鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑳(ジャンプに追いつけてない件)

2023年4月某日 ジャンプに追いつけてない件

この半年間。週刊少年ジャンプを、毎週購入してるんですけど。これが、読むのが追いつかなくなりつつあって。いや、なりつつある、じゃないな。追いついてないよ。月曜に最新号を買ってきて、子どもたちがそれを交代で読んでるのを見てうらやましくなって、1号前のを読む感じ。


長らく単行本派だった僕にとって、週刊誌を読むのはリズムがちょっとつかめないところがあるからかな。あまり熱心な読者とは言えない。


(ところで、僕はマンガを「タバコを吸うように」仕事や生活の合間に読んでるけど、そんなレベルを超越して、「呼吸をするように」マンガを読んでる人っているよな。イメージとしては、コンビニに置いてあるぐらいのメジャーなマンガ雑誌は全部読んでる、みたいな)


僕が自分でジャンプの熱心な読者になれてないと思うのは、「ONE PIECE」「呪術廻戦」「僕のヒーローアカデミア」っていう看板作品に、それぞれのノリについていけてないから、だと思う。ちょっと、要素詰め込みすぎて、ストーリーがどこに向かってるのか、それぞれのキャラが何を望んで何を恐れているのか、見えにくくなってませんかね。そんなの、前からそうだったのかもしれないし、ファンには理解できてるのかもしれないんだけど。


ちょっと的外れかもしれないんだけど。「ファンたちに、その作品にハマって損をしたと思わせないように」みたいな力学が働いて、「読み応え」をエスカレートさせすぎなんじゃないか(少なくとも僕は、追いついてなくて。それぞれ、単行本は途中まで読んでるので、いつか追いつくつもりは一応ある)。


ところで、今のジャンプには、「部活もの」が載ってないんである。恋愛ものの「アオのハコ」は部活やってるけど、「スポ根マンガ」ではなくて(というか、ジャンプはそもそも部活マンガ少ないのかな。あんまりよく理解してない)。あれ、新しく始まった「テンマクキネマ」は「映画部」なのかな。まあでも、インターハイとかは目指してなさそう。


なんだけど、「学校」は出てくるんだよな。スパイの学校とか、ヒーローの学校とか、殺し屋の学校とか。だから、ある意味空想の設定の中で、学校生活は描かれてる、というか。


現実の部活をマンガにしてもあんまり人気は出ない(部活なんてもはや感情移入の土台にならない)んだけど、先行作品を継承して組み合わせてバリエーションさせたようなマンガで、話の展開をイメージしやすくするためには「学校」の存在はまだ使える、みたいなことなのかも、と想像した。


「ジャンプにどんな作品が載ってるか」を定点観測のように比較して、時代の移り変わりを考えたら面白いかもしれない(というか、そんな考察たくさんあるんだろうけど)。


5月某日 再びのスプラブーム

スプラトゥーンが再び僕の中でブームになっていて嬉し恥ずかしい。「2」をほぼ2年間やり続けて、去年の9月に「3」が出たのをきっかけに、「もう新しいステージを研究するのめんどくさい」ってなって、バトルは半分引退して、サーモンラン(協力プレイでミッションクリアを目指す)だけやっていたんだけど。


ここ最近、子どもたちがスプラの腕を上げてきて、ちょっとうらやましくなって。僕もバトルもやりたくなってきてしまった。面倒だったステージ研究をやったわけでもないんだけど、それでもバトルはやりたい。研究もせず、練習もせず、それで上達するわけでもないのに、湯水のように時間を使ってしまう、このゲーム中毒。ああ恐ろしい。「気に病むな。どうせ時間なんてものは、ほとんどムダに過ぎてしまうんだ」と、前向きなのか後ろ向きなのか分からないことを自分に言い聞かせたりして。


あと、将棋ウォーズの「3分切れ負け」も、最近ちょっと再開していて。1日3局までは無料でできるんである(「1日3局」という縛りがあるのは逆にありがたい)。一時期ほとんど指してなかった時もあったんだけど。


「3分切れ負け」、ちょっと好調なんである。不思議なことに、序盤で不利になった方が勝てることが多い。なぜか。自分が有利になると、欲が出るんである。「ちゃんといい手を読めれば、相手を寄せ切れるはず」と思ってしまうと、つい時間を使って考えてしまう。そうすると、時間切れで負ける。(20秒も使えば長考なので。僕の実力では20秒読んだところで何も読み切れない)


だけど、局面が不利になると、むしろ「相手より時間を多く残す」ことだけに集中できる、というか。どうせ相手も似たような実力なのだ。「ハッキリした負け」の局面にさえしなければ、相手はこちらをなかなか寄せ切れない、みたいな展開。


これも、戦法の研究をするわけでもなく、詰将棋で読みの練習をするわけでもなく、「ただ何となく指してるだけ」なんであって、スプラと同じなんだけど。それが楽しいんだから仕方ない。

 

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑲(気持ちでは虫歯は防げない)

2023年4月某日 歯医者を受診せねばなるまい

2カ月ぐらい前から、歯が痛い。冷たいもの飲んだ時とか息をシーハーと吸った時とか、しみる感じがして。我慢できないほどの痛みでもないし、緩やかに痛みが治まってる時期もあるので、「まあ、気のせいかな」とか思ってたんだけど、やっぱり徐々に痛みが増してる気がする。


しかたない。歯医者を受診せねばなるまい、とようやく心に決めて、決めただけで行動に移さずに2週間ぐらい過ぎたんだけど。


実は、通う歯医者を変えようかと思ってたんだった。この数年は家から一番近いところに時々見てもらっていて、大きな不満はなかったんだけど(受付のスタッフの方がめちゃくちゃ不愛想なんだけど、それも慣れれば別に気にならない)、この最近の2回、健診の時の治療が痛くて(歯垢をクリーニングする時に空気を吹きかけたり、とか)。


僕が年取ったからなのか。それとも、クリーニングがヘタになったからなのか。ちょっとよく分からないんだけど、試しに別の歯科に行こうかな、と。今まで、不満はなかったけど、特に贔屓のつもりもなかった近所の歯科に(心の中で)別れを告げた。さらば。


それでいよいよ。子どもたちの春休みも終わり、会社が休みの月曜と火曜に動ける時間ができたので、歯医者に行かない言い訳もなくなって。ついに、予約しました。子ども2人と妻がお世話になってる歯科医院に。


その歯科医院には、子どもたち2人がめちゃくちゃ気に入ってもらえてて、行く度に先生はすごく褒めてくれる。その先生に、僕の汚い口の中を見られたくない、という気持ちがあった。だって、せっかく褒められてるのに、もったいないじゃないか、と。それで、子どもたちの歯科医院は、真っ先に候補から外していたんだけど。


ネットで、近くの歯科を検索してみたんだけど、歯医者って、めちゃくちゃたくさんあるのな。3年ぐらい前に、いつもの医院が休みのタイミングで歯が痛くなって、検索した時も驚いたんだけど。今日も同じく驚いた。こんなの選べないよ。見なきゃいいのに、口コミとか見ちゃって。もうムリでしょ。


絶対どの歯科医院にも最低評価がいくつかついていて、その多くは嫌がらせ的な投稿なんだろうと思うけど、こっちとしては内心「歯医者行きたくないな」と思いながら情報を見てるわけであって、そんな情報を見ると「そうだよね、ここはやめよう」みたいに思っちゃう。


それで、パニクって。子どもたちが通ってる歯科医院に決めました。もう、仕方ない。ネットを見ないで電話番号が分かる唯一の歯科医院なんだ。


電話して、断続的な痛みがあることを伝えると、「明日来てください」と予約を入れてくれた。予約が済んでしばらくしたら、歯の痛みが強くなってることに気づいた!! なんということか。今までは、歯医者に行きたくなさ過ぎて、無意識に痛みを認識することを避けてたんだろう。いざ、予約をしたら、「もうこれ気のせいじゃなくて、やっぱり痛いよね」みたいになったのか。なんなんだ。


4月某日 気持ちでは虫歯は防げない

歯医者、行ってきました。虫歯、ありました(涙)。口を開いて見てもらった瞬間には「いや、結構きれいですよ」みたいなリアクションだったんだけど、レントゲンを撮って、判明。左奥の2本がくっつき合って生えてて、その間が磨きにくい、と。それで、そこが磨き切れずに、歯垢が残り、それに菌が群がったのだ、的な説明を受けて…


いやあ、悔しいぜ。この数年、歯みがきは結構サボらずに時間をかけてきたんである。数年前に親知らずの最後の1本を抜いた時に、しばらく腫れて、ご飯が食べにくくなった時に、「ご飯が楽しみじゃない毎日って、なんと寂しいことか」と身にしみて思ったんだよね。やっぱりそういう「毎日の小さな幸せ」的なことは、「なくなってからじゃないと気づけない」とか思って、「歯を大事にしよう」「歯を大事にする気持ちを毎日思い出そう。そういう態度で日々を暮らしていこう」みたいに思って、毎日毎日、10分ぐらいかけて歯を磨いてきたんだ。YouTube見ながら。スプラトゥーンや、ラップバトルの。


