鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑱(僕の中にも“無敵の人”はいる)

2023年4月某日 面倒なことを代わりにやってくれてる

スプラトゥーンの、「サーモンラン」の動画をツマミにしながら、翻訳スクールの添削仕事をやってる(12分添削したら6分動画見る、みたいな)。これが、なんというか悪くないんである。僕がよく見てる配信者さんは、毎日2時間半ぐらい配信をやっていて、それをつまみ食いさせてもらってるんだけど。


何が悪くないか、というと、「12分仕事」の合間に「6分動画」を挟むことで、逆に仕事が続けられる、というか。結果1時間半ぐらい続けられる。そのうち30分は仕事してないんだから、非効率に思えるんだけど、実はそうじゃないんじゃないか。


仕事に飽きて、自分でスプラトゥーンをプレーすると、それは6分では終わらないような気がする。他人がプレーしてるのを見るから6分で済むわけであって。そう思うと、「僕の代わりにサーモンランをやってもらってる」みたいな感じがしてきて、それがちょっと面白いな。


大量に発生するザコ敵と、中ボスと、大ボスを、めちゃくちゃ効率よく倒し続けてくれるのを見て、なんとなく安心して僕は仕事を続ける、と。


思ったんだけど、テレビでもYouTubeでも、あの人たちは僕の代わりにいろんなことをやってくれてるんじゃないか。うまいもの食べたり、まずいもの食べたり、ドッキリしかけられたり、筋トレしたり、ネコ飼ったり。全部、やってみたいけど面倒だもんな。スプラ、自分でうまくなるの面倒でしょ。

 

4月某日 僕の中にも“無敵の人”はいる

「無敵の人」っていう言葉がある。「失うものがないから、犯罪(など)に躊躇がない人」のことを言うらしい。そういうヤバい人は動機のない暴発をするわけであって、誰もが被害者になり得るから怖い。怖いから、逆に「無敵の人」なんていうキャッチ―な呼び方で呼ぶのかもしれない。


今日会社で働いてる時に、この「無敵の人」っていうフレーズをなんとなく思い出したんだよな。なんでかっていうと、僕自身が会社の中で「無敵の人」みたいな存在になっちゃうんじゃないか、とか思ったから。


どういうことか。新人のスタッフさんの教育係を、ベテランスタッフが交代でするんだけど、昨日僕が担当した人が、昨日やめてしまったらしい。それで、一瞬「僕がパワハラ的な言動をしたせいでやめちゃったのかも」と反射的に思って。


なんでかというと、その人はPCのリテラシーが限りなくゼロに近くて、僕は内心「こいつヤベえ」とか思って。なんでそんな攻撃的なことを思うかっていうと、僕だってPC知識に自信がないからであって、その新人さんが想定外のところでハマってそれを僕が助けられず、一緒に恥をかくハメになるのが怖いからなんだろうけど。


もちろん、そんなことは内心で思ったことで、誓って態度には出してない。だけど、内心バカにしてることって、伝わるじゃないですか。その人は、バカにされることに慣れてるから、そういう人って、バカにされてることにすぐ気づいちゃって、ますますうまくいかない、みたいな。だから、「もしかしたら、なんとなく伝わったのかも」とか思ったんだ。


「○○さん、昨日で辞めた」という話を聞いて「俺の態度に問題があったかも」と反射的に思ってから、昨日のことを振り返って。「いや、何もパワハラ的な言動はしなかった」と確認してから「僕のせいかもって思わずに済んで、助かった」と息を吐いた。でも、「ひょっとしたら、僕の教え方や、人としての信頼感的な部分がもっとマシだったら、昨日辞めずに済んだんじゃないか?」ぐらいは思った。そのすぐあとで、「いや、僕の教え方とかそんなことあんまり関係なくない? 結局本人が仕事に自信を持てなければ、遅かれ早かれ同じことじゃない?」とかも思って。


で、そんなようなことを思いながら、「別にどっちでもよくないか」ともめっちゃ思ったんだよね。僕の教え方がよくて、新人さんの仕事の定着に貢献したとして、僕の時給が上がるわけじゃない(アルバイトスタッフの上限に達してるから)。というかむしろ、新人スタッフがどんどんやめてくれた方が、既存スタッフの価値は相対的に上がるわけであって、そっちの方がちょっと得なぐらいだ、とか。


この、「新人が1週間で辞めようが、まったく心が動かない」みたいなことが、「無敵の人っぽいな」とちょっと思った。


ちょっと別の話。職場では、僕のチームは2つの業務を兼任していて、メンバーはその日ごとに「仕事A」と「仕事B」に割り振られるんだけど。それで、時間帯によって忙しさは増減するので、「A担当の人が仕事Bをヘルプする」「B担当の人が仕事Aをヘルプする」という状況が発生する。


僕は「ヘルプが必要な状況」になったら、積極的にポジションチェンジを申し出るように気をつけていて。なんでかというと、上司にポジションチェンジを言われてから「仕事上の指示に従って」やるよりも、「自分から率先して」やる方が気分がいいから、なんだけど。いや、もっと正直に言えば、「年下の上司から指示をされる」っていうみじめさを感じずに済むから、みたいなこと。


で、この「ポジションチェンジを率先してやる」っていうのはどういうことかと言えば、忙しい方の業務に自分を置くわけだから、「ポジションチェンジに消極的な人」よりも仕事は増えるわけであって。


でも最近、それがバカバカしく感じてきてる。「率先して仕事を見つける」みたいなことをしても、仕事を見つけようとしないメンバーが楽になるだけじゃないか。僕の評価が上がって、時給が上がるわけでもないし。


そんな、「別に褒められるわけでもないし、仕事なんて指示があったものだけやればいいや」みたいな、ちょっと荒んだ気持ちで開き直った時に、「これってちょっと“無敵の人”じゃね?」とか思ったんだ。それで、“無敵の人”って、やっぱり結構みじめな気持ちだな、とも同時に思ったんだよな。「気を利かせても損するだけだし、どうでもいいや」みたいに思う自分が哀れで、だって「オレって気が利くな」とか思ってた方が気分いいじゃないか。


それで、もっとみじめなテンションがエスカレートすると、「あれ、今まで、オレって気が利く、って、ちょっと自慢に思ってたのか。ダサいな」とか、「ていうか、違うな。“気が利くヤツ”になった方がいいって、自分で思うんじゃなくて、会社の得になるように思わされてただけなんじゃないか」みたいなことまで考えたりして。


そんな風に、僕の中にも“無敵の人”っているよな、と思って、「ちょっとした発見」みたく感じたんだけど。書き出してみると、結構当たり前のこと、というか。「会社の業績やチームの成績が上がったところで、オレが得するわけじゃないし」と、すねてるだけで。でも実際には、“無敵の人”に自分を100%委ねる場面は想像しにくくて。


ただ、相当に貧乏だったり、相当に睡眠不足だったりして、冷静な判断がまったくできなくなったら、僕も自分の中の“無敵の人”に、自分を明け渡してしまう時があるかもしれない。今のところそうはならなそうだけど、少なくとも“地続き”ではあるような気がしてる。僕の中の“無敵の人”、もうちょっと観察してみたい。


4月某日 感情移入の行き場がない

読んだマンガ。


「フラジャイル 病理医岸京一郎の所