鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑮(嫌いな人の存在にやや狼狽してる件)

2023年4月某日 嫌いな人の存在にやや狼狽してる件

新年度になって、会社のチーム編成もちょっと変わって。僕が「嫌い」だと思ってた人が、8年ぶりぐらいに同じチームになったんだけど。


「嫌い」と認識してしまうと、「嫌悪バイアス」(※今考えた言葉)が働いて、その人のことをますます嫌いになってしまう、みたいなことってたぶんある。食べ物でもたぶん同じで、例えば「きのこ類が苦手」と一度意識すると「きのこの嫌いなところ」を思い浮かべて、その風味を確かめるように食べるようになるので、ますます嫌いになっていく、みたいなこと。それが人でもきっとある。


だから、「この人嫌い」とはあんまり意識しない方がたぶん自分にとってもいいはずなんだけど。・・・やっぱ、嫌いだった! 


職場の同じチームに、嫌いな人がいるの、ハラハラするぜ。あの人のことを嫌ってること自体、僕にとっては屈辱なんだ。本当なら、人の嫌なところをオートでミュートできるような、イヤな気持ちに構ってらんない、というような態度で過ごしたい。嫌いな気持ちが続くのは、「こいつがオレの上司なのかよ」っていう、正社員への嫉妬の気持ちが燃料になっているからであって、そのことも自分で気づきたくない。


何がハラハラするかって、その人にも、誰にもこの気持ちは気づかれたくない、ということ。ちっちゃいナルシシズムかもしれないけど、嫌いな気持ちや嫉妬は仕方ないとして、それを表に出したくない。それができるかわからなくて、ハラハラするな。


やっぱり、嫌いだと再認識してしまった。できれば「嫌いかどうかあいまいなまま」にしておきたかったけど仕方ない。そんなこともあるでしょ。


むしろ、出勤時と退勤時にちゃんと挨拶しよう。仕事上必要なコミュニケーションは、避けずにフェアに接しよう。その上で、嫌いな気持ちはしょうがない。その気持ちに流されないように落ち着いて過ごしたい。

 

4月某日 クーポンが価値判断をバグらせてくる件

読んだマンガ。


「九条の大罪」(真鍋昌平)…1~3巻。僕はKindle Unlimitedとは別に、ブックライブという電子書籍サイトを利用してマンガを読んでるんですけど。このサイト、毎日1回クーポンガチャが引けるんですね。これがもう、本当に困ります。たまに「20%OFF」が出て、それがその「当日中のみ有効」みたいなやつで、「使わないともったいないんじゃないか」みたく、価値判断をバグらせてくるんですよ。


それで、「1巻~3巻に使える20%OFF」というクーポンが出て。「1巻~3巻」にしか使えないんだから、その縛りはなんにでも使えるクーポンと比べれば不利なはずなんだけど、まあでも、逆に使っちゃうよね、という。「闇金ウシジマくん」はすごく好きだったけど、もう2度と読みたくない(賛辞)から、まあ、しょうがない。「九条の大罪」。どうせいつか読むし、と思いながら課金して。

 

面白かった。ウシジマくんよりも、ちょっとライトで、でもドライな感じかな(それとも今後変わってくるのか)。時々「つぶらな瞳」というか、目がキラキラ潤んだ絵が出てきて、それが何とも言えずに怖い気がする(まだ人間味を失ってなかったのかよ、みたいな)。ウシジマくんと、絵の違いを研究したら面白い気がするけど、もうウシジマくん読みたくない(賛辞)から、たぶん研究できないんだろうな。


それにしても、(例えば)「ゴミであふれた部屋」の精巧な描写ってめちゃくちゃ怖いな。暴力シーンも怖いけど、「片付く見込みのない部屋」の怖さ、エグくないですか。


たぶん、「自分が自分じゃなくなること」って、シンプルに恐怖で、でも、誰にでも(僕にでも)起こり得ることだと、結構簡単に想像できて。暴力も怖いんだけど、「酒とツマミ」の関係みたいに、「暴力」と「ダメさ」が相乗効果で不幸を加速させる、みたいなことを「ゴミで埋めつくされた部屋」を見ると一瞬で想像してしまうから、怖いのかな。


いやあ、続き読みたくないな(賛辞)。でも、使えるクーポン当たったらそのタイミングで勝っちゃうんだろうな。ブックライブも怖いわ。


「東京都北区赤羽」(清野とおる )…1~3巻。こちらはKindle Unlimitedで。作者の「売れない漫画家」としての日常と、赤羽の街レポをブレンドしたエッセイマンガ。赤羽の街にいる「ヤバい人」を体当たりで取材して(というかダル絡みされたりダル絡みしたりして)ネタにした、悲しみと滑稽みの私小説マンガ。こう書くと、面白いのかつまらないのかよく分からないな。(僕の中でも、そのどちらなのかまだ決まってない感じで、そこがいいのかもしれない)


つげ義春を読んだ時と、後味が似てる気がするんだけど、どうだろう。まあ、つげ義春には「文学的な昇華」があるわけであって、その土俵で比べたら、もちろん全然違うんだろうけど、それはそれとして。


これはちょっといつか研究したくて。「21世紀のつげ義春、令和のつげ義春いるのかよ。いないなら、それってなんでだよ」と。

 

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