でも、歯を大事にできてなかったんである。気持ちが足りなかったのではなくて、要するに技術の問題。気持ちでは虫歯は防げない。「何となくではなく、しっかり意識して1本ずつ磨く」、「歯間ブラシを使って、前からだけでなく後ろからも歯間にブラシを入れていく」とか、そういうこと。


(でも、虫歯じゃなくて歯が痛かったのだとしたらそれはそれで怖いので、まあ、「治せる類の痛みと判明してよかった」と思うことにします)


しばらくは治療で通院しなくてはいけないようだ。冷たい水が歯にしみるし、情けなさが身にしみるぜ。


4月某日 好きになるのが難しい類のマンガ

読んだマンガ。

 

「不敗」(押川雲太朗)…1~3巻、「天と地」(押川雲太朗)…1~2巻。昭和っぽい雰囲気なので。麻雀マンガはおしなべて、「麻雀放浪記」の2次創作のようなものなのかもしれない、とか思った。それほど面白いということもなかったけど、きっとまた読んじゃうんだろう。


「海が走るエンドロール」(たらちねジョン)…1~2巻。夫に先立たれた「おばあさん」が、映画を撮りたいと美大に入る、と。


いやあ、僕はね。自分が“自称芸術家”、“映画監督ワナビー”だったから、「映画を撮りたい」とか言い出す人、嫌いなんですよ。なんで嫌いかっていうと、シンプルに嫉妬なんだけど。だから、このマンガを好きになるのは難しい、かな。「年を取ることのよさ、ツラさ」「創作することのよさ、ツラさ」も雰囲気でつまんでつなげただけで、あんまり真に迫るものは感じなかった、気がします。「海」をモチーフにした心理描写はグルーヴあるかも、ぐらいは思ったけど。

 

「ライジングサンR」(藤原さとし)…1~8巻。「ライジングサン」の続編だけど。ほんのちょっとの違いなんだろうけど、「ライジングサン」の方が18倍ぐらい面白いな。あんまり思い入れの持てそうな脇役が出てこなくて、青春群像が、雰囲気だけになっちゃってる、というか。


(いやあ、読者っていうのは勝手に感情移入しといて、それをさせてくれなくなると、すぐに諦めるんだから勝手なものです)

 

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑱(僕の中にも“無敵の人”はいる)

2023年4月某日 面倒なことを代わりにやってくれてる

スプラトゥーンの、「サーモンラン」の動画をツマミにしながら、翻訳スクールの添削仕事をやってる(12分添削したら6分動画見る、みたいな)。これが、なんというか悪くないんである。僕がよく見てる配信者さんは、毎日2時間半ぐらい配信をやっていて、それをつまみ食いさせてもらってるんだけど。


何が悪くないか、というと、「12分仕事」の合間に「6分動画」を挟むことで、逆に仕事が続けられる、というか。結果1時間半ぐらい続けられる。そのうち30分は仕事してないんだから、非効率に思えるんだけど、実はそうじゃないんじゃないか。


仕事に飽きて、自分でスプラトゥーンをプレーすると、それは6分では終わらないような気がする。他人がプレーしてるのを見るから6分で済むわけであって。そう思うと、「僕の代わりにサーモンランをやってもらってる」みたいな感じがしてきて、それがちょっと面白いな。


大量に発生するザコ敵と、中ボスと、大ボスを、めちゃくちゃ効率よく倒し続けてくれるのを見て、なんとなく安心して僕は仕事を続ける、と。


思ったんだけど、テレビでもYouTubeでも、あの人たちは僕の代わりにいろんなことをやってくれてるんじゃないか。うまいもの食べたり、まずいもの食べたり、ドッキリしかけられたり、筋トレしたり、ネコ飼ったり。全部、やってみたいけど面倒だもんな。スプラ、自分でうまくなるの面倒でしょ。

 

4月某日 僕の中にも“無敵の人”はいる

「無敵の人」っていう言葉がある。「失うものがないから、犯罪(など)に躊躇がない人」のことを言うらしい。そういうヤバい人は動機のない暴発をするわけであって、誰もが被害者になり得るから怖い。怖いから、逆に「無敵の人」なんていうキャッチ―な呼び方で呼ぶのかもしれない。


今日会社で働いてる時に、この「無敵の人」っていうフレーズをなんとなく思い出したんだよな。なんでかっていうと、僕自身が会社の中で「無敵の人」みたいな存在になっちゃうんじゃないか、とか思ったから。


どういうことか。新人のスタッフさんの教育係を、ベテランスタッフが交代でするんだけど、昨日僕が担当した人が、昨日やめてしまったらしい。それで、一瞬「僕がパワハラ的な言動をしたせいでやめちゃったのかも」と反射的に思って。


なんでかというと、その人はPCのリテラシーが限りなくゼロに近くて、僕は内心「こいつヤベえ」とか思って。なんでそんな攻撃的なことを思うかっていうと、僕だってPC知識に自信がないからであって、その新人さんが想定外のところでハマってそれを僕が助けられず、一緒に恥をかくハメになるのが怖いからなんだろうけど。


もちろん、そんなことは内心で思ったことで、誓って態度には出してない。だけど、内心バカにしてることって、伝わるじゃないですか。その人は、バカにされることに慣れてるから、そういう人って、バカにされてることにすぐ気づいちゃって、ますますうまくいかない、みたいな。だから、「もしかしたら、なんとなく伝わったのかも」とか思ったんだ。


「○○さん、昨日で辞めた」という話を聞いて「俺の態度に問題があったかも」と反射的に思ってから、昨日のことを振り返って。「いや、何もパワハラ的な言動はしなかった」と確認してから「僕のせいかもって思わずに済んで、助かった」と息を吐いた。でも、「ひょっとしたら、僕の教え方や、人としての信頼感的な部分がもっとマシだったら、昨日辞めずに済んだんじゃないか?」ぐらいは思った。そのすぐあとで、「いや、僕の教え方とかそんなことあんまり関係なくない? 結局本人が仕事に自信を持てなければ、遅かれ早かれ同じことじゃない?」とかも思って。


で、そんなようなことを思いながら、「別にどっちでもよくないか」ともめっちゃ思ったんだよね。僕の教え方がよくて、新人さんの仕事の定着に貢献したとして、僕の時給が上がるわけじゃない(アルバイトスタッフの上限に達してるから)。というかむしろ、新人スタッフがどんどんやめてくれた方が、既存スタッフの価値は相対的に上がるわけであって、そっちの方がちょっと得なぐらいだ、とか。


この、「新人が1週間で辞めようが、まったく心が動かない」みたいなことが、「無敵の人っぽいな」とちょっと思った。


ちょっと別の話。職場では、僕のチームは2つの業務を兼任していて、メンバーはその日ごとに「仕事A」と「仕事B」に割り振られるんだけど。それで、時間帯によって忙しさは増減するので、「A担当の人が仕事Bをヘルプする」「B担当の人が仕事Aをヘルプする」という状況が発生する。


僕は「ヘルプが必要な状況」になったら、積極的にポジションチェンジを申し出るように気をつけていて。なんでかというと、上司にポジションチェンジを言われてから「仕事上の指示に従って」やるよりも、「自分から率先して」やる方が気分がいいから、なんだけど。いや、もっと正直に言えば、「年下の上司から指示をされる」っていうみじめさを感じずに済むから、みたいなこと。


で、この「ポジションチェンジを率先してやる」っていうのはどういうことかと言えば、忙しい方の業務に自分を置くわけだから、「ポジションチェンジに消極的な人」よりも仕事は増えるわけであって。


でも最近、それがバカバカしく感じてきてる。「率先して仕事を見つける」みたいなことをしても、仕事を見つけようとしないメンバーが楽になるだけじゃないか。僕の評価が上がって、時給が上がるわけでもないし。


そんな、「別に褒められるわけでもないし、仕事なんて指示があったものだけやればいいや」みたいな、ちょっと荒んだ気持ちで開き直った時に、「これってちょっと“無敵の人”じゃね?」とか思ったんだ。それで、“無敵の人”って、やっぱり結構みじめな気持ちだな、とも同時に思ったんだよな。「気を利かせても損するだけだし、どうでもいいや」みたいに思う自分が哀れで、だって「オレって気が利くな」とか思ってた方が気分いいじゃないか。


それで、もっとみじめなテンションがエスカレートすると、「あれ、今まで、オレって気が利く、って、ちょっと自慢に思ってたのか。ダサいな」とか、「ていうか、違うな。“気が利くヤツ”になった方がいいって、自分で思うんじゃなくて、会社の得になるように思わされてただけなんじゃないか」みたいなことまで考えたりして。


