鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】47歳からのHIPHOP入門㊳(保護者会に出たら涙が止まらなかった件)

2024年3月某日 保護者会に出たら涙が止まらなかった件

今日は、娘の学年の保護者会。それと、保護者会の前に、「総合の会」という謎の時間があって、それにも参加してきた。

 

これは、「6年生の子どもたち自身が企画したお楽しみ会で、保護者に感謝を伝える」みたいなやつ。僕は会社を30分早退させてもらって参加したんだけど、実は当日まで早退するかどうか迷っていて。

 

なんというか、定時まで働いても、10分遅れぐらいで「会」には着けるスケジュールで。30分早退したら確実に間に合うんだけど、早退したら欠勤のカウントとしては0.5回に欠勤になるんよね。30分の早退のために0.5回分の欠勤はコスパが良すぎ(悪すぎ?)な気がして。それに、今回のイベントは、前から告知されていたものと言うより、2週間ぐらい前になってプリントを持ち帰ってきて、「来られたら来てね」という雰囲気なのかな、と思えた。ならば、「親には親の都合があって、時間に間に合わないことだってあるよ」と娘に伝えるのも1つの教育なのかな、とも思って。

 

結局、会社を30分早退して、「会」に間に合うように行ったんだけど(よくよく考えてみれば、会社の欠勤ポイントがいくら集まろうが、知ったことではないんである)。

 

これが、行ってみたら、保護者の出席率がかなりいいんである。僕の予想では、「半分強ぐらいかな」と思ってたんだけど、たぶん8割ぐらいの親が来ていて。危なかったよ。なんなら、僕のテンション的には「行くのが面倒だったからサボっちゃった」になってもおかしくなかった。

 

さて、この「総合の会」で何が行われたか。子どもたちが作ったパワポスライドでの6年間振り返り、歌、親も入ったドッジボール、親への感謝のカード。ここまでは、特に泣きそうな感じにはならなかったんだけど。「総合の会」が終わって子どもたちは下校。親たちは体育館から教室に移動して始まった保護者会で、キラーコンテンツがあった。「卒業記念ムービー」である。

 

子どもたちが作ったというムービーは、何の変哲もないスライドショーで。1年生の時からの写真をJPOPに乗せてつなげただけのものなんだけど。これが涙腺をダイレクトに刺激してくる。「うちの子ども、もう小学校卒業なのか、マジかよ早くね? え? ひょっとして、子育て折り返し地点? いや、折り返し地点過ぎてるのか…」というような感無量、この1月ぐらいから薄々感じてきたんだけど、その感無量が押し寄せるタイミングがここだった、のか。まさか保護者会で感動が訪れるとは予想していなかったので、油断してたよ。

 

この、「油断」こそがキーワードであって。要するに、子育てというのは絶え間ない「緊張」の連続なんである。「私が油断したら、この子を死なせてしまうかもしれない」という緊張を本能的に感じて、それをなんとかいなしながら日々を過ごしてきて。いつも何かしら小さな心配と一緒に日々を過ごして。その緊張から自分を解放して、油断できるタイミングは案外ない、というか。子どもが近くにいない保護者会で、冗長なムービーを見てたら、感無量に浸るぐらいしかやることないんである。

 

それで、それだけならまだ大丈夫なんだけど。「もらい泣き」は我慢できないんよ。斜め前に座ってたお母さんが涙を拭ってることに気づいた時に、「うわあ、このお母さんも、感無量なのかも、というか、このムービーに映ってる子どもたち、こんなに育ってくれてありがとうという話なのか? そりゃそうか、そうなのか…」と、感無量の波が押し寄せてくるのを想像したら、そりゃあ涙は止まらん。

 

僕が思い出していたのは、5年生の時のこと。娘は移動教室の少し前に風邪をひいて、(コロナの感染予防のガイドラインもあるので)直前まで参加できるか微妙だったんだ。いやあ、あの時は緊張したなあ。小児科の先生には、もう登校していいと言われてたんだけど、娘は学校に出たがらない。「もうちょっと完全に治ったら行く」という気持ちなのか、咳症状が少しだけ残ってて、「来ないでくれよ」と言われたり、思われたりするのが怖かったのか。それで、「もう大丈夫だから行きなさい」と言うのがいいのか、それとも、「そうだね、心配だから休もうか」というのが正解なのか。親の焦る気持ちが子どもを追い詰めないように、機嫌を保てるか不安だったんよ。

