ちを推し量ること」が悪いことのように捉える風潮もあります。


しかし、「忖度させておいたくせにトップが責任を取らない」ことが問題なのであって、「察する」ことは今でも重要な仕事の要素であることは変わりません。


ですが、「察しろよ」という指示は無意味です。察することができない、または「察する必要なんてない」と開き直っている人に対して、「察しろよ」と言っても通じるわけがありません。


むしろ「察することができる人」に、余計なプレッシャーを与えてしまうだけでしょう。

 


ダメ上司かも? と自分で思ったあなたへ

 

心配することはありません。落ち着いて周りを見渡せば、「イケてる上司」などほとんどいません。「ダメな上司かも?」と自分で反省した時点で、かなり「マシ」な方ではないでしょうか。

 

「臨機応変にやってくれよ」「失敗する前に相談してくれよ」「指示が不十分でも察してくれよ」としょっちゅう思ってしまう人も心配いりません。普通のことです。その上で、落ち着いて考えてみましょう。


「臨機応変」「相談」「察する」は、どこまでいっても仕事の重要な要素であることは変わらないと思います。だけど、それを「できて当たり前のこと」と求めてしまうのは、あまり現実的ではないかもしれません。


ローリスクで、ハイリターンな方法が1つあります。「失敗したときに叱る」を、「成功したときに褒める」に変えるのです。それだけで部下も上司もかなり楽になるはずです。


「今のは臨機応変な対応でしたね。ナイス判断です」と言えば、「臨機応変が大事だ」と伝えられます。「このタイミングで相談してくれたのは私としても助かります」「状況をうまく察しましたね。私が新人の頃はできなかったかも。お見事です」など。


すぐにうまくいくとは限りませんが、褒め言葉にはデメリットがほとんどありません。「勘違いしてつけ上がるんじゃないか」と心配ですか? そんな心配は必要ありません。勘違いしやすい人は、いずれにせよ勘違いするのです。叱りつけて、必要以上に自信を奪うより、「仕事できるかも」と勘違いした方が100倍マシです。どうぞ、試してみてください。

 

 

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LINEでの遅刻連絡は「あり」か「なし」か

この前、乗っていた通勤電車が途中で止まって(先行電車の人身事故か何か)、会社に遅刻しそうになった。それで、会社に電話をしなくちゃいけないんだけど、満員電車の中で携帯を使うのが抵抗があったので、どうしようかちょっと迷った。


結局、電車は動き出して、僕は遅刻もせず、電話もしなかったんだけど。その時、「会社の勤怠連絡、LINEでよくね?」とちょっと思って、会社に着いてから上司と雑談で話した。


それでその時は、「学生サークルの飲み会じゃないんだから」「会社休みます、会社やめますもスタンプで?」とか話して「LINEでの遅刻連絡」は「面白くない冗談」みたいなことになってその場で話は終わった。


僕も、上司も、LINEでの遅刻連絡は「ナシ」と感じたのは「心情的」な理由だと思う。「会社に遅刻したり休んだりが、そんなに簡単にできていいの?」「せめてちょっとは申し訳ないと思うべきだし、申し訳ないと伝えるべき」というような気持ち。自分で思ってたより、僕も古いタイプの人間かもしれない。「遅刻連絡には、遅刻という事実を伝えるだけでなく、(演技でもいいから)申し訳なさを伝えることも含まれるはずだ」と。


(参考:マイナビの2017年の記事では、「あり」が23%、「なし」が77%でした。どの程度の信頼性のある数字かはわかりませんが、なんとなく頷ける数字にも思います。今はもうちょっと「あり」派が多いかも?)会社員が遅刻・欠勤の連絡をLINEでするのはありだと思う? | マイナビニュース

 

あとから思い返してみて、「LINEでの遅刻連絡が心情的にナシ」というのが、「会社」という組織の案外本質的な部分なのかな、という気もしてきた。好むと好まざるにかかわらず、「必要悪」的にそういった儀式が存在していて、「会社があること」のメリットってそういう部分にあるのでは、と。


僕は会社(コールセンター)勤務以外に、映像翻訳のフリーランス在宅仕事もやっていて、それは受注も納品もメールだから、そこに「電話での遅刻連絡」が入る余地はない。だから、「ちょっとしたミス」に申し訳なさそうな演技をする必要はなくて、でもそれって、「申し訳なさ」を伝えるチャンスがない、ということだったりもする。納品が遅れた時に、「申し訳なさそうな態度」を示せば減点を免れるわけでもなく、「一生懸命やったかどうか」は納品する原稿以外にアピールの手段がない。


でも、会社では「僕はこの共同体の論理をナメてませんよ」とアピールすることで、最低限の「安心感」を提供してもらえるわけだから、「くだらなくても無意味でも謝ること」は必要経費としては結構リーズナブルなんじゃないかな、とか思った。(上司が説教や嫌味を言ってくるのであればそれは全力で避けたいところだけど)


と、ここまで考えて、それでも、やっぱり、LINEでの遅刻連絡は「アリ」にしてもいいんじゃないかな、というのが僕の意見。


個人的にはちょっと抵抗あるんだけど、要するに「慣れ」の問題かな、と思うので。遅刻した人が「仕事をナメてないかどうか」は、「申し訳なさそうに電話で連絡をしたかどうか」以外でも確かめられる気がするから。


イソイソと小走りに入ってきて、「すみません、おはようございますっ」と小声でハキハキと挨拶。始業準備をテキパキと進め、準備ができたら直属の上司の席まで出向いて一言詫びて、事情があるなら説明すればいい。


遅刻の原因がなんであれ、連絡はする方も受ける方も「余計な仕事」が増えるんだから、少しでも簡便な方がよくないかな、と。

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ちょっと話がずれるかもしれないけど、こんなことも考えた。




