鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】47歳からのHIPHOP入門⑧(ダラダラとウジウジと恩返し)

2023年12月某日 うまかったけどうまくなかった

昨日。思い立って夕飯を「すき焼き」にしたんよ。「お麩」と「卵」が余ってて、消費したかったのがきっかけで考えていったら、そういえば「すき焼き」をうちではやったことがないかも、と思って。これは、子どもたちにすき焼きを体験させなければいけない、みたいな使命感に近いものが湧きあがったもので。

で、市販の割り下で、作って。盛り上がりながら食べたんだけど。「これおいしいね」とか、ハイテンションで言い合ったりして。


それで翌朝。なんというか、後悔の念がちょっと浮かんできて。「あれ? 昨日のすき焼き、言うほどおいしくなかったんじゃね?」みたいな気がしてきて。「お麩」、ちょっとなら美味しいかもしれないけど、そんなにたくさん要らないよ、とか。なんとなく薄めるのは邪道な気がしてそうしなかったけど、味が濃すぎだったんじゃね、みたいなことを思って。確かに最初のうちはウマかったし、卵につけるのも面白かったけど、総合して考えると、「それほどじゃなかった」気がする。


ああ、それなのに僕は、道化のように「おいしいね」と繰り返し、子どもにも「うん、おいしいよね」みたいに言わせることを暗に要求するような態度を取っていたんだ。ああ、そんなのHIPHOPじゃないよね。「味が濃すぎるからお湯足そうぜ」って工夫したり、「お麩、もう要らないんですけどwww」って、うまくいかない現実を認めた上で、それを楽しむのがHIPHOPなんじゃないの? みたいな。

割り下は半分残ったので、近いうちにもう1回すき焼きをやろうと思う。リベンジである。その時は、シンプルに肉を多めにしよう。


12月某日 ダラダラとウジウジと恩返し

子どもたちは終業式。学校は午前中だけで、午後はリラックスしてのんびりと過ごしたい雰囲気。で、僕にはちょっと迷ってることがあって。息子の、幼稚園の時の同窓会(的な集まり)があって。それに息子を連れて行くべきかどうか、っていう話。今朝、妻が会社に出る前に、幹事のママさんからのLINEを転送してくれて、「飛び入り参加もOKらしいので、息子が行きたがるなら連れて行ってあげて」と。

 

通っていた幼稚園では、「卒園後、幼稚園で集まって園庭で遊ぶ」というある種の伝統行事的なことがあって、それは普通1年生の夏休みのタイミングで開催されるんだけど。それが、コロナの影響で開催されず。4年生になった今のタイミングになった、と。

 

で、もう4年生になったら、息子は幼稚園の同窓会はむしろ行きたがらない。同じ小学校に進んだ子どもは少ないし、同窓会にも行かないみたい。息子が行きたがらないのに、無理に連れて行くこともないか、というだけの話なんだけど、それでも僕はウジウジと迷っていて。

 

息子としては「別に行きたくない」という同窓会だけど、「絶対に行きたくない」というわけではもちろんなくて。そんな時、「面白くないかもしれないけど、行くだけ行ってみたら?」と背中を押すのも、親の役目なんじゃないか、と。「やりたいわけでも、やりたくないわけでもない100の事柄から、何をやるのかを選ぶのが人生じゃないか。息子よ、楽天的にやっていけよ」みたいな前向きさが、父親が発するべきオーラなんじゃないか、みたいなことを思い始めてしまって。

 

まあ、「息子の背中を押す父親像」が正しいかどうかはともかくとして、少なくとも僕がウジウジ迷うことでもないような気がするんだけど。何をウジウジしてたかというと、もし息子が同窓会に行きたいとなった場合、僕が息子を連れて行くというタスクが発生するので、正直言ってそれが面倒だった、っていう話なんだけど。あんまり顔も名前も覚えていない、他の保護者に挨拶したりするのも気が重い、みたいな。ものぐさと引っ込み思案のコンボが発生していて、それが息子に伝わっていたら申し訳ない、とウジウジして。

 

僕としては「同窓会なんて行きたくないよ」という息子の意志を尊重した結果、そのまま家でダラダラするのが楽なんだ。でも、僕がめんどくさそうにしているのを忖度して、息子が「行きたくない」という方向に気持ちを寄せるのであれば、それって親としてはアカンのではないか、と。我ながらめんどくせえな。息子が自分で「思ってる」ならしょうがないけど、僕がそう「思わせてる」なんて嫌だ、と。そりゃあそうだけど、そんなこと言い出したらキリがなくないか。でも…


で、結局どうしたかと言うと、「会の最後に顔だけ出してすぐ帰る」という、ムーブにしたんだけど。子どもたちは2人でピアノのレッスンに行くので、その前に幼稚園に寄って、あいさつだけする。「パパも一緒に行くから、先生に挨拶だけしようよ。元気だよ、と顔を見せるだけで、恩返しと同じ意味になるよ」と大げさな言葉で息子を説得して。(何しろ、僕もあんまり行きたくないので、息子を説得しながら、僕自身のことも説得しているんである)


息子は、覚えてる友達もおらず、園庭の遊具で遊んでる子どもたちの輪には入れなかったんだけど、まあそれはしかたない。本当に文字通り、顔だけ見せて逃げるように帰ったんだけど、行ってよかったな。娘にも一緒についてきてもらって、幼稚園の中に入って。「なにこれ、めっちゃなついんだけど」とか言ってて、何か思うところはあっただろう。


先生にも、あいさつできてよかった。子どもたちのことを覚えていて、顔を出したのを喜んでくれたのが、ものすごくありがたい。子どもたちよ、君たちが無事にいてくれることが、今まで関わった人たちへの恩返しなんよ。今日、ちょっと分かったよね。行ってよかった。

 

幼稚園の先生って、幼児の親にとっては神に等しい存在だったじゃないですか。卒園してほぼ4年、幼稚園も、先生も、まだちゃんと存在してた、というような「当たり前」と「驚き」を味わったよ。

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