そんな風に、僕の中にも“無敵の人”っているよな、と思って、「ちょっとした発見」みたく感じたんだけど。書き出してみると、結構当たり前のこと、というか。「会社の業績やチームの成績が上がったところで、オレが得するわけじゃないし」と、すねてるだけで。でも実際には、“無敵の人”に自分を100%委ねる場面は想像しにくくて。


ただ、相当に貧乏だったり、相当に睡眠不足だったりして、冷静な判断がまったくできなくなったら、僕も自分の中の“無敵の人”に、自分を明け渡してしまう時があるかもしれない。今のところそうはならなそうだけど、少なくとも“地続き”ではあるような気がしてる。僕の中の“無敵の人”、もうちょっと観察してみたい。


4月某日 感情移入の行き場がない

読んだマンガ。


「フラジャイル 病理医岸京一郎の所見」…11~24巻。ブックライブ(電子書籍サイト)で、毎日1回クーポンガチャがひけるんだけど、たまに20%OFFが当たると買い足して、ついに最新刊まで追いついてしまった。ずっと面白い。どのエピソードも面白い。ストーリー、キャラ、展開がしっかりと味付けされてるんだけど、余計な演出はあんまり入ってなくて。「味が濃いけどスッキリしてる」みたいな、力のあるエンタテイメント。


いいセリフが出てくるタイミングがめっちゃよくて、説教くさいとか思わずに素直に響くんよな。ストーリーの構造が常に分かりやすいのに、悪役が主人公たちを引き立てるための「ただのイヤな奴」とかじゃないのも説得力あっていいな。早く続きが読みたい。


「ひゃくえむ。」(魚豊)…全5巻。100メートル走を題材にしたスポーツもの。版画みたいな絵柄で、彫りの深いキャラたちが、彫りの深いセリフを連発してくるのな。松本大洋の「ピンポン」「ZERO」とかを思い出した。松本大洋の方がちょっと柔らかいかな(画面から動きを感じられる)。じゃあ魚豊の方が表現力がヘボいのかと言うとそんなことはなくて、「ぽさ」(アートっぽさ、とか)に逃げずに本質だけえぐりだそうとする誠実さ、みたいなものをより感じられる気がする。


(なんというか、僕(あるいは「僕ら」)の中で松本大洋は神格化されてるので、比べると逆に分かりにくくなるかも。ちょっとズレてるかもしれません)


「九条の大罪」(真鍋昌平)…4~8巻。これはね、もう読みたくないんですよ(賛辞)。でも、目が離せない。ヤクザや半グレからの依頼を受ける九条弁護士の底が知れな過ぎて、怖カッコいい。善悪を捨ててるとかじゃなく、誰よりも厳しく善悪を見てるっぽいんだけど、それを語らな過ぎて、読んでるこっちは感情移入の行き場がなくて。ものすごく不思議な読書体験だぜ。最新刊まで追いついちゃった。続きは読みたくない(賛辞)。

 

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑰(子どもの学校のプリントに狼狽した件)

2023年4月某日 学校のプリントに狼狽した件

新年度になって、子どもが持ち帰ってきた「小学校のきまり」的なプリント。登校時間とか、休みの連絡方法とかを列挙する中に、「心を込めて掃除します」みたいなことが「きまり」の1つとして書いてあって、好きじゃなかった。心を込めたかどうか、他人からは分からないじゃないですか。「毎日掃除します」とかでよくないか、と。


「校庭で元気よく遊びます」もあった。これも、「元気よく」は省いていいと思う。ルールを記述する時に、「説教をちょい足し」してくる現象、興味深い(というか警戒してる)。


「心を込めて掃除」も「元気よく遊ぶ」も、「自分で考えた目標、心がけ」なら内面を含めるのも「アリ」だろう。でも、「ルール」としては、余計じゃないか? 誰かの内面に、ああだこうだ言いたい時に、ただの余計なお世話じゃ物足りなくて、「お墨付き」が欲しいのかよ、とか思ってしまう。


実際には、学校の先生方は(少なくともうちの小学校では)、相当いいバランス感覚で子どもたちを指導してくれてる気がする。「きまり」というのも、「ルール」であり、「目標」でもあるんだろう。でも、プリントとかレジュメとかを作る時に、手癖のように道徳的な言葉を足してしまうのが興味深い。

 

ちょっと話がズレるかもしれないけど。ダイエットをする時に、「ストイックな自分になる」「前向きに取り組む」みたく道徳的にとらえてしまうと成功しにくい(らしい)。どういうことか。ダイエットに感情を持ち込むと、冷静な判断がしにくくなる、ということ。


例えば、「苦手な野菜を食べた」や「好きなコーラを我慢した」などを「頑張ったオレ、最高」とか過大評価してしまうと、「その分、ご飯大盛でいい」など思いがち、みたいな。あるいは逆に、お菓子をつい食べてしまった時に、(それだけなら大した問題でないのに)「ああ俺ってダメなヤツ」と自分を責めると、ヤケになってドカ食いしてしまったり。自己実現的なものを含めてしまうと、判断力が鈍ってしまう。もちろん、最初と最後は「気持ち」が大事なんだろうけど、気持ちを強調しすぎると、試行錯誤に精度を欠いてしまう、というか。


「地球にやさしく」なんかも同じ部類じゃないか。やさしい気持ちさえあれば、効果がないことに取り組んでもいいのか。ていうかそもそも、「やさしい気持ち」って不安定だろ。そんなものあてにするの、全然サステナブルじゃないじゃん。


そうか。「人類、社会と地球との関係」を考える時に、それって「今までと同じやり方じゃ地球がもたない(人類の住みやすさベースで評価して望ましくない)らしいから、もろもろ考え直すべき」って時に、それって考えるのめちゃくちゃめんどくさい(現状の把握と解決策の効果測定を正確に評価するのがムズいし、今までのやり方を変えるとなれば対立する利害をどう調整するのかまで考えなくちゃいけなくなる)。


だったらとりあえず、「地球にやさしく」って言えばめんどくさくない、みたいな。感情とか根性とか礼儀とかが重要じゃない、とは言わない。だけど、思考停止の隠れ蓑になったり、冷静な判断のジャマになったりするから、それは警戒した方がよくないか。


「差別」について考える時に、「好きか嫌いか」とか「優しい気持ち」とかはむしろジャマになるんじゃないか。「フェアかどうか」だけが重要だろ、とか。憲法改正案で「家族は、互いに助け合わなければならない」と書く時に、まず議論すべきは「家族は助け合うべきかどうか」じゃなくて、それって憲法に書くべきことなのか、みたいな話にも思いを馳せたよ。


いやはや。子どもがもらってきたプリントを見て、ちょっと狼狽してしまった。


子どもたちよ。ぜひ心を込めて掃除をしてくれ。校庭で元気よく遊んでくれ。でも、それは「きまり」じゃないよ。「心を込める」も「元気よく」も自分で決めていい。心を込められない日だってあるよ。そんな時でも、タスクとしての掃除を消化することも覚えてくれ。校庭で遊ぶ以外にも元気のよさはあるし、元気になれない日もあるだろう。そんな時に、自分を責める必要なんてないし、誰にも自分を責めさせないでいい。そうでしょ。

 

4月某日 とりあえず休ませてくれ

読んだマンガ。

「おかえりアリス」(押見修造)…1~3巻。これは、まあ、かなりすごい。シンプルに、絵がうまくなっていて、表現力がエグいことになってませんか。主人公が、幼馴染を見る時に、「エロい目線で見てしまう瞬間」が、ダイレクトに分かってしまう。


マンガを読む時に、アクションとか、表情とかを、ストーリー(文脈)で判断して、脳内で補正しながら理解すると思うんですよ。「たぶん、主人公から見た世界はこんな感じなんだろう」みたいな感じで。それが、「おかえりアリス」では、「補正しなくちゃいけない範囲」がすごく少なくて、ダイレクトに伝わってくる。「伝わってくる」とどうなるか。「よく分かる」。よく分かると、その分、「分からないこと」が際立ってくるんじゃないか。


思春期の男の子にとって、自分の性欲は「わけの分からないもの」「自分の中にあって、確かに自分の一部なのに、自分ではコントロールできないかもしれなくて怖いもの」でもある。その「分からなさ」がめっちゃ伝わってきて、怖いんすよ。続きが読みたいけど、読みたくない感じ。とりあえず休ませてくれ。


押見修造、「惡の華」読んだ時は、才能を燃やしながら描いてるイメージを勝手に持ってたんだけど。つまり、あんまり長続きしなさそうな作家なんじゃないかって。それがどうよ。似たような場所をグルグルしながら、表現力が深まりまくってるのでは。