「顔見知りの人なら許せる」ということがある。「普段マジメなあの人が当日欠勤したんなら、仕方のない事情があったんだろう」と思える。ちょっと差別的な冗談を知り合いが言っても、「ちょっとTPOを読み間違えちゃったかな。もう一度言うようだったら注意しよう」とか思える。


でも、見ず知らずの人だと、許すのは難しい。ツイッターで迷惑行為の動画を偶然目にしたり、通勤中に駅員を怒鳴りつけてる乗客を見たりしたら、「火の鳥の生き血を飲ませて月の裏に置いてくるしかない」ぐらいのことはすぐ思う。


「ごく小数の身内と、圧倒的多数の見ず知らずの他人」に囲まれて暮らすストレス。昭和的な同調圧力のストレスはかなり軽減されてると思って、それは基本的にはいいことだと思うんだけど、それとは別の種類のストレスがあるんだな、と気が遠くなる思いがする。


まあこれも、「慣れの問題」なのかもしれなくて、圧倒的な「スルー力」を身につけていけばいいだけなのかもしれないんだけど。

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クレームよりも「不機嫌」に傷つく(コールセンターで働いている話)

 

 

コールセンターで働いていて。やっぱりお客の心ない一言に僕自身傷ついたりもする。一番傷つくのは、「バカだと思われること」な気がする。そりゃあそうだ。僕はもう20年同じ会社で電話対応を続けてきてるんだから、それなのに「こいつバカだな」と思われるのはさすがに傷つく。

 

どういう時に「バカだ」と思われるかと言うとそれは単純で、電話をかけてきたお客が「すぐ答えをもらえて当たり前」と想定していた質問に答えられなかった時。もっとひどい時には、質問の意味すらうまく分からなかったりすることもある。


つまりはこういうことだ。お客は手元の「説明書」や「パンフレット」を見ていて、そこにコールセンターの電話番号が載っているので、そこに電話をかける。当然用件が解決されると想定している。だって、そのパンフレットに書いてある電話番号は1つなんだから、そこで答えがでないんなら他にどうしようもない、と思う。


でも、現実にはすぐ用件が解決されるとは限らない。コールセンターの受付は、「その会社のすべての商品、問い合わせ、意見を共通で受け付ける窓口」であることが多いからだ。「用件を聞き、わかるものから折り返し連絡させます」という答えが返ってくる。


デパートで例えてみる。デパートには、地下の食料品売り場から、化粧品、女性、男性の洋服やカバンや時計やハンカチや、北海道物産展や、とにかくあらゆるものが置いてある。それぞれの売り場には、その商品を取り扱ってる店員がいる。


じゃあ、1階の受付の人が、デパートで取り扱っている商品のすべてに精通しているかと言えば、それは(中にはそういう神店員もいるのかもしれないけど)無理なんじゃないだろうか? 多分、用件を簡単に聞いたら、各売場を案内するのが平均的な対応なんじゃないかと予想する(僕はデパートの受付の人と話したことが多分1回もないから知らないけど)。実際お客も、1階の受付で聞きたいことがすぐに解決しないでも、特に腹を立てたりはしないんじゃないか。


だけど、コールセンターの場合は違う。お客は、「地下1階から地上9階まですべての売り場の共通の窓口」に問い合わせているとはあまり考えない。目の前に見ているパンフレット、ホームページ、にコールセンターの電話番号が載っていることだけが目に見える事実で、他の99種類のパンフレットにも同じ電話番号が載っているとは想像しにくいからだ。


だから、お客は素直に「こんな簡単な質問にも答えられないの?」と思ってしまう。そして、そのうち何人かはそれを実際に声に出してしまう。言葉に出さなくても、「え? あ、そう」みたいなリアクションで、そう思ったことが伝わる。

 

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僕がどう対処しているか、について書き出してみる。

 

①そういうお客のリアクションは「普通のこと」ということを認める。

 

それはそうだ。お客の立場で考えれば、コールセンターに電話をかけなくちゃいけないことになっている時点で、「面倒なこと」だろう。思い通りに事態が進んでいないから、電話をかけている。即座に解決すると無意識に考えても無理はない。「普通のこと」にいちいち傷ついていられない。

 

②お客が不満に思ってるのは「会社のサービス」であって、「オペレーター個人」に対してではない。


僕は個人的に、社内のオペレーターの中で一番最高の業務知識を持つように気をつけてる。実際にトップかどうかは分からないけど、「まあまあ頑張ってる」と自分で思える程度には、分からなかったことは調べて、自分で理解し直すようにする。どういうことかというと、そうした方が実際にお客に怒られた時に精神的に楽なのだ。「会社が要求する水準以上の知識があるのに、それで満足してもらえないのならそれは僕の責任じゃない」と思いやすい。


新人はそう思えないような気もするけど、「僕のせいじゃない」と思える程度は努力したほうが自分が楽じゃない? ぐらいは思うし、「資料や研修が不十分で電話対応させてるのは会社なんだから、自分を責めないで」ぐらいのことは伝える。


③会社の「ゆるキャラ」の着ぐるみを想像して、その「中の人」を演じるつもりで電話応対をする


ゆるキャラの「中の人」として、キャラを演じる。それは多分電話対応も同じで、もしもお客に怒られたとしても、「キャラが野次られてる」と客観視して、キャラクターの演技としてふさわしい対応をやろうとする。


さて、①~③を書きながら思ったのは、「それでもやっぱり、傷つくんだよな」ということ。傷ついているからこそ、こんなに面倒なことをいろいろと考えてるわけであって、もとから何とも思わなければ、「ゆるキャラ」まで持ち出して自分を納得させたりはしない。


僕個人としては、「クレーム対応」の時は「演技スイッチ」が入りやすいけど、「常識人ぽい人がふと見せる不機嫌」は胸に染みる。バカと言われるのもなかなかにつらいけど、それよりもバカと思われて気を使われるのは格別につらい。常識的な、ごく普通の人がうまく隠してくれても、「使えない奴だって今絶対思われた」ということは分かるのだ。なぜ分かるかというと、そう思ってくる人には「バカだけど、謙虚で一生懸命な奴」を演じるとうまくいくので、「使えない奴と思われてるかどうか」のセンサーはオフにできないから。


冒頭のツイートでは、「デーモン小暮閣下」を例に出させてもらった。「所詮は俗世間のことでしょ? 誰が困ってようが、僕がバカだと思われようが、悪魔の視点から特にどうだっていいよね?」と、思いたい。はたしてそんなことできるんだろうか?


