鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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パワハラがなくなればいいと願います。

「何を言ってもパワハラに取られる。基準が分からない。部下の指導がやりにくくい、窮屈な世の中になったものだ」なんて、いまだに思ってる人、まだたくさんいると思う。暴論であるのは承知だけど言う。そう思ってる人は、だいたいパワハラをしてるのだ。

 

上下関係があって、目下の人間をそのまま当然のように見下している人間がいたとしたら、機嫌のいい時は優しい態度で接していようと、見下していることは目下の人間に絶対に伝わる。

 

人が人を見下していたら、見下された側は絶対に何かが損なわれる。もう、それはパワハラなのだ。セクハラも多分同じ。誰かが誰かを見下して、「相手の人格、気持ち、判断や嗜好、生き方」を尊重していないなら、結局いつかセクハラ的な態度を取る。

 

ただ、「誰も見下さずに生きられる人」ばかりでもないだろう。大人になると、あまり細かいことは考えられなくなる。できる限り、頭や心を省エネ化して生きていこうとするのは人間の習性だからだ。

 

「どうせ新人は○○」
「どうせオッサンは○○」
「どうせ女は○○」

どれも、人間のリアルな習性だろう。

 

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だから、個人としては、パワハラ人間の標的にならないようにアンテナを貼って、事前に避けるよう気をつけるしかない。

 

「権力を行使し、それを何度でも確認したい」というのは、動物的な本能のようなものだから、それをそのまま垂れ流すのは、人前で自慰や排泄をするのと同じ。だから、動物だと思って「習性を観察」して、できるだけ回避する。それでもとばっちりを受けたら、「セミが鳴いてる」と思うのがいい。(こんなことを言っても、どこか虚しい。誰かに見下されて、「セミが鳴いてるだけ」だなんて思えるわけがないからだ。でも、それほど避けるのが難しいので、「これでOK」というよりは「そう思うしかない」と言ったところか)

 

会社の組織としては、「パワハラは起きるもの」と考えて、それが誰かを追い詰めたりしないようにするのが現実的なのでは? なるべく加害者と被害者の関係が固定しないように、配置(デスクの位置の話ではなく、チームの話。あ、デスクの位置も含めていいのか?)をできるだけこまめに変える。管理者も、部下も、できるだけたくさん休ませる。

 

さて、世の中的には、なんだけど。「組織に頼らずに生きていける人」「柔軟に組織を都度組み直して価値を生む人」の割合が増えれば、相対的に「組織」の価値は下がるはずなので、パワハラ自体の起きる確率の減るはずである。

 

だから、「副業で稼いでいる人」は、社会貢献をしてると思う。「稼いでるぜ」だとか言いふらしてる人はウソつきが下品かのどちらかだと思うけど、ウソつきでも下品でも、実はちょっとだけ応援している。

 

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