「BET」(押川雲太朗)…全3巻。これ、昔好きだったんだよな。竹書房の麻雀マンガ雑誌じゃなくて、「モーニング」に載ってたのか(今調べた)。懐かしかった。テキサスホールデムのポーカーで、「ブラフが効くタイミングを読み切って勝つ」みたいな回が好きだった。押川雲太朗は女性キャラがほぼイマイチなので、女性キャラ皆無の「BET」が一番面白い説あるな。


朝の通勤時と、会社についてからの15分ぐらいだけ、村上春樹(The Elephant Vanishes」)を少しずつ読んでるんだけど。英語版で、いわばベスト盤みたいになってるのな。「ねじまき鳥と火曜日の女たち」から始まって、「パン屋再襲撃」「眠り」「納屋を焼く」「ファミリー・アフェア」(これで一部なんだぜ。すごくないか)を経て、今日は「TVピープル」。


比喩表現、メタファー。「ありきたりで陳腐」にもならず、「独りよがりで意味不明」にもならないバランスと鋭さで比喩を使われると、それだけでトリップできるじゃないすか。やっぱりエグい。こんなにシリアスでこんなにふざけた表現、あんまりないでしょ、とか思いながら読んだ。


ちょっと気になったこと。今、「納屋を焼く」の表記を確認するためにググったんだけど、ついでに、いくつか解説っぽい記事をななめ読みして。「解釈&解説」という時に、「正解(正しい解釈)があり、それを見つける」みたいなノリの記事ばかりだった。「おいおいおい、正解のない問いを突き付けるのが文学だろ。正解のなさを味わえよ」とか。(まあ、そういう記事の方が読まれやすく、検索結果として上記に表示されるということかもしれない)

 

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑯(「ライバルこそが一番の理解者」っていう構図が好き)

2023年4月某日 「ライバルこそが一番の理解者」っていう構図が好き

早起きしてNBAを観戦。NBA、そんなに安くないサブスク(1ヵ月換算で3000円ぐらい?)に加入してるのに、あんまり追いかけてなくて。レイカーズの試合だけ、しかも第4クオーターだけ見る、みたいな感じでとうとうレギュラーシーズン最後まで来てしまって。


レイカーズ、そんなに好きかと言われると、「いやあ、そうでもないんだけど、レブロン・ジェームズぐらいしか知らないし…」みたいな消極的なテンション。じゃあ、見ててつまらないかと言うとそんなこともなく、見ればちょっとは手に汗握る、というか。


僕はまったく熱心なNBAファンじゃなくて、毎年ファイナルだけ見る、みたいな感じ。ファイナルを見忘れる年もあったり、ヒマな時はその前のカンファレンス決勝とかも見たり。その程度。


だから、レブロン・ジェームズ、ステフィン・カリー、ケビン・デュラント、カワイ・レナードぐらいしか知らなくて。要するに、複数回ファイナルに出場してるスター中のスター、本命中の本命、みたいな選手たち。それで、毎年プレーオフの時期になると、「知ってる選手を見た方が楽しい」という至極単純な理由で、本命選手のチームの方を応援するような気分が多くて。


それで、その中で特に、レブロン・ジェームズが好きになっていった。レブロンは、怪物的なフィジカルの強さ(ゴツくて、デカくて、速くて、鋭い)もあり、視野の広さもあり、とにかく「なんでも持ってる」選手なんだけど、ちょっとぎこちない感じが応援したくなる。もちろん、レブロンはテクニックも超一流のはずなんだけど、ライバルのステフィン・カリーの動きが努力などしたことがないと思えるレベルで滑らかすぎて、それに比べるとレブロンは「不器用なオレは気合で何とかするしかない」という雰囲気があって、プレーが決まった時に盛り上がれる、みたいな感じで好きになった。


NBAがNHKBSで放送されなくなって、「もう見ないかも」と思ったけど、2020年(もう3年前なのか)のプレーオフはサブスクに課金して見た。この年は、コロナのパンデミックでNBAはシーズン中断。秋になって“バブル”での再開(ちゃんと分かってないんだけど、ディズニー・ワールド内に隔離空間を作って、選手、スタッフ、関係者が集団合宿するみたいにして2ヵ月ぐらいのスケジュールを消化した。間違ってたらすみません)。BLMのうねりもあった年で、「これは、アメリカの雰囲気を理解するためにも見た方がいいのでは?」みたいな勉強気分もあって見たんだけど(結果、あんまりよく覚えてない。秋にプレーオフだったので、NFLと重なって観戦がキツかった記憶はある)。


それで、そこでレブロンとレイカーズは優勝したんだよね。こう書くと自分でもまあまあ熱心なファンなような気がしてきたけど、実際はなかなか「ハマりそうでハマらない」みたいな感じ。第4クオーターだけ見る、というのがちょうどいいぐらい。


さて、今日の試合は勝って、レイカーズは7位でレギュラーシーズン終了。あと1勝でプレーオフ出場の位置まで来た(NBAは少し前からプレーイン・トーナメントというのをやっていて、レギュラーシーズンでカンファレンス7~10位の成績だったチームが順位決定戦をして、第7、第8シードを決めている、という)。今日も1試合を通して見て面白かったし、ここから先はなるべく見ようかな(敗退したらそれでシーズンエンドなわけで、終わりが見えてきたらちょっと見る気になってきた、という)。


子どもたちは、先週から新学年での1学期がスタートしていて。「僕の会社が休み」と「子どもたちの登校」が重なるのは今日が最初。ようやく春休みが終わった感じか。映画とまんがパークと、シルク・ドゥ・ソレイユに連れて行ったんだけど、インドア派丸出し、というか。まあ僕としては出不精に打ち勝って、それなりに頑張ったつもり。旅行、なかなか気が進まないんだけど。今後どうなることか。お金を使うだけじゃなくて、有給を消費したり、子どもに習いごとを休ませたりしないといけないので、「その分楽しくないとみじめに思うんだろうな」とか想像しちゃって、なかなか踏ん切りがつかない。


映画とか見に行くと、「面白いのか面白くないのかよく分からない映画」でもむしろ、頭が軽くなる感覚がある。「旅行なんて、楽しくなくてもOK」とか思ってた方が人生いろいろうまくいきそうに思うけど、まあそう思うのは簡単じゃないよね。


夜には、ラップバトルの配信を見たな。「FSL」っていうらしい。フリー・スタイル・リーグ。リーグと言っても総当たりでやるとかそう言うことじゃないから、何がリーグなのかよく分からない(ヨーロッパサッカーの、「チャンピオンズ・リーグ」から取ったのかな)。


あんまり面白くないかと想像してたら、そんなことはなく、ちゃんと面白かった。なんで面白くないと想像してたかというと、普段よく見てるトーナメント形式の大会じゃないから、スポーツ的な「勝ち上がり」のストーリーがなくて、初心者ファンの僕にとっては見どころがよく分からないかも、と。だけど実際には面白かった。出場するラッパーに目の前の1試合に「勝ちたい」「負けられない」という気持ちがあれば、それだけで見ている側はハラハラできるのか。


それにしても、この1年で新しく好きになった対象として、ナンバー1は「呂布カルマ」かもしれない。今日も呂布カルマ、面白かったな。「相手の言ってることを、言い返す」みたいな芸風なんだけど(スタイルとか言えよ)、それって「ケンカを野次馬してる気分」「スリリングな即興をハラハラ見守る」という、ラップバトルの面白さをめちゃくちゃ体現してるやり方なわけであって。


今日も、相手の晋平太が「勝ちたい」という姿勢を前面に出したラップで、それをちゃんと真っ向から打ち返していて、カッコよかったな。そう思うと、フリースタイルバトルのラッパーっていうのは、「相手」がいてこそ成り立つ芸であって、「ライバルこそが一番の理解者」みたいな構図が、僕にとってはグッとくるんだろうな。


日本語ヒップホップやラップバトル、どこまで行っても「茶番」「ごっこ遊び」っぽさが消えないようにも思うんだけど、でもだからこそ、その中で闘志がぶつかる瞬間に「ホンモノ(っぽさ)」が宿るとむしろカッコいい、みたいな。個人的には、そろそろ飽きてきたかと思ったらやっぱり面白い、みたいなところもスリリングだったりして。


4月某日 言葉にする直前のエロさが一番エロい

読んだマンガ。


「ハピネス」(押見修造)…4~10巻。前半は吸血鬼となった少年の目線からで、生々しいエロさがスリリングだった。「血を吸いたい、けどそんなことはしちゃいけない」みたいな描写が、思春期に入った男子が、自分の性欲を恐怖する感覚(性欲に支配されて自分をコントロールできなくなるんじゃないか、という恐怖)を思い出させて引き込まれたな。