僕としては、「それができるからコールセンターのオペレーターを20年やってきた」とも思えるし、「でも、案外簡単じゃないし、50歳の時もそう思えるかというとあまり自信がないな」というのが正直なところだ。

 

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(過去記事です。こちらもどうぞ↓)

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もし、「宗教上の理由で謝罪はできないです」と言う新人がいたら?

 

 

宗教上の理由、という言葉をものすごく軽率に使っていることは認める。しかも、あまりいい意味で使ってない気もする。「理由はうまく説明できないしするつもりもないけど、譲れないこと」というぐらいで、それ以上の意味を含ませるつもりはない。言い方が雑なことは承知で、話を進めさせてほしい。


例えば、「誰がなんと言おうと始業時間ギリギリまで会社に来ない人」と、「15分前に来て、10分前には仕事の準備ができているべきだという人」がいる。中には過激派も穏健派もいると思うけど、その教義は相容れない。


そのことを、軽率に「宗教上の理由で」とか言っていたら、ふと「宗教上の理由で、謝れない人」がコールセンターに入社してきたらどうなんだろう、って想像して気が遠くなった。勤務態度もいい。教えたことはすぐ覚える。先輩の教え方が下手でも文句を言わず素直に従う。でも、絶対に謝罪しない人がいたとしたら。


電話が混み合ってる日で、つながるまでに時間がかかって、お客はイライラしてる、とする。ただでさえ、「コールセンターに電話をかけなくちゃいけない状況」自体が腹が立つことだ。誰かに怒りたくなるのを必死に我慢しながら電話をかける。「もしもし。届いた商品が、ちょっと間違ってると思うんですけど・・・」


「さようでございましたか、大変失礼いたしました」みたいな言葉が想定される場面で、「謝れない人」は「はい。どのような間違いでしょうか?」と言う。お客は驚く。自分の言ってることが伝わっているのか不安に思い、「態度の悪いオペレーターだな」と思ってしまう。


火に油を注ぐような対応でクレームを連発させる新人に、上司が指導する場面を想像すると、すごくハラハラする。きっと、「謝らなくてはいけない理由」を上司もうまく明示できない気がする。そんなことは、あえて言う必要もないほど当然のこと、だと思ってきたからだ。まさかそんな常識が通用しない新人がいるとは。もし適切に指導したとしても、その「謝らない人」は、従わない。教義に反するぐらいなら、会社の指示に従わないほうを選ぶ。ああ、なんと恐ろしい・・・

 

つまりは、「感情労働」のまさに「感情」の部分について、どのように職務定義できるのか、という問題。僕はかなり難しくて、興味深い問題なような気がする。

 

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「謝れない人」は極端な例だとしても、誰かの「態度、話し方」について、他の誰かが指示、指導できるのか、は僕自身が日々経験している現実的な課題だったりする。


例えば。「お世話になっております」という挨拶を嫌いな人がいる。「はじめて話す相手に、お世話になっております、というのは矛盾している気がするし、かえって失礼な気がする」というような。


僕自身は、「電話対応上で使うセリフに、個人の好み、考えを出そうとすること自体がナンセンス」という考え方。その会社を「着ぐるみ」と例えるなら、オペレーターは着ぐるみに入ってキャラを演じる「中の人」だ。「中の人」が、「はじめて話す相手かどうか」は「どうでもいい」。その「キャラ」は、「世の中に対して、取引先の会社に対して、お世話になってる、ありがとうございます頑張ります」っていう「設定」なんだから、「お世話になっております」というセリフに違和感を覚えること自体がおかしい。


(なんか、僕自身の考え自体が宗教じみている気もする。なんで僕がムキになっているかというと、「お世話になっておりますって変だと思うんですよね」と言う新人に限って、「ちょっと他人より深く考えてる」みたいなアピールしてるだけなことが多いので、それには辟易してるということ。僕だって「お世話になっております」なんて好きじゃない)


他には。2言目の相槌のテンションが低いオペレーター。どういうことかというと、電話対応の最初の名乗りは研修などで練習して感じよく言えるんだけど、実際の用件を客が伝えてきた時の返事(電話の2言目)のテンションが低い場合のこと。この、「テンションの低さ」というのはかなり致命的で、「テンションが低い」=「めんどくさそうに仕事をしてる」と(無意識でも)取られる場合が多いので、電話対応の序盤戦としてはかなり不利な状況になるのだ。


「テンション高く返事できない」のは、多くの場合悪気はなくて、ただ単に「客の意向、用件を一度につかむのが難しくて、まだ何を言ってるのかうまく理解できていないうちに、元気よく返事なんてできない」というような気持ちだったりする(用件を最初の一言で伝えられる客なんて少ないので)。でも、だからこそだ。自分がまだ腑に落ちていないことを、「テンションの高い相槌」でとりあえず受け止めることができるようにならないと、電話応対は楽にならない。


(別に「テンションの低い落ち着いた対応」を否定はしない。電話冒頭で、「落ち着いた対応で、かつ話しやすそう」な雰囲気を作るのは超絶技巧だけど、それができるならそれでもいいと思う。僕だって「いかにもコールセンター」みたいな喋り方は好きじゃない)