 

結局、「給食が終わって5~6時間目だけ行ってみる」みたいなことにしたんだよな。それで、担任の先生やクラスメイトから「来られたんだ、よかった」みたいなリアクションをもらって、娘も安心して移動教室に参加できたんだった。

 

…みたいなことを思い出したんだよね。それで、のど元過ぎれば熱さ忘れるというか、もうそんな緊張や不安は忘れてるわけよ。「無事に移動教室に参加した、めでたしめでたし」という結末だけがなんとなく残ってるわけであって、そこに至るストーリーはあまり覚えてない。子どもは、次のエピソードに入ってるわけであって、親は次の心配をしてるから。

 

だけど、ふとその緊張から解放される瞬間があると、結末前のストーリー部分の断片が、押し寄せるじゃないですか。そんなタイミングで、隣のママさんが泣いてるのに気づいたら、「きっとどの親子も、いろんな緊張と不安をやり過ごしてきたんだろうなあ」というようなことを思ってしまうじゃないですか。自分の子どものことを思うと、ただハラハラしたり、あるいは「もっとなんとかならないかな」とか欲が出てしまったりだけど、ムービーに映るよそのお子さんは、ただそこにいてくれるだけでまぶしい。無事にいてくれるだけで、息を呑むほどにありがたい、と思えてしまう気持ちもあって。その気持ちで自分の子どものことを思うと、涙が4割増しに加速してしまう。

 

で、ムービー終わってからが本番なんである。卒業式の連絡事項などを終わらせた後、「ひとこと挨拶タイム」があって、ここで泣く人続出なんである。「6年間お世話になりました」的なことを言いながら、みんな泣いてしまう。グループアイドルの卒業ライブかと言うぐらい、特に内容のないことを言いながら、涙腺が決壊して。僕は、自分が話す時は大丈夫だったけど、話を聞きながら、たくさんもらい泣きしちゃったよ。

 

いやはや。卒業式を前に、まったく予想してないタイミングで感無量の波が押し寄せたな。なんか疲れちゃって、夕飯は冷凍うどん。おかしいな。「子育て最高、子どもたちありがとう」という気持ちになったはずなのに手抜き夕食(冷凍うどん、助かりましたありがとう)。まあ、ポンコツ主夫の実力なんてそんなものである。


3月某日 マンガを薦めてくれる友人がいるのを自慢したい

久しぶりに友人のIくんからLINEが来て。松本大洋の「東京ヒゴロ」が良かった、という。未読だったのが悔しくて(彼には、「コロナ禍にめっちゃマンガ読んだ」と自慢してたので)、即購入。Book Liveのクーポンガチャ、半年ぶりに引いたりして。

 

それで、さっそくチビチビと読んだ。編集者とマンガ家の群像劇か。中年~初老の登場人物たちが、みんな愛おしい。これは最高じゃないか。ビレッジバンガードじみたサブカル臭が抜けて、いい感じに枯れた読み味。でも、枯れ方がよくて、松本大洋の味は濃いままで。

 

僕も年を取って、喜怒哀楽の振れ幅は若い頃より落ち着いてきた。でも、欲や恐怖のコアはズッシリと濃くなってる気がして。人恋しさも無力感も嫉妬も、あこがれだとか、涙もろさだとか、そういった自分の感性が、「枯れたけど、味は濃くなった」ような。それを、肯定してもらったような気がした。そうだよ、下を向くな。こじらせてこその人生じゃないか。

 

マンガを薦めてくれる友人がいて、自慢したいような気分。「この良さ、君なら分かると思って」ってことでしょ。僕も誰かに伝えようかな。ああそうか。プレゼントの候補にしてもいいな。

 

(Amazonのリンク貼っておきます↓)

 

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