鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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もし、「宗教上の理由で謝罪はできないです」と言う新人がいたら?

 

 

宗教上の理由、という言葉をものすごく軽率に使っていることは認める。しかも、あまりいい意味で使ってない気もする。「理由はうまく説明できないしするつもりもないけど、譲れないこと」というぐらいで、それ以上の意味を含ませるつもりはない。言い方が雑なことは承知で、話を進めさせてほしい。


例えば、「誰がなんと言おうと始業時間ギリギリまで会社に来ない人」と、「15分前に来て、10分前には仕事の準備ができているべきだという人」がいる。中には過激派も穏健派もいると思うけど、その教義は相容れない。


そのことを、軽率に「宗教上の理由で」とか言っていたら、ふと「宗教上の理由で、謝れない人」がコールセンターに入社してきたらどうなんだろう、って想像して気が遠くなった。勤務態度もいい。教えたことはすぐ覚える。先輩の教え方が下手でも文句を言わず素直に従う。でも、絶対に謝罪しない人がいたとしたら。


電話が混み合ってる日で、つながるまでに時間がかかって、お客はイライラしてる、とする。ただでさえ、「コールセンターに電話をかけなくちゃいけない状況」自体が腹が立つことだ。誰かに怒りたくなるのを必死に我慢しながら電話をかける。「もしもし。届いた商品が、ちょっと間違ってると思うんですけど・・・」


「さようでございましたか、大変失礼いたしました」みたいな言葉が想定される場面で、「謝れない人」は「はい。どのような間違いでしょうか?」と言う。お客は驚く。自分の言ってることが伝わっているのか不安に思い、「態度の悪いオペレーターだな」と思ってしまう。


火に油を注ぐような対応でクレームを連発させる新人に、上司が指導する場面を想像すると、すごくハラハラする。きっと、「謝らなくてはいけない理由」を上司もうまく明示できない気がする。そんなことは、あえて言う必要もないほど当然のこと、だと思ってきたからだ。まさかそんな常識が通用しない新人がいるとは。もし適切に指導したとしても、その「謝らない人」は、従わない。教義に反するぐらいなら、会社の指示に従わないほうを選ぶ。ああ、なんと恐ろしい・・・

 

つまりは、「感情労働」のまさに「感情」の部分について、どのように職務定義できるのか、という問題。僕はかなり難しくて、興味深い問題なような気がする。

 

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「謝れない人」は極端な例だとしても、誰かの「態度、話し方」について、他の誰かが指示、指導できるのか、は僕自身が日々経験している現実的な課題だったりする。


例えば。「お世話になっております」という挨拶を嫌いな人がいる。「はじめて話す相手に、お世話になっております、というのは矛盾している気がするし、かえって失礼な気がする」というような。


僕自身は、「電話対応上で使うセリフに、個人の好み、考えを出そうとすること自体がナンセンス」という考え方。その会社を「着ぐるみ」と例えるなら、オペレーターは着ぐるみに入ってキャラを演じる「中の人」だ。「中の人」が、「はじめて話す相手かどうか」は「どうでもいい」。その「キャラ」は、「世の中に対して、取引先の会社に対して、お世話になってる、ありがとうございます頑張ります」っていう「設定」なんだから、「お世話になっております」というセリフに違和感を覚えること自体がおかしい。


(なんか、僕自身の考え自体が宗教じみている気もする。なんで僕がムキになっているかというと、「お世話になっておりますって変だと思うんですよね」と言う新人に限って、「ちょっと他人より深く考えてる」みたいなアピールしてるだけなことが多いので、それには辟易してるということ。僕だって「お世話になっております」なんて好きじゃない)


他には。2言目の相槌のテンションが低いオペレーター。どういうことかというと、電話対応の最初の名乗りは研修などで練習して感じよく言えるんだけど、実際の用件を客が伝えてきた時の返事(電話の2言目)のテンションが低い場合のこと。この、「テンションの低さ」というのはかなり致命的で、「テンションが低い」=「めんどくさそうに仕事をしてる」と(無意識でも)取られる場合が多いので、電話対応の序盤戦としてはかなり不利な状況になるのだ。


「テンション高く返事できない」のは、多くの場合悪気はなくて、ただ単に「客の意向、用件を一度につかむのが難しくて、まだ何を言ってるのかうまく理解できていないうちに、元気よく返事なんてできない」というような気持ちだったりする(用件を最初の一言で伝えられる客なんて少ないので)。でも、だからこそだ。自分がまだ腑に落ちていないことを、「テンションの高い相槌」でとりあえず受け止めることができるようにならないと、電話応対は楽にならない。


(別に「テンションの低い落ち着いた対応」を否定はしない。電話冒頭で、「落ち着いた対応で、かつ話しやすそう」な雰囲気を作るのは超絶技巧だけど、それができるならそれでもいいと思う。僕だって「いかにもコールセンター」みたいな喋り方は好きじゃない)


僕が興味があるのは、「テンションや態度」を、他人に強要できるのか、という問題。「笑顔の接客」を、指導できるのか。その文化を持たない国で育った人を雇ったとして、「笑顔」や「お辞儀の角度」を「仕事の一部」として強要できるんだろうか。「気持ちのいい挨拶」を定義できるんだろうか。定義すべきなんだろうか。


僕は「謝罪できない人」が会社に登場するのを恐れながらも、内心ちょっとだけ期待している。「自分の常識を他人にも当然のこととして要求すること」が何よりも嫌いだから、「常識が揺らぐ場面」を見てみたい。もちろん、僕はその「謝罪できない人」を助けることはできないし、できれば一緒に働きたくはないんだけど。

 

 

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