僕が興味があるのは、「テンションや態度」を、他人に強要できるのか、という問題。「笑顔の接客」を、指導できるのか。その文化を持たない国で育った人を雇ったとして、「笑顔」や「お辞儀の角度」を「仕事の一部」として強要できるんだろうか。「気持ちのいい挨拶」を定義できるんだろうか。定義すべきなんだろうか。


僕は「謝罪できない人」が会社に登場するのを恐れながらも、内心ちょっとだけ期待している。「自分の常識を他人にも当然のこととして要求すること」が何よりも嫌いだから、「常識が揺らぐ場面」を見てみたい。もちろん、僕はその「謝罪できない人」を助けることはできないし、できれば一緒に働きたくはないんだけど。

 

 

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敏感さと鈍感さの同時運用(パワハラについて思うこと)

 

ディズニーランドでのパワハラのニュースを聞いて、「まさか、うわー、マジかよ」っていう驚きがありつつも、そのすぐ後には、「まあ、そりゃあ、きっと、そうだよね。パワハラ、あるよね」みたいな妙な納得感もあった。


「この世のどこかに、フレンドリー感だけが充満する楽しい世界が実在してくれ」っていう願望になんとなく加担してたけど、それは「豊かな想像力」なんかではなくて、むしろ想像力を麻痺させないと楽しめない世界なんだよな、というようなことも感じたりもした。


パワハラという言葉を聞くと、思い出すエピソードがある。ちょっと違うかも知れないんだけど、僕的には忘れられないエピソードなので。


職場(コールセンター)でのこと。コールセンターは、個人情報を取り扱いまくってるし、その正しい管理ができないと信用のど真ん中を失うことになるだろうから、「個人情報」には、ヒステリックなほどに慎重になっている。


特に恐ろしいのはFAX送信だ。超簡単に個人情報を関係のない人の所に届けることができてしまう。なので、FAX送信をする時には、「すでに登録が済んでいるワンタッチ送信の機能のみを使って」「必ず2人で宛先のディスプレイを指差し確認して」から送信している。


そんな非効率なことはないので、FAXは使われる機会はどんどん減ってきてはいる(システムで自動判定された宛先にデータ送信されることがほとんど)。


だけどたまに、システムのメンテナンスの時に「FAX送信業務」が発生する。僕がたまたまFAXの近くで業務をしていると、FAX当番が2人やってきた。それが、「イケてない男性(先輩)」と「イケてる女子(新人)」という組み合わせで、僕はハラハラした。「セクハラ的な場面に遭遇するのではないか、そうしたら僕がそれを止めるのか、告げ口するのか、スルーするのか、迷うのではないか…」という余計な心配である。


実際に起こったことは、今思い出してもムズがゆくなる。男の先輩が、仕事の内容を新人女子に教えて、2人で大量の書類をFAX送信をし始めた頃。男の先輩は完全な上機嫌になっている。そりゃあそうだ。「FAX送信とそのダブルチェック」という、不条理演劇のような簡単な業務を、イケてる新人女子と組んでやってるからだ。機嫌よくなるな、という方が無理がある。


「FAXの、このボタンを押して、書類の、宛て先と照らし合わせて、OK。送信」

「で、FAXが送られていくから、この時にね、息を止めてられるか、試すと楽しい」


ひょっとしたら、僕は厳しすぎるのかもしれない。でも、これは僕にとってはパワハラの範疇に全然入る。だって、新人の方は、先輩の指示を聞き逃せない状況にいるのだ。そこには明確な権力関係がある。その、「話を聞かなきゃいけない」っていう立場を利用して、先輩の方は、「ウケ狙いのクソつまらないネタ」を業務にぶっ込んできて、必要以上のコミュニケーションを新人女子に要求しているではないか。それが性的な内容を含んでいても、いなくても、「望んでいないコミュニケーションを求められる」という時点でセクハラじゃないか。


もちろん、これは僕のまったくの主観に過ぎない。「女子はきっと嫌がっているに違いない」というのは、その先輩男子の立場をやっかんでいる僕の願望に近い。

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僕はこのエピソードで、「先輩男子のつまらないネタ」が「ハラスメントだ」と、半分以上は冗談じゃなくそう思う。でも同時に、「そんなの、誰でもいつかはやっちゃうでしょ」ということも思う。よっぽどの人格者でなければ、新人女子に気に入られたくて、なにがしかの「余計なこと」をやってしまうのではないか。


その先輩男子を「ハラスメントじゃね?」と言いつつ、「でもそんなの普通じゃね?」と言ってるのはで我ながら話をややこしくしてると思う。でも、僕が一番興味があるのはそこの部分なんだから仕方がない。


「敏感さ」と「鈍感さ」の同時運用みたいなことが、(ハラスメントに限らず)職場では重要なんじゃないか。僕は、「バイト先輩」と「バイト新人」の間にも、「権力関係」がある以上、そこには不可避にパワハラが存在する、という敏感さが必要だと思う。どんなわずかな「パワー」でも、それは抗し難いほど甘美なものだと思うから。


だけど、今回の例で言えば、(その新人女子がマジで嫌だったのならともかく)そこまでムキになってこだわるのも違うかな、という気がする。その「先輩男子」には、特に新人女子をクビにしたり、評価したりする権限はないからだ。「自転車も軽車両なのだから道路交通法を守るべき」は正論として否定する必要はないけど、あまり敏感になりすぎて、逐一取り締まるのも現実的でない、というか。


「道路交通法」の例を続けてみる。不謹慎を承知で言うと、「パワハラ」にも「免許取り消し+懲役刑」級のパワハラと、「免停」「点数+罰金」「厳密に言えば違反かもしれないけど、まあ見逃すのが普通かな」みたいな、それぞれのレベルのパワハラがある気がする。


それぞれのレベルのハラスメントに、有効な対応は変わってくると思うんだけど、現実には一緒くたになって扱われたりしていないか。僕の杞憂かも知れないんだけど、「パワハラ? なんか、面倒くさ」と、自分には関係がないつもりで「自分のパワーへの無自覚」を温存させている層と、敏感になりすぎた挙句にただ疲弊している層と、双方がただ思考停止したまま対応策を作れずにいるように思えてならない。