吸血鬼を描くホラーだから、「エロ」を直接描いてるわけじゃないんだけど、「これってエロいな」って、言葉にする直前のエロさが一番エロい、っていうか。なんというか、ある対象を「うわ、エロいな」と認識すると、認識したことによってそのエロさは強まる(「パブロフの犬」的に、その対象や状況に出会うと発情する)のは間違いないんだけど、逆に言うと自分の中の「エロフォルダ」に入って無害化できる(日常化できる)、というか。だから、「これってこれってエロい」と「エロ認定」をする寸前が、一番生々しくエロいんじゃないか。どうか。(「エロ」のところに、「エモ」とか「恐怖」とかを当てはめても成り立ちそう)


「僕とロボコ」(宮崎周平)…1~2巻。「ハピネス」のアルコール度数がキツめなので、チェイサーとして1話ずつ読んで。そう思うと「僕とロボコ」を「おまけ」っぽく扱ってしまう感じになるか。アルコール度数はなくても味はしっかり濃いめなので、ツマミに例えた方がいいのかな。


ジャンプの過去作のパロディギャグが散りばめられてるけど、コントのフォーマットとしては「ドラえもん」なわけであって、そう思うと「ドラえもん」の影響力ってなかなかにすごいのかもしれない。


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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑮(嫌いな人の存在にやや狼狽してる件)

2023年4月某日 嫌いな人の存在にやや狼狽してる件

新年度になって、会社のチーム編成もちょっと変わって。僕が「嫌い」だと思ってた人が、8年ぶりぐらいに同じチームになったんだけど。


「嫌い」と認識してしまうと、「嫌悪バイアス」(※今考えた言葉)が働いて、その人のことをますます嫌いになってしまう、みたいなことってたぶんある。食べ物でもたぶん同じで、例えば「きのこ類が苦手」と一度意識すると「きのこの嫌いなところ」を思い浮かべて、その風味を確かめるように食べるようになるので、ますます嫌いになっていく、みたいなこと。それが人でもきっとある。


だから、「この人嫌い」とはあんまり意識しない方がたぶん自分にとってもいいはずなんだけど。・・・やっぱ、嫌いだった! 


職場の同じチームに、嫌いな人がいるの、ハラハラするぜ。あの人のことを嫌ってること自体、僕にとっては屈辱なんだ。本当なら、人の嫌なところをオートでミュートできるような、イヤな気持ちに構ってらんない、というような態度で過ごしたい。嫌いな気持ちが続くのは、「こいつがオレの上司なのかよ」っていう、正社員への嫉妬の気持ちが燃料になっているからであって、そのことも自分で気づきたくない。


何がハラハラするかって、その人にも、誰にもこの気持ちは気づかれたくない、ということ。ちっちゃいナルシシズムかもしれないけど、嫌いな気持ちや嫉妬は仕方ないとして、それを表に出したくない。それができるかわからなくて、ハラハラするな。


やっぱり、嫌いだと再認識してしまった。できれば「嫌いかどうかあいまいなまま」にしておきたかったけど仕方ない。そんなこともあるでしょ。


むしろ、出勤時と退勤時にちゃんと挨拶しよう。仕事上必要なコミュニケーションは、避けずにフェアに接しよう。その上で、嫌いな気持ちはしょうがない。その気持ちに流されないように落ち着いて過ごしたい。

 

4月某日 クーポンが価値判断をバグらせてくる件

読んだマンガ。


「九条の大罪」(真鍋昌平)…1~3巻。僕はKindle Unlimitedとは別に、ブックライブという電子書籍サイトを利用してマンガを読んでるんですけど。このサイト、毎日1回クーポンガチャが引けるんですね。これがもう、本当に困ります。たまに「20%OFF」が出て、それがその「当日中のみ有効」みたいなやつで、「使わないともったいないんじゃないか」みたく、価値判断をバグらせてくるんですよ。


それで、「1巻~3巻に使える20%OFF」というクーポンが出て。「1巻~3巻」にしか使えないんだから、その縛りはなんにでも使えるクーポンと比べれば不利なはずなんだけど、まあでも、逆に使っちゃうよね、という。「闇金ウシジマくん」はすごく好きだったけど、もう2度と読みたくない(賛辞)から、まあ、しょうがない。「九条の大罪」。どうせいつか読むし、と思いながら課金して。

 

面白かった。ウシジマくんよりも、ちょっとライトで、でもドライな感じかな(それとも今後変わってくるのか)。時々「つぶらな瞳」というか、目がキラキラ潤んだ絵が出てきて、それが何とも言えずに怖い気がする(まだ人間味を失ってなかったのかよ、みたいな)。ウシジマくんと、絵の違いを研究したら面白い気がするけど、もうウシジマくん読みたくない(賛辞)から、たぶん研究できないんだろうな。


それにしても、(例えば)「ゴミであふれた部屋」の精巧な描写ってめちゃくちゃ怖いな。暴力シーンも怖いけど、「片付く見込みのない部屋」の怖さ、エグくないですか。


たぶん、「自分が自分じゃなくなること」って、シンプルに恐怖で、でも、誰にでも(僕にでも)起こり得ることだと、結構簡単に想像できて。暴力も怖いんだけど、「酒とツマミ」の関係みたいに、「暴力」と「ダメさ」が相乗効果で不幸を加速させる、みたいなことを「ゴミで埋めつくされた部屋」を見ると一瞬で想像してしまうから、怖いのかな。


いやあ、続き読みたくないな(賛辞)。でも、使えるクーポン当たったらそのタイミングで勝っちゃうんだろうな。ブックライブも怖いわ。


「東京都北区赤羽」(清野とおる )…1~3巻。こちらはKindle Unlimitedで。作者の「売れない漫画家」としての日常と、赤羽の街レポをブレンドしたエッセイマンガ。赤羽の街にいる「ヤバい人」を体当たりで取材して(というかダル絡みされたりダル絡みしたりして)ネタにした、悲しみと滑稽みの私小説マンガ。こう書くと、面白いのかつまらないのかよく分からないな。(僕の中でも、そのどちらなのかまだ決まってない感じで、そこがいいのかもしれない)


つげ義春を読んだ時と、後味が似てる気がするんだけど、どうだろう。まあ、つげ義春には「文学的な昇華」があるわけであって、その土俵で比べたら、もちろん全然違うんだろうけど、それはそれとして。


これはちょっといつか研究したくて。「21世紀のつげ義春、令和のつげ義春いるのかよ。いないなら、それってなんでだよ」と。

 

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑭(妙な説得力持っちゃうのやめてくれませんか?)

2023年4月某日 あだち充と麻雀マンガ(?)

最近読んでたマンガ。

「麻雀小僧」(押川雲太朗)…1~23巻。ここ数日で、ダラダラと少しずつ読んできて、ついに最新話に追いついてしまった。もう、明日からは「麻雀小僧」読めないのか。めちゃくちゃ面白いというわけでも、続きが気になるというわけでもないんだけど、なんとなく読めちゃうマンガだったな。


主人公のまー坊が、速攻指向の「鳴き麻雀」なんだけど、それがちょっとだけ新鮮。なんとなくだけど、麻雀マンガではメンゼン派が主人公のイメージというか、「鳴き麻雀」はあんまり「映えない」というか。(※「哭きの竜」は「鳴き」を超えた「哭き」なのでちょっと除外)


鳴き麻雀は、ムリに高い手を狙わない、という意味で「手堅い現実派」にも思えるけど、実際にはチーやポンをすること自体にもリスクがあるわけで、メンゼン派の方がリスクとリターンを手堅く評価してることの方が多い気がする。そういう意味では、「鳴き麻雀」は「なるべく多くの局で勝負に参加する(命運を他人に任せない)」「ベタオリがしにくくなる分、シビアな読みがないと勝てない」みたいな、「あえて難しいことをやって勝とうとする」ロマンがある、かもしれない。アガるつもりのないブラフとか、ハイリスクローリターンの極致であって、だいたい面白い。ブラフが成立する場面を読み切って、その読みを信じて勝負に出て、得られるリターンは「相手もろとも局をつぶす」だけ、というめっちゃ度胸が必要な選択なわけで。


まー坊の明るいキャラもちょっと新鮮。読みがハマって勝った時は「偶然うまくいったよ」みたいな態度でヘラヘラして、「勝負への執念」を表に出さないのはいいよね。意外にも、あだち充のテクニックって麻雀マンガにもマッチするのか。


と、こう書くと「麻雀小僧」を気に入ってるように思えるんだけど、主人公以外はイマイチなんである。勝負の間に出てくるミニコント的なやり取りはサムいし、ヒロインはいてもいなくてもどっちでもいいし、「豪華クルーザーで多額の賞金を賭けた団体麻雀大会」は端的に言ってダサい(アウトローが大会とかまどろっこしいことやってんなよ、孤高でいてくれよ、と)。だから、「面白くない」と思ってもいいんだけど、ひょっとしたらちょっと面白いのかも、と思いながら読み続けてしまった。そうしたら、単行本換算で23巻分か。ここまで読むと、もう「面白くない」と思うのはちょっと勇気が要るかもしれない。


