PTAが準備してくれた「ラジオ体操」(8月最後の月~金の5回)に、2回子ども2人を連れていった(1回は妻が行き、2回は娘が1人だけで行った)。
— 鯖缶メモ (@savacanmemo) 2018年9月1日
「パパ、全然いなかったよ。ママが20人ぐらいで、パパは2人だけ!」と妻に伝えたとき、「パパの参加の少なさ」になぜかムカついている僕がいた。
このことをツイートしたとき、もうちょっとちゃんと感じてることをまとめたいな、と思っていた。注目ポイントは、「なぜかムカついている僕」というところにある。
人に何かのことを話そうとして、話してるうちに、「あ、僕って怒ってたんだな」と気づくことってある。自分の中でモヤモヤしていたことが、どんな種類のモヤモヤなのかわからずに放置していたことが、吐き出すうちに自分でもわかってくる、というか。
僕が妻に、「ラジオ体操」というPTAのミニ行事に父親の参加が圧倒的に少なかったことを訴えたとき、自分でもちょっと引く程度には怒気を含んだ声になった。その場で、「妻を責めてるわけじゃない」ことを確認するために、なんで僕がムカついてるかをちょっと分析してみた結論は、こんな感じ。
「ラジオ体操に子どもを連れて行ったことがない世の中のお父さんは、それが結構大変なタスクなんだと知らないんじゃないか」と僕は感じていて、「会社に行かずに子どものラジオ体操に行ってる僕のことを、楽なことしてると見下してるんじゃないか」と、被害妄想的に感じていたから腹が立ったのだ、と。
「ラジオ体操に子どもを連れていく大変さはあまり認知されてない」と僕は思い込んでいて、でもこれにはある程度の真実が含まれているとはちょっと自信がある。
なにせ、僕自身がそんなに大変じゃないだろう、と前日まで思ってたから。でも、当日はちょっと大変だった。何が大変なのかというと、「子どもをその気にさせる」のが難しい。
ラジオ体操は7時に小学校に集合。だけど、夏休みでだらけた子どもは起きたがらないし、着替えたがらないし、朝から不機嫌。その子どもらの不機嫌に、引きずられないように、ハキハキと対応するのは、そんなに簡単なことじゃない。(だもちろん簡単にうまくいく日だってたくさんある)
その大変さは、僕自身毎回忘れる。子どもはやる気になれば集中力を発揮する生き物で、そういう状態に入れば親としてはうれしくて、それまでの面倒さは忘れてしまう。
でも、子どもは簡単に不機嫌になる。「風呂」とか「歯みがき」とかが面倒で「イヤイヤ」になるのはなんとなく予想してたけど、「ご飯を食べる」「公園に遊びに行く」とか、子どもが大好きっぽいことですら、時としてやりたがらないものだ。
さて、問題なのは僕の「見下されている」という被害妄想の方だ。このモヤモヤはちょっと考えるのが厄介だ。
「僕をバカにしてる誰か」に「そんなの不公平じゃないか」と訴えたいんだけど、現実には「僕をバカにしてる誰か」なんていなくて、僕が勝手に作り上げた虚像に何を言っても、ますます腹立ちが収まらないだけだ。
実際、「ラジオ体操に子どもを連れてくのは案外大変」なのはまあいいとして、「そのことを僕自身も気づいていなかったんだから、その場にいなかったパパたちは知らないに違いない」というのは、やや飛躍がある。想像や経験で、ちゃんと理解してる人だっているだろう。さらに、「大変さを理解してない」からと言って、「簡単だと思ってバカにしている」とは限らない。よく知らないからこそ、敬意を持ってる人だってきっといる。
どうも、自分が勝手に傷つきたくてそう思い込んでいるようにしか思えない。
娘の小学校の保護者会に参加して、「1学期は約70人中、父親は3人」「2学期は約50人中、父親は1人」だった。少なくとも僕の見える範囲では、イクメンなんてそれほどいないな、と寂しく思っている。
今のところそれらしいオチはないし、世の中のことはわからないけど、少なくともこの「被害妄想」は自分にとっては興味深い。これからも注目していくつもり。
(スポンサーリンク)
?