 

ちょっとパワハラの話とは違うんだけど、「敏感と鈍感の同時運用」の話を広げてみたい。


僕の職場で、1年ぐらい前から「コントローラー」という役割ができた。できたというか、それまで「マネージャー」と呼んでいた現場統括者の役割名(主任とか、課長代理とかの「役職名」と別で、「マネージャー」は現場のバイトスタッフを統括する役割)を、なぜか「コントローラー」と呼び始めた。


先日、ふと直属の上司と「コントローラーって呼び方はヤバすぎる」と雑談で話した。「コントロール」は、管理職を形容する言葉のなかで、おそらく最悪のイメージじゃないか、と。おそらく、「部下をコントロールする」んじゃなくて、「仕事の流れをコントロールする」みたいな意味合いなんだろうけど、それでも少なくともイメージとしては最悪な気がする。


「マネージャーは、少なくとも責任取ってくれそうな雰囲気があるけど、コントローラーはチクチク嫌味を言うだけっぽい。せめてコーディネーターでしょ」とか、「いや、コーディネーターはキモいな。だいたい、役割の名前に何らかの仕事の哲学を持ち込んでくるとヤバい。もっとシンプルに、チーフとかでいいでしょ」とか話した。


結局、単なる呼び名のことだからどっちでもいいや、ってなったんだけど、3日後ぐらいに「されど呼び名」かもな、と思い直した。


どういうことかというと、理想の管理職のあり方、ダメな管理職のあり方を議論するのは話が広がりすぎるし、結論があいまいになりがちだけど、「呼び名」は議論可能だし、その議論を使って、「管理職のあるべき姿」に共通認識を作るようなことはできないか、と思ったのだ。


「たかが呼び名」なんだけど、「されど呼び名」と敏感に思って、立ち止まって議論をする。だけど、その議論にそんなにヒステリックになることはない。もともとが「たかが呼び名」の話なんだから。つまり、敏感でいるために鈍感さを発揮するというか。


同じことは、PC(ポリティカルコレクト)表現にも言えると思う。消防士をファイアマンと言わずに、ファイアファイターと言ったり、議長をチェアマンと言わずにチェアパーソンと言ったりするアレ。ここでは具体的な話まで立ち入らないけど、ここでも「敏感と鈍感」を両立させられないか。「たかが言葉」vs「されど言葉」と対立させるのではなく、「たかが言葉」かつ「されど言葉」と両方の感性を尊重して問題に接することはできないだろうか。


ちょっと長くなりすぎたので、ここでいったん話を終わらせる。また近いうちに、続きを書きたい。

 


※「パワハラ」について感じたことをもっと短くまとめた過去記事もあります。よろしければどうぞ↓

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最近気づいたこと(2018年11月②)

ツイッターで僕が無鉄砲につぶやいたことを、時々振り返って反省するコーナーです!

今回はこんな感じ・・・

 


「未来かよ」

 
漫才やコントで、電話をかけるシーンがあったとして、それをパントマイムで示す時の話。電話をかけるときに、スマホを使う指の動き(スワイプとか)を見ると、なんか「カッコよすぎ」な気がしてしまうのだ。


「マイノリティ・リポート」かよ! トム・クルーズ入ってたぞ今の動き! みたいな「無駄なツッコミ」が湧いてきてしまう、というか。コントで、「電話をかけていること」だけ設定として伝わればいいのに、「わざわざカッコつけてる」みたいなボケなのかな? と一瞬思ってしまうと、流れが悪くなる。(だからコントとかでは、「スマホらしい動き」はなるべく強調せずに、「電話をかけてる」ことだけが伝わるような動きを選ぶ気がする)


考えれば奇妙な話である。もはや「スマホ」の方が「当たり前」のはずなのに。そして、普段の生活で自分がスマホを操作してる時にはなんとも思わないのに。「舞台で、パントマイムでその動きを見ると、「未来かよ!」と思ってしまう、という。


このことはどちらかというと「動作の記号化」「動作の抽象化」に関わってくることなんだと思う。「なるべくリアルな動きに忠実なパントマイム」をやろうとしても、その動きがリアルになればなるほど、「手に持ってるはずのスマホがそこにないこと」が目立ってきてしまう、ということ。だから、ある種「手話」のように、動作の一部分だけを取り出して、「符号」として伝えてしまった方が、むしろしっくりくる。


この感じ、すごくグっとくる。「スマホをかける」という当たり前のこと自体に、まだ演者と観客の間で共通認識となるような「当たり前のゼスチャー」がまだ生まれていない、この奇妙なタイムラグに。

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「ゼスチャーが雑な人」

 

上に書いた、「スマホのゼツチャー化」の話と少し似ているんだけど。職場で、昼休みの前に突然思いついたネタ。「メシに行く」は左手でお椀(丼?)を持って、右手で箸の動きをやるべきだが、なぜか左手でもかっこむ動きを時々入れる。「右右左右左右右」みたいなリズムで豪快にメシを食うゼスチャー。

 

「ゼスチャーを使う」時点で、「口で説明しなくても、簡単な動きで伝わるはず」という、共通理解を前提にしたコミュニケーションのはずなのに、そこを雑に破壊してくる人、というキャラクターが自分で考えたネタなのにツボにハマった。

 

実は次の日も飽きずにやっていたんだけど、後輩の優秀なイケメンに「いや、鯖缶さんどんだけユーモラスなんですか」ってツッコまれて、「気を使わせた…」と反省して、もうやめた。

 

選べない

 
もう、この歳になったら根本的には治ることはないと思うんだけど、自分の「買い物嫌い」には呆れてしまう。それを他人に説明しようとして分かったんだけど、要するに「ええかっこしい」で、「バカだと思われたくない」。その思いが「欲しい」とか「楽しい」とかを上回ってしまう。