4月某日 村上春樹のいけ好かなさが煮詰ってる

この日記は、「日々マンガを読んで、読んだマンガのことを書く」「ついでにそれ以外のことを書く」みたいにして続けてきて。

 

何しろ、書くことが大事だ。書くと、自己肯定感がちょっと回復する。みじめなことがあって、みじめな気持ちになった時でも、それを書くと「そのみじめさを受け止めることのできた自分」になれる(大げさに言えば、だけど)。


だから、毎日何かを書くことを習慣にしたらいいんじゃないか、みたいな話。マンガなら、だいたい毎日読めるし、実際にだいたい毎日読んでる。そのことを書こう、と。何も書きたいことがないと思ってたとしても、実際は書き始めれば、何か書くことがあるのが不思議だ。ヤル気が湧いたから行動するのではなく、行動してからヤル気が湧いてくる、みたいな話。


そう思ってたんだけど、ここのところずっと読んでた「麻雀小僧」が、特に感想を書きたくなるようなマンガではなくて、ちょっとルーティンが崩れちゃったな。(「感想を言いたくなる」は、マンガの面白さの一部かもしれないけど、基本的には別物のはず。感想を言いたくならないマンガでも、面白いマンガはあるはずなので、ちょっと混同しない方が楽しそうだな)


今日は、村上春樹「ファミリー・アフェア」を読んだ。これは、村上春樹のいけ好かないところばかり詰め込んで煮詰めた短編で、アンチ村上春樹にとっては身の毛もよだつ感じなんじゃないか。


主人公は、何でか知らないけど、「カネ」と「女」には困ってない。それで、世の中のことを変えようとしないくせに、世の中のことをバカにしてるんだ。バカにしてることを直接口には出さないけど、ジョークやたとえ話でアウトプットして。それが伝わらないと、ため息をつきながら酒を飲む、みたいな。ナルシシズムが止まらない。


そんな短編。まあ、つまり、僕にとっては大好物なんだけど。この作品のどこがいいのか。いやあ、案外難しいな。ちょっと宿題にさせてください。


4月某日 妙な説得力持っちゃうのやめてくれませんか?

読んだマンガ。

「ハピネス」(押見修造)…1~3巻。五所さんというヒロインが出てくるんだけど。吸血鬼になった主人公が、家族や友人たちを「捕食対象としてはいけない」みたいに葛藤するのと、読者である僕が、五所さんを「エロい目線で見てはいけない」と葛藤するのとがリンクして、妙な説得力持っちゃうのやめてくれませんか?(なんだこの感想)


「幻に賭けろ」(原作:土井泰昭/著:嶺岸信明)…全4巻。「天牌」とかでもそうなんだけど、まあ勝負ごとに勝とうと思ったらストイックに自分を鍛えなくちゃいけない(ことがある)、のはいいとして、なんか、「俺の麻雀道」みたいな感じになるの、なんなんですかね。(まあ、ドラマとしては分かりやすくなるんだけど、ちょっと興ざめな面もあるよな)


子どもたちを連れて本屋さんに行った。子どもたちは、3000円分の図書カードをもらっていて、それを使うため(親戚の子がちょうど高校と中学に入学だったので、入学祝をあげた。そのお返しでうちの子どもたちに図書カードをくれた、という)。


娘は、「暗号学園のいろは」の1巻と、「物語のカギ」(なんか、表紙を見て気に入ったらしい。小説を読むコツをまとめた文芸的実用書、みたいなやつ。1800円ぐらいなんだけど、よく選んだな)を。息子は、「転生したらスライムだった件」を1~4巻まで。この前まんがパークで気に入ったらしい。このマンガも高くて、4冊でだいたい3000円までいってしまった。


帰ってきて、それぞれ買った本を交換しながら読んでいて。自分で選んだマンガを読むのは楽しいだろう。春休みらしいのんびりとした、ほんのちょっとだけ特別な1日みたいになってうれしかったな。それにしても、3000円なんてすぐなくなっちゃうのな。続きを買ってあげたい気もするけど、なんかそれも楽しくなさそう。


…あ。つい先日、ようやく娘が「マンガ日本の歴史」を読み始めたと思って喜んでたのに。その流れを途絶えさせてしまった。まあ、仕方ない。いつかまた、読むタイミングあるでしょ。

 

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑬(実物大ガンダムが案外気に入った件)

2023年4月某日 実物大ガンダムが案外気に入った件

子どもたちとお台場までおでかけの1日。メインはシルク・ドゥ・ソレイユの「アレグリア」である。


出かける前、「自分で持つから、電車で読む本を持って行っていいか」と娘が聞いてきた。もちろんOKなんだけど、「自分で持つから」というのがちょっとうれしかったかな。例えば、子どもたちには「言われないでも宿題を自分でやれば、パパは“宿題をやりなさい”って言わずに済むでしょ。そうすればパパは気が楽だし、君たちは宿題やる時間を自分で決められるじゃん」みたいなことを話してきて。そのとおりに、僕は子どもたちに対して「宿題やりなさい」とか「宿題終わらせてから遊びに行きなさい」とか言わずにやってきたんだけど。


「自分で持つから」というのは、「出かける時に持っていく荷物を自分で決めて、準備する」という意味じゃないか。いつの間に、そんなことができるようになってたんだ? ひょっとしたら、修学旅行の荷物の準備も、自分でできるんじゃないか、とか思ったらちょっと嬉しくなった。(いずれにせよ、手助けはなるべく最低限にしよう)


それで娘は、「マンガ日本の歴史」を3冊、自分のリュックに入れている。それを選んだか。確かに、その3冊を娘ではなく僕が持っていくとしたら、「荷物が重くなるからどれか1冊にしてよ」と言ったかもしれない。なるほど、子どもが自分の持ち物を自分で用意するのってやっぱりいいな。もし重たくて嫌だったら、次回からまた工夫してくれるだろう。


と、ここで僕はハッとして息を吐いた。「マンガの日本の歴史」、いつ買ったか覚えてないけど一揃い注文して、本棚に置いておいたままになってたやつじゃないか。ようやく手に取ってくれた…! 「せっかく買ったんだから読みなさい」的なことを、言うのをずっと我慢して、我慢してるのもダルいので忘れてたぐらいのやつだ。大変恥ずかしながら、気分がいい。賭けに勝った気分。親に言われて読むよりも、自分で勝手に読む方が楽しめるだろう。


息子は「将棋の渡辺くん」を選んだ。もう何回も読んでるはずなんだけど、彼の中で根強い人気みたい。


さて、1つ目の行き先は、「日本科学未来館」。つい、「科学館」とかを選んでしまう。他にも、室内遊園地みたいなところも調べたんだけど、楽しみ方がいまいち想像できなくてパスした。人と光と音に圧倒されて、ちょっと引いてしまう自分を想像したんだけど、この発想、情けなくていかにも僕らしい。「さあ、楽しんでください」みたいな場所で、いまいちノリが分からなくて楽しめないと、なんかみじめな気持ちになっちゃう、そんなことを想像して外出の時の選択肢から外してしまう。子どもたちよ。もうちょっと大きくなったら、友達と行ったらいいと思うよ。

 

科学未来館、理科の教科書を分解して、映像とか模型とかのアートを交えながら立体化した、みたいな巨大な建物。「人類の未来がピンチ」というようなデカいテーマに圧倒されるの、なぜか分からないけど嫌いじゃない。アリも象も、花も蝶も森も、たぶん未来の心配はしてないだろう。自分の命を、「今」つなぐことで精いっぱいだ。人は、未来を心配して。「ああ、どうしたらいいか。ああ、どうしようもできない」みたいな無常観を味わってやがるんよ。贅沢な話だ。


3Dメガネをかけて見る立体プラネタリウム的な映像も見た。上演時間25分だったけど途中で寝ちゃったな。「子どもを連れてどこか行って、座って映像を見るとその最中に寝る」のはもはや条件反射みたいなことになってるのかもしれない。しょうがない、夢の中で宇宙を旅して追いつくしかない。


全部合わせて2時間ぐらいで、未来館を出ることにする。この時点で、「アレグリア」の開場まであと1時間ほど、そこから開演はさらに1時間後なので、時間はだいぶ余ってるんだけど、とりあえず会場を確認したい。たぶん来るときに見えた黄色と紫の巨大テントが会場だと思うし、google mapでも徒歩4分の距離だと分かってるので、まったく急ぐ必要はないんだけど、とりあえず会場まで歩いて確認。やっぱり、ゆりかもめから見えた巨大テントだったし、google mapも完全に、容赦なく正確だった。


時間が余ったので、実物大ガンダムの写真を撮りに行く。ガンダムというか、ユニコーンガンダムなのか。このユニコーンガンダムは、ガンダムとはどういう関係なのか。親戚関係(デザインや機能を同じシリーズの兵器として継承しているのか)なのか、それともまったく別ものなのか。ていうか、そもそも世界観だけは共通だけど、「ガンダム」と「ユニコーンガンダム」は別の世界のものなのかもしれない(全然知らない)。


いやあ、「実物大ガンダム」、これを作っておいてしまおうという発想が面白いな。お台場って、「未来館」も「フジテレビ」も「レインボーブリッジ」もそうだけど、「人工物」っていう感じして、いかにもシムシティっぽいというか、ジオラマっぽいというか。例えば、杉並や世田谷の住宅街や商店街を歩いていて、そこだってやっぱり人工物に囲まれてるんだけど、普段の光景すぎて「シムシティっぽさ」はあんまり感じない気がする。それに対して、お台場へ向かう時にゆりかもめから見る風景には、「海と空(人工物ではない)」の割合が大きくて、そこに「高速道路とデカい建物(人工物)」が無理やり陣取ってる感じ(人類が頑張ってる感じ)がある。そこに、ガンダムを置くことによって、ますますお台場という場所の“ジオラマっぽさ”が強調されるじゃないか。本物の風景のはずなのに、ガンダムの写真を撮るために作られた舞台セットになってしまう。お台場のウソっぽさが完成する、というか。


ていうか、「実物大」ってなんだよ。フィクションでしょ(実物大以外にも妥当な言葉があるんだろうけど)。「大仏」的な存在として、なんとなく受け取ってたけど、ガンダムって兵器じゃないのかよ。何の象徴なんだよ。おばあちゃんとかが写真撮ってたけど、これが何なのか意味わかってるんだろうか(というか、分かってないだろう。僕も分かってない)。


映画でもマンガでもゲームでも、「かつてあった文明」みたいな意味合いで、「自由の女神」が出てくるじゃないですか。「かつてこの星には人類が繁栄し、こんな巨大な何かを作った。しかし、これがどんな意味を持っていたのか、もう分からない」的な意味で。それに感覚に近いような終末感が、ユニコーンガンダムにありません?


…というようなことを、実物大ガンダムを見た瞬間に感じて、「すげえアートじゃん」とか思ったんだよな。でも、写真撮り終わった10秒後には「まあ、すごいアートっていうほどでもないか」とも思ったんだけど。


AIの進化で、動画も静止画も「フェイクかどうか」が素人ではなかなか見分けられなくなりつつあるし、それって近い将来「現実」と「仮想現実」の見分けもつかなくなっちゃうんじゃないか、という予感は結構な恐怖だと思うんだけど、この「ガンダム体験」は、「ニセモノ」と「ホンモノ」の判定が揺らぐ恐怖と、「まあでも、ひょっとしたら痛快なことなのかもしれない」というノリを、同時に味わえて楽しかった気がする。


(ところで、この「ガンダムの感想」がここまで長くなったのは我ながら驚いた。実際に子どもたちと写真を撮ってる時にはそこまで強い衝撃を受けたわけではなかったんだけど、あとから振り返って言語化してみると、なかなか味わい深かったような気がします。日記書くの、やっぱりちょっと面白いな)

 

さて、子どもとガンダムの写真も撮り終わって(妻にLINEで送るために適当に撮っただけである)、未来館を出てから8分ぐらいしか消費されずに余った時間。運のいいことに陽気もよく、その辺に座ってマンガを読む時間にすればよかった。(僕はHaruki Murakamiを。「BARN BURNING」、なかなかクレイジーよな。子どもの隣で読む話なのか、疑問はある)


そしていよいよ「アレグリア」見たんだけど。これは子どもたちも喜んだし、僕も圧倒されて、感動したよ。「美しい悪夢から目が離せない」みたいなトリップ感をソースにしながら、「鍛え抜かれた肉体が鍛え抜かれた技をする」というシンプルな快感を味わう感じ。あの、技の1つ1つが決まる瞬間って、そのパフォーマーの人生を懸けた夢がかなう瞬間じゃないですか。僕から見れば奇跡のような美技でも、彼ら自身からすれば「できて当たり前」のレベルまで練習したルーティンとしての「夢の実現」なわけであって、そんなのを連続で見てると、うれしくなっちゃうんだよな。年齢(中年を越えつつある)のせいかな。誰かの夢がかなうところを見ると、ほっとするんだ。できれば、スケールのデカい夢のほうがいいな。自分と比べて嫉妬せずに済むからね。


大満足の帰路。電車がめちゃくちゃ混んでて、怖かったほど。僕らにとっては春休みの1日だったけど、普通に平日の帰宅ラッシュの時間帯に重なってしまって。ホームではぐれないように手をつないだりして、それもなんか旅行みたいだった。

 

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る    ⑫(ドラえもん映画に不満だった件)

2023年3月某日 ドラえもん映画に不満だった件

ドラえもん映画、子どもたちと見てきた。春休みの出かけ先として、「映画」は気楽でいい。どこか遠出をするには時間も準備も、なにより気力が必要だけど、映画に行くには準備が要らない感じ。準備が要らないということは、面倒になったら行かなくてもいい感じがする。


見る映画を子どもたちに選ばせたら「ドラえもん」だったのはちょっと意外だったかも。ひょっとしたら、もうちょっと大人も見るような映画の方が面白く感じるかもしれないんだけど。まあ、「よく知らない」ものは「見たい」と思えないのかもしれない。


さて、子どもを連れて行った映画で、ひょっとしたら初めて最初から最後まで寝ずに見ることができた。今まではトーマスもプリキュアもポケモンも、どうしても途中で寝てしまっていた。本当は、映画が終わってから子どもに感想を聞いて、「感じたことを自分の言葉で説明する」練習をさせた方が教育熱心なんだろうけど、どうしても最後まで起きていられなかった(というか開始15分で寝てた)。それが今回は寝ずに見れた。単純な話で、昔は子育てにいっぱいいっぱいで、ずっと「チャンスがあったら迷わずに寝る」というモードだったんだろう。


のび太、しずかちゃんに若干ウザがられても何度も誘うし、新しい道具と出会ったらとりあえず試すし、「パーフェクト小学生になりたい」とか言えるし、メンタル強すぎるだろ、みたいなことを思いながら見てたんだけど。あとから振り返ってみると、ドラえもんの映画、おもしろくなかったかもしれない。


あれ、そうかな。いくら子ども向けとは言え、「プロの作ったエンタメコンテンツ」としての説得力はあったような気がするんだけどな。


空の上に「ユートピア」があって、優しい人々がお互いを助け合いながら生活してるんだけど、その「理想」は見た目だけ。実際は、洗脳されて喜怒哀楽を失いながら生きさせられるディストピアだった。ジャイアンもスネ夫も、心を失って元の自分にどんどん戻れなくなっていく。たとえ意地悪だったとしても、「らしさ」を全体のためになくさせるってどうなのよ。でも、のび太は怠け者すぎて洗脳されなかった、みたいな展開。


意外性と納得感のバランスがよく、分かりやすいし、感情移入にもムリがない感じ。最後には見事な伏線回収もあって満点に近い着地だった気がする。ん、だけど… やっぱ、面白くなかった。子ども連れて見た、ドラえもんの長編映画、ひょっとしたら「映画」というものの「面白くないところ」が凝縮されてるかもしれない。


映画って、100~120分ぐらいのまとまった時間を費やして、お金を払って見るじゃないですか。そうするとやっぱり、「それなりの納得感」とか「外れのない安心感」とかを、観客としてはどうしても求めてしまう。特に、子どもを連れて行ったら「満足させてくれよ」と思わずにいられない。観客がそれを求めたら、プロの映画製作者たちは当然それに応えるわけで。でもその予定調和って、クソほど面白くないよね、と。


ドラえもんの面白さって、もっとシュールで、ユーモラスで、狂気じみていて、意地悪な風刺や皮肉があって、予定調和や納得感とは真逆のところにあるんじゃないか、と。


「ドラえもん」というコンテンツと、「ドラえもん映画」は別物だろうし、子どもたちを満足させてくれてありがとう、と素直に思ってる。映画の完成度が高かったからこそ感じた不満なんだろうな。

 

 

3月某日 モノの値段は需要と供給の関係で決まる

コールセンターで20年以上勤務してるんだけど、4月から時給がだいぶ上がる。どのぐらい上がるかは具体的には書かないけど、上がってうれしいというよりは、腹が立つぐらいなんだ。


僕は、「アルバイトスタッフの上限時給」に10年ぐらい前に達していて、その「上限」に傷ついてきた。「上限」があるのは、「アルバイト」と「正社員」の時給が逆転しないようにするためらしい。「そんなのおかしいでしょう。だって、ただの雇用形態じゃないですか。アルバイトスタッフが、正社員と同じだけの責任感、経験、能力を身につけることだって、珍しいかもしれないけどあるはずじゃないですか。僕だってチームリーダーや現場マネージャーできますよ」「マネージャーを選ぶときに、もし、ある特定の血液型の人が候補から外れるならそんなのナンセンスですよね? 性別や出身地で有利不利があるなら大問題ですよね?」「なら、雇用形態によって、上限が定められてるのおかしくないですか?」みたいな話を、半年か1年に一度ぐらいのペースでその時々の上司にしてきたんだけど(上司たちは、「まあ… そうですね…」と苦笑して、気まずい沈黙が続くだけになる)。


「上限に達した」というのは、つまり、「これ以上は特に頑張っても評価しません」という意味だ。その状態でモチベーションを維持するのって、相当難しくないですかね。お金だけの話じゃなくて、「張り切って働くこと」を僕から奪ってるんですよ。「誰に評価されなくても、自分は見てる。張り切って働くべきだ」って思える人がいたら、偉いなとは思うけど、友達にはなれないな。


…みたいなことを思いつつも、「怒りながら働く」のは精神衛生上よろしくないので、「まあ、そんなものだろう」と自分をいなしながら働いてきて。


それが、ここに来て、時給の大幅アップである。これは、職場のオペレーター全体が対象で。どういうことかと言うと、「同業他社よりも低い今までの時給水準では、求人をかけてもスタッフが集まらない」というスーパーシンプルな理由であって。その、募集時の新人時給の大幅アップに合わせて、既存スタッフの時給も見直された、と。


まあ、なんとも滑稽な話じゃないですか。「忠実な勤務態度、積極的な姿勢での業務遂行」みたいな、「やる気と能力を評価して時給を上げますよ」という会社からのメッセージを鵜呑みにして、「じゃあ頑張らなくちゃ」とか「上限に達したということは、もう頑張っても無駄なのか、そりゃないぜ」とか思ってきたけど、大前提として、モノの値段は需要と供給の関係によって決まる、と。そこに、それ以外のエモーションを持ち込むのはあんまり意味がないですよ、と。


まあ、脱力しているところ。もちろん、時給アップはダイレクトにありがたい。でも、「アップしすぎて逆にむなしい」みたいなところが不条理でいいな、と。

 

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る    ⑪(「子どもが話し合って決めるべきこと」なのか?)

2023年3月某日 まんがパークに行ってきた

子どもたちは春休み。前から行ってみたかったところに、子どもたちを連れていく。「立川まんがパーク」である。有料の「マンガ図書館」的なところで、子ども200円、大人400円でマンガ読み放題。往復の交通費を計算に入れたとしてもネットカフェよりもかなり安い。「できる限りのマンガを大量に摂取したい」と願う僕にとっては天国のような場所である。ネットカフェが勝ってるのは「ドリンク飲み放題、ソフトクリーム食べ放題」なんだけど、それすらメタボ予備軍(1軍昇格寸前)の僕にとってはデメリットなので、この「まんがパーク」には毎週通いたいぐらいだった。


でも、その存在を知ってから半年間、常に出不精の方が勝って、ずっと行くのをサボっていて。ああ、僕のホンモノの出不精。よほど好きなことでも、「やりたい」より「めんどい」が勝ってしまう。「やったことのないことをやって失敗して、恥をかきたくない」みたいなことを反射的に思ってしまうクセがあって、「未知の楽しさ」を低く評価してしまうのかもしれない。


でもまあ、行けました。「子どもを連れて行く」というミッションで自分を鼓舞して、重い腰をようやく上げて。結論から言うと、行ってよかったです。何より、子どもたちが喜んだというのが一番なんだけど。入場前にまず靴をロッカーに預けて、そのカギ(というかキーホルダー)が、入場券代わりになる(Suicaで改札を通るみたいに入る)のが面白い。(ロッカー代が、入場料となっているシステム。券売機が不要になるわけで、なるほど、と。


それで、靴を脱いで畳敷きの部屋で、マンガ読み放題。各所にベンチがあり、「押し入れ」「2段ベッド」みたいな雰囲気のスペースもたくさんある(人気があるみたいで、僕らは確保できなかったけど)。友達の家でマンガ読ませてもらう感じか。本棚はあるものの部屋が明るくていいな。死角が少ないのも、子どもを連れて行く場所としては安心できる。すごくよかったのは、本がくたびれてなくてきれい。利用者のモラルが壊れてなくて、ちゃんとメンテナンスの手が足りてる、ということなのかな。本がきれいなのは安心感があってよかったです。


たっぷり3時間、気合入れてダラダラできたぜ。僕が読んだマンガは、「ギャラリーフェイク」(細野不二彦)の1~2巻。と、「チ。ー地球の運動についてー」(魚豊)の1巻(どんな組み合わせなんだ)。合計3冊だけなのは、「いろんなマンガあるな」、と本棚を見て回ったから(本の並び方の法則を理解するのに時間がかかった)。次に行ったときに何を読もうか、候補作をメモしたりして。


というか、なぜ「ギャラリーフェイク」なのか。「ギャラリーフェイク」、もちろんつまらないマンガではないけど、「どんなマンガでも読み放題」なのにわざわざ手に取る種類のマンガじゃないでしょ。サラリーマンが、昼休みにやることなくて1話だけ読む感じじゃない? 「美味しんぼ」枠、というか。


Kindle Unlimitedに入ってるマンガはまず除外、ここで読まないでもいつか自分で買うな、というマンガも除外した結果、「ギャラリーフェイク」を読むハメになったんじゃないか、と。それで、読みながら、「なんか違うんじゃね?」と途中思って「チ。ー地球の運動についてー」を持ってきた。


「チ。」は去年も読んでいて。改めて読んでみてやはりズッシリと面白い。「真実を知りたがる」ということは、ここまで危険で、でも抗いがたい行為なのか、と。1ページごとに描かれていることの厚みがすごい。


でも読みながら、ちょっとセンチメンタルな気分になっちゃって。この2年ぐらい音信不通の友人がいて。昔一緒に演劇をやっていた人なんだけど。彼がいくつか演劇作品の構想を話してくれて、僕や仲間たちはその構想をすごく気に入ったことが何度かあった。「チ。」を読むと、彼が話してくれた「演劇の構想」のことを思い出すんだ。「どんなに賢く強い人間も、運命の前では無力」みたいな手触りの作品が、ひょっとしたら僕らにも作れるんじゃないか、と何度も思わせてくれた(いくつか発表に至った芝居もあったけど、完成してみると、その構想が実を結んだとは言えなかった)。


元気にしてるかな。読んだマンガの話したいよ。「チ。」もきっと読んでるだろう。あれ、最高だよな。

 

3月某日 「子どもが話し合って決めるべきこと」なのか?

最近ちょっと気になった、あるツイートについて。「マスクの着用については個人の判断」という方針が出たことを受けて、「子どものクラスで、今後どうするかを話し合った結果、自主的なルールとしてマスク着用を続行することに決めた」みたいな話が拡散されていた。


僕が気になったのは、そのエピソードがある種の美談として、「子どもたち、よく考えた」「子どもたち、優しい」と肯定的なニュアンスで伝えられていたこと。おいおい、ちょっと待ってくれよ。本当にそれ、美談なのか?


ちゃんと確かめてないけど、たぶん小学校高学年ぐらいのクラスなんだと思う。ひょっとしたら、中学生、高校生かもしれない。「クラス内でマスク着用を続けるべきかどうか」って、はたして「子どもが話し合って決めるべきこと」なんですかね。

 

おそらく、熱心で優秀な担任の先生がしっかりオーガナイズして、子どもたちは聞き分けがよく、まとまりのいいクラスの学級会だったんだろう。そんなの、話し合って決めたら、「なんとなくマジメっぽい雰囲気の結論」に流れついちゃうんじゃない? 多数決で決めたのか。挙手による投票だったんだろうか。もし、匿名だったとしても、僕が小学生だったら、本音ではマスクやめたいと思ってたとしても、「着用続行」以外には投票できないよ。だって、それが担任の先生の求めてる結論じゃないか。というか、その空気を事前に読んで、「マスク着用を続けたい」と思うように自分を(無意識に)操作してしまう気がする。


“こっくりさん”のコインをみんなで動かすのと同じように、「みんなが望んでいるであろうマジメっぽい結論」に、着地しちゃうんじゃないかな。それって、「話し合いの結果の自主的な判断」って言えるのかどうか。


もし僕がクラスの担任だったら、「どんな条件を満たしたら、マスク着用のルールは終了になるのか」「感染流行の状況を、誰がどのように確かめるのか。それは子どもたちが正しく判断できることなのか」「議論の方法は? 投票の方法は? 決まった結論に強制力はあるの? ルールを破る人がいた場合どうするの?」「クラスのメンバーやその家族の基礎疾患の有無はシェアできないよね。だったらリスクはどうやって評価するの?」についても意見交換させてみたい。その上で、「これってクラスの学級会で話し合って決めるべきことなのか」について、まず話し合いたい気がするな。たぶん、そんな考えはまどろっこしいんだろうな。

 

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