鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る    ⑫(ドラえもん映画に不満だった件)

2023年3月某日 ドラえもん映画に不満だった件

ドラえもん映画、子どもたちと見てきた。春休みの出かけ先として、「映画」は気楽でいい。どこか遠出をするには時間も準備も、なにより気力が必要だけど、映画に行くには準備が要らない感じ。準備が要らないということは、面倒になったら行かなくてもいい感じがする。


見る映画を子どもたちに選ばせたら「ドラえもん」だったのはちょっと意外だったかも。ひょっとしたら、もうちょっと大人も見るような映画の方が面白く感じるかもしれないんだけど。まあ、「よく知らない」ものは「見たい」と思えないのかもしれない。


さて、子どもを連れて行った映画で、ひょっとしたら初めて最初から最後まで寝ずに見ることができた。今まではトーマスもプリキュアもポケモンも、どうしても途中で寝てしまっていた。本当は、映画が終わってから子どもに感想を聞いて、「感じたことを自分の言葉で説明する」練習をさせた方が教育熱心なんだろうけど、どうしても最後まで起きていられなかった(というか開始15分で寝てた)。それが今回は寝ずに見れた。単純な話で、昔は子育てにいっぱいいっぱいで、ずっと「チャンスがあったら迷わずに寝る」というモードだったんだろう。


のび太、しずかちゃんに若干ウザがられても何度も誘うし、新しい道具と出会ったらとりあえず試すし、「パーフェクト小学生になりたい」とか言えるし、メンタル強すぎるだろ、みたいなことを思いながら見てたんだけど。あとから振り返ってみると、ドラえもんの映画、おもしろくなかったかもしれない。


あれ、そうかな。いくら子ども向けとは言え、「プロの作ったエンタメコンテンツ」としての説得力はあったような気がするんだけどな。


空の上に「ユートピア」があって、優しい人々がお互いを助け合いながら生活してるんだけど、その「理想」は見た目だけ。実際は、洗脳されて喜怒哀楽を失いながら生きさせられるディストピアだった。ジャイアンもスネ夫も、心を失って元の自分にどんどん戻れなくなっていく。たとえ意地悪だったとしても、「らしさ」を全体のためになくさせるってどうなのよ。でも、のび太は怠け者すぎて洗脳されなかった、みたいな展開。


意外性と納得感のバランスがよく、分かりやすいし、感情移入にもムリがない感じ。最後には見事な伏線回収もあって満点に近い着地だった気がする。ん、だけど… やっぱ、面白くなかった。子ども連れて見た、ドラえもんの長編映画、ひょっとしたら「映画」というものの「面白くないところ」が凝縮されてるかもしれない。


映画って、100~120分ぐらいのまとまった時間を費やして、お金を払って見るじゃないですか。そうするとやっぱり、「それなりの納得感」とか「外れのない安心感」とかを、観客としてはどうしても求めてしまう。特に、子どもを連れて行ったら「満足させてくれよ」と思わずにいられない。観客がそれを求めたら、プロの映画製作者たちは当然それに応えるわけで。でもその予定調和って、クソほど面白くないよね、と。


ドラえもんの面白さって、もっとシュールで、ユーモラスで、狂気じみていて、意地悪な風刺や皮肉があって、予定調和や納得感とは真逆のところにあるんじゃないか、と。


「ドラえもん」というコンテンツと、「ドラえもん映画」は別物だろうし、子どもたちを満足させてくれてありがとう、と素直に思ってる。映画の完成度が高かったからこそ感じた不満なんだろうな。

 

 

3月某日 モノの値段は需要と供給の関係で決まる

コールセンターで20年以上勤務してるんだけど、4月から時給がだいぶ上がる。どのぐらい上がるかは具体的には書かないけど、上がってうれしいというよりは、腹が立つぐらいなんだ。


僕は、「アルバイトスタッフの上限時給」に10年ぐらい前に達していて、その「上限」に傷ついてきた。「上限」があるのは、「アルバイト」と「正社員」の時給が逆転しないようにするためらしい。「そんなのおかしいでしょう。だって、ただの雇用形態じゃないですか。アルバイトスタッフが、正社員と同じだけの責任感、経験、能力を身につけることだって、珍しいかもしれないけどあるはずじゃないですか。僕だってチームリーダーや現場マネージャーできますよ」「マネージャーを選ぶときに、もし、ある特定の血液型の人が候補から外れるならそんなのナンセンスですよね? 性別や出身地で有利不利があるなら大問題ですよね?」「なら、雇用形態によって、上限が定められてるのおかしくないですか?」みたいな話を、半年か1年に一度ぐらいのペースでその時々の上司にしてきたんだけど(上司たちは、「まあ… そうですね…」と苦笑して、気まずい沈黙が続くだけになる)。


「上限に達した」というのは、つまり、「これ以上は特に頑張っても評価しません」という意味だ。その状態でモチベーションを維持するのって、相当難しくないですかね。お金だけの話じゃなくて、「張り切って働くこと」を僕から奪ってるんですよ。「誰に評価されなくても、自分は見てる。張り切って働くべきだ」って思える人がいたら、偉いなとは思うけど、友達にはなれないな。


…みたいなことを思いつつも、「怒りながら働く」のは精神衛生上よろしくないので、「まあ、そんなものだろう」と自分をいなしながら働いてきて。


それが、ここに来て、時給の大幅アップである。これは、職場のオペレーター全体が対象で。どういうことかと言うと、「同業他社よりも低い今までの時給水準では、求人をかけてもスタッフが集まらない」というスーパーシンプルな理由であって。その、募集時の新人時給の大幅アップに合わせて、既存スタッフの時給も見直された、と。


まあ、なんとも滑稽な話じゃないですか。「忠実な勤務態度、積極的な姿勢での業務遂行」みたいな、「やる気と能力を評価して時給を上げますよ」という会社からのメッセージを鵜呑みにして、「じゃあ頑張らなくちゃ」とか「上限に達したということは、もう頑張っても無駄なのか、そりゃないぜ」とか思ってきたけど、大前提として、モノの値段は需要と供給の関係によって決まる、と。そこに、それ以外のエモーションを持ち込むのはあんまり意味がないですよ、と。


まあ、脱力しているところ。もちろん、時給アップはダイレクトにありがたい。でも、「アップしすぎて逆にむなしい」みたいなところが不条理でいいな、と。

 

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