行列のできた店に、並べない。「並んで、待ってまで食べるほどの味なのかよ」みたいに思われるのが怖い。「食べてみたい」っていう気持ちをエンジンにして、「未経験のこと」に一歩踏み出してみればいいのに、それよりも「いや、それほど食べたくないし」と、自分を説得してしまう方がはるかに楽だ。


「人生の選択」みたいなことでもそうかもしれない。「とりあえず選んでおいて、ダメならやり直せばいい。何もやらないよりいい」と100回ぐらい自分を説得しないと動き出せない。その結果出遅れて、ますます挑戦する気概がそがれる。トライ&エラーの経験が乏しくて、それでますます自分の自意識過剰を可愛がってしまう。


ほら、「ニンテンドースイッチを買うのがめんどくさい」というだけで、ここまで内向できる。しょうがないので、これを楽しんでいくしかない。

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ちょっとした逆転現象

 

よく、ビジネス敬語で話題になるのが、「ご連絡いたします」と言った時に、自分の動作なのに「ご」とつけるのは、誤りなんじゃないか?という話。


これは、謙譲語のひとつ形なので誤りではない、というのが有力だと思うんだけど、それでも話題になるのは「間違いだと感じる人」がある程度以上いるから、話題に上るんだろう。


(下のサイトではシンプルにまとめられてます。文科省の指針では「正しい」とされているようです)

「ご連絡いたします」の意味と使い方・敬語・間違いなのか - ビジネスマナーを学ぶならTapBiz


僕にとって興味があるのは、「ご連絡いたします」が敬語として正しいかどうか、ではなくて、「しっかりした知識が不足してる人の雑な認識」の方が「大きな声で繰り返し言われる」という逆転現象の方だ。


「自分の方はへりくだるんだから、自分の側の物事に「お」や「ご」はつけてはならない」というのは雑な認識だろう。上の謙譲語の例もそうだし、「お花」「お茶」「お金」など「美化語」として、尊敬・謙譲に関わらず「お」をつける例もある。だけど、「教えるのが好きな人」というのは、「教えること自体」が好きなので、「教えている内容が正しいかどうか」にはあまり興味がなかったりする。


「ルールに従うのが好きな人」「ルールに従わせるのが好きな人」は、ルールに対して批判的になりにくい。ここでいう「批判」は、文句や不平を言って反抗的な態度を取ることではなくて、「よりよいルールはないかと考えること」「ルールが正しく運用されてるかをチェック、確認すること」という意味での批判。

 

どうなるか。ルールの把握が雑な人が、雑な理解のまま真面目にルールを守り、他人にもルールを守れと自信満々で迫ってくる。僕の実感では「地獄」に近い。控え目に言っても非生産的だと思う。この現象、きっとそこらじゅうで起こってるはず。想像すると気が遠くなる。


その他のツイート

「メモを取る」みたいなつもりでツイートしていることが多いので、自分的に覚えておいてもいいかも、ということを貼りつけておきます。



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「万人受けする接客なんてない」という話で思ったこと

少し前に、ツイッターでよく目にした投稿。


病院の事務の方が、笑顔で受付業務をすると「こっちは病気なのに笑うなんて不快」と言われ、笑顔をやめると「こっちは病気なんだから元気よく接して」と言われる。どうしたらいいんだ! っていうような話。


そのツイートをよく目にしたのは、「いいね」も「リツイート」も集めていて、要するに共感されていたからだし、僕の印象に残ったのも、その「苦労」に共感したからなんだけど。


僕も、職場(コールセンター)で、同種の困難をよく感じる。電話をかけてくる客によって、心地よく感じる速度(話すスピード)は違うし、「詳しい説明」を求める人と、それをわずらわしく思う人の両方がいる。名前や電話番号を復唱しただけで不機嫌になる人だっている。


オペレーターとしては、「やってらんねー」と言いたくもなるし、少なくとも、「すべてのお客様に、誠意を持って対応に努めよう」という気持ちを保つのは、台風の日に傘をさすのと同じぐらい難しい。


もちろん、この話を「接客って大変だよね」で終わらせてもいいんだけど、それも何か引っかかるものがある。「万人受けする態度なんてない」と言って開き直ってしまうのも、やや雑かな、と思うからだ。そんな風に一度思ってしまうと、仕事を続けるのが嫌になってしまう。


「万人に許容される万能の応対」は無理でも、「ある程度は受け入れやすいベターな応対」はある。電話対応で言えば、「低姿勢でハキハキ話す」オペレーターは、クレームをこじらせる確率はかなり低い。


電話対応の場合は特に「リアクションが薄い対応」をしていると、「冷たい」「事務的」「めんどくさそうに対応された」と思われるので、ややテンション高めがいい(ハキハキ話す)。だけど、「高圧的」「なれなれしい」「ビジネス感に欠ける」と思われないように、言葉遣いや、相づちの態度は落ち着いて柔らかいトーンで(低姿勢)。きっと、病院の受付業務でも、「誰にでも完璧ではないけど、多くの場合好ましく思われる態度」はあるだろう。


それに、一度に対応する相手は1人しかいない。「部屋の中にいる50人全員が満足する冷房の温度設定」は無理ゲーだけど、電話対応の場合、その時相手にしている客は1人だけ。もちろん完全に満足してもらうことは無理でも、「しつこく怒られない程度」の対応だったらなんとか調整できないか。「低姿勢でハキハキ話す」でとりあえず対応を始めて、あとは客のリアクションなどを見極めながら調整していく。

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と、ここまで書いて結局思うのは、「でも、そんなことができるオペレーターって、そんなにはいないんだよな」ってことなんだけど。


①基本的な対応のルールをしっかり覚える
②ハキハキと明るい態度で業務に臨む
③客に合わせた対応を自分で考える
④打たれ強く、多少叱られても開き直らずに「マシ」な対応をする


こんなことができる新人スタッフは、僕の実感ではせいぜい5%ぐらい。「星型のピノ」の出現率とあまり変わらない。


そう思うと、「病院の受付事務の人に苦言を言いたがる患者」はやっぱりちょっとヤバいかな、と思う。自分の意にかなった対応じゃなかったからといってそれを不満に思うのは、端的にいって無理がある。「自分好みの対応をしてくれる確率」なんて、せいぜい5%だ。「星型のピノが入ってない」と言って、コンビニや森永に文句を言ってるのと同じだろう。そのまま「自分の中だけの正論」を撒き散らして、疎まれながら年を取る。同情を禁じえない。


「怒られたから対応直したのに、また別の人に怒られた」っていう、ある意味当たり前の状況でヤル気をなくし、客を満足させることを簡単に諦めたクソ店員と、視野の狭い正義を上から目線で振りかざすクソ客の描く地獄絵図。そんな世の中。ちょっと頭がいい人が、「引きこもってアニメでも見ているうちに一生が過ぎればいいのに」と思ってたとしても、責められない。

 

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新人君への悪口を書くつもりが、歯切れが悪くなってしまう件

先日職場で感じたことをまとめようと思って、家に帰ってからいくつかツイートを連投した。

 

 

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本当は、思っていることは他にもあった気がするんだけど、僕の悪口はどうも歯切れが悪く、これ以上言いたいことがうまく出てこなかった。


たぶん、「仕事の覚えが悪い後輩がいるけど、頭ごなしに叱るわけにもいかず、バイトリーダー同士が陰口を言い合ってる」みたいなことが、我ながらイタくて、それ以上考えを巡らせるのが恥ずかしくなって途中で考えを止めてしまった。


でもやっぱり、いくつか考えをメモしておきたい。


例えば、「社会人として当たり前なこと」みたいなことを何でもいいから5つ箇条書きにしてみるとする。

「休まずに出勤する」
「言い訳をせずミスを認める」
「ハキハキ挨拶をする」
「わからないことはそのままにせず、自分から仕事を覚える」
「時間を守る」
とか。この5つじゃなくてもいいけど、とりあえずの例として。


会社というところは、「社会人としての常識」を前提として組み立てられているはず。それはそうだろう。従業員は会社に出てくるはずだし、約束した以上それを果たすのは、正社員だろうが非正規雇用だろうが関係なく社会人として当たり前のこと。


どんなに丁寧に研修や練習をしたとしても、現場で起こることすべてを事前には学べない。仕事のほとんどは、現場で体当たりで覚えるしかない。「教わってないのでできません」とか言い訳しても時間の無駄。うまく先輩に取り入って仕事を教わっていくのも仕事のうち。


そんなような、手垢にまみれた説教をいくらでも思いつく。でも、ここで僕は立ち止まってしまう。先に挙げた5つの「当たり前のこと」って、本当に当たり前なんだろうか? 僕はここで分からなくなってしまう。何回見直しても「当たり前のこと」に思える。でも、現実には、上の挙げた「5つの条件」をクリアしてる新人が、どれほどいるんだろう? 僕の実感では、半分はいないと思う。少なくとも、「当たり前」と言えるような数字には思えない。


僕自身は、「ハキハキと話す」ことは社会人としては当然の礼儀、だと思う。相手に聞き取りやすい声量、滑舌で話さないなら、どんな正確な敬語を使っていても、本質的には「相手をナメてる」のとあまり変わらない。


でも、ハキハキと話せない若者の方がひょっとしたら「当たり前」なんじゃないか。「ヤル気」だとか「共同体への帰属意識」を表に出すことに十分なメリットのある「社会」や「会社」が用意されてなかったら、「ハキハキ話す」なんてバカみたいじゃないか。それに、「会社」の立場に立って誰かを責めるなんて居心地が悪い。いつから僕は、「他人の態度」なんて気にするようになったんだ。


そんなようなことを考えて、僕の悪口は切れ味が鈍る。「ムカつかせるのが得意な後輩」といても、僕はムカつくのが苦手なんだ。

 

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「感情労働」っていう言葉がすごくて圧倒されてる

僕が勤めているコールセンターでは、アルバイトスタッフがどんどん辞めていく。新人スタッフだけではなく、入社5年~10年の正社員も、毎年一定数辞めてしまう。


社会人としての経験値に乏しい僕にはあまり正確に比べられないけど、勤務先はかなりホワイトなほうだと思う。1分単位で残業代はつくし、有給を申請してもすぐに認められる。上司は嫌味すら言わない。パワハラもセクハラも、絶対にゼロとまでは言わないけど、「悪質なものが繰り返し」ということはない。それでも、従業員はどんどん辞めていく。


僕は僕自身のストレスにしか対処できないから、他人のことを心配してもあまり本質的な意味はないんだけど、やっぱりなんか心配。つまり、「イヤな上司ばかりの職場」とか「サービス残業当たり前、有給なんて取れるわけないブラックな職場」とかじゃないのに、入社1年以内に3割以上のスタッフが離職するのって、何がどうなってるんだろう、と。

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先日、勤務先から派遣されて、「苦情対応」についての外部研修に行ってきた。そこで、「感情労働」という言葉が紹介されていて、印象に残った。


講師:コールセンターの電話対応などの勤務は、「感情労働」と呼ばれることがあります。

鯖缶:(うん、うん、聞いたことあるよ。正直よく知らないけど)


講師:「頭脳労働」「肉体労働」などに比べ、「感情労働」による感情の疲れは、取れにくい、寝ても簡単には回復しにくい場合があります。

鯖缶:(わー、それ、すげー! なんか、すげー!)


講師:それでは、苦情対応の基本について、さっそく確認していきましょう。

鯖缶:(え? 僕的には、その「寝ても回復しない感情の疲れ」がどうなるか、めっちゃ気になるんですけど??)


その後、 研修は実際のカリキュラムに入っていき、「寝ても回復しない感情の疲れ」をどうしたらいいかは行方不明のままだった。僕は、「考えてもどこにも行き着かなそうだな」と思って、圧倒されたまま今日に至っている。


「感情労働」という言葉が作られた(あるいは、以前からあった言葉が注目されたのかな?)のって、「その比較的新しい労働のあり方について、注目し、批評する必要がある」と社会学者とかが提唱したんだろうと予想する。


予想じゃなくてちゃんと調べればいいんだけど、調べて勉強する前に、まずは自分の実感を整理しておきたい、と思って、ちょっと思いつく順番にメモしてみる。


AIとかが今よりもっと実用化されたら、人間がやる仕事に、「感情」の部分が占める割合って増えていくんじゃないかな。高度な医療機器で診察され、それをAIが診断するとしても、人間から診断結果は話してほしい、というようなイメージ。だから、「感動労働」の望ましいあり方についての議論は、どの業種でも無関係ではいられないんじゃないかな。


客の立場として、店員や電話のオペレーターに、「ある種の感情的な上下関係」を当然とするサービス業のあり方って、ヤバいんじゃないか。少なくとも、自己裁量がある程度以上あるならまだ納得しやすいけど、「できる限り、マニュアルに沿った対応を」と求められ、管理されている末端の従業員は、ただ「我慢する」「自分の感情を殺す」「忘れる」ことを求められるのか、ツラいな。「人間的な、まごころのこもった対応を」というのは、誰か他人や組織から求められたり定義された時点で、かなり非人間的な状況が生まれやすい気がする。


僕自身の話をすると、後輩を指導する時に迷ってしまう。「横柄な態度で不機嫌に話してくる客」に対しては、「低姿勢で、かつハキハキと対応する」のが一番楽なんだけど、それができずに客の不機嫌をこじらせてしまう新人が多い。でも、新人を責めて「演技することも仕事のうちだよ」と言うのはどうか。安易に言いたくない自分がいる(「言いたくない」というのがトレーナーとしてアリなのかも自信がない)。過去に、「クレーム対応のコツ」をいくつかまとめたけど、「コツ」でどうにかなる部分以外に興味がある。


とりあえずの処方箋として思うのは、「休みをこまめに取ること(取らせること)」かな、とは思う。感情の疲れは、自分で気づきにくい。大リーグの投手が球数制限をあらかじめ決めるように、定期的に休憩を取ること。自分が上の立場だったら、休憩を取らせること。専門家でもなんでもないけど、わかることがある。「感情の回復」については、他人の助けがきっかけになることはあっても、結局「本人」がなんとかするしかない。だから、組織にできることがあるとしたら、回復しやすい時間の余裕を作ることぐらいなんじゃないか。


引き散らかった考えを羅列だけした。引き続き考えていきたい。

 

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思い込むことと、思い込まないことの両方が大事

職場(コールセンター)で電話対応をしている時に、「思い込むことと、思い込まないことの両方が大事」と、エッセイのタイトルを思いついて、電話対応が終わってからメモした。


20年コールセンターで電話対応をしている僕は、いろんなキャラを演じながら電話対応ができる。「ゆっくり丁寧系」「テキパキ系」の選択、相づちの大げささの調整、ややフランクな話し方を混ぜるか、しっかりした敬語を守るか。もちろん完璧ではないけど、かなりの幅で調整ができる。


これは「プロ意識」というよりは、「客の期待する話し方」を体現したほうが話が通じやすくて仕事が楽になるからだ。同時に、「用件の先読み」もする。コールセンターに電話をして、用件をシンプルに説明できる人なんてあまりいない。オペレーター側から、「〇〇というご要望ですね?」と確認したほうがいい。


でも、「思い込まないことが大事」とメモしたのは、ちょっと先読みを間違って、あやうくまったく客の望まない対応を提案しそうになったから。その時は、「間違いをすぐに認めて、リカバーできるか(謝罪して別の対応に切り替えるなど)」が重要になってくる。


それでツイートしながら考えたら、話は電話対応のこととはちょっと別の方向に転がった。

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「バイリンガルニュース」は、僕がよく聴いてるPodcastの英語番組(英語で話すマイケルと日本語で話すマミの雑談。おすすめです!<バイリンガルニュースのサイトはこちら>)。そこで出てきた、「benefit of doubt」という言葉(というかその考え方)が印象に残って、上記のような一連のツイートになった。


職場の話に戻すと、オペレーターに横柄な態度で話す客に対して、「イライラするような事情があったのかも」と思うこと。僕はこれが得意で、ずっと続けてきた。横柄な態度で話す客を認め、低姿勢に対応してきた。接客についてだけでない。友人関係なんかでも同じだ。誰かが遅刻してきても、なるべく怒らずに済むような物の見方をすばやく見つける。そして、そうできるのは、自分のいいところだと思っていた。


でも、最近は少し違う。「相手に有利な視点に一度立ってみる」ことは必要なことだと思うけど、その視点は「自分が感情的になるのを避けて、少し落ち着くための仮の視点」だ。対立を避けるために(あるいは、対立を避けた自分をそのまま納得させようとするあまりに)、「失礼な人を許そう」と自分の感情を捻じ曲げることはない。


「失礼な態度許さないけど、その思いに絶対にこだわる必要もない」ぐらいに思って、その状態を居心地悪く思わずに過ごせたら、一番いいかな、と思っている。電話対応の客には言えない(言う必要もない)けど、知人や同僚なら、落ち着いて接しているうちに態度を改めてくれるかもしれない。


「きっと事情があるから、失礼な態度でもしょうがないんだ」というのは、相手の態度が直らないと諦めることだ。無理に自分を言い聞かせてまで、勝手に諦めることもないな、と思い直している。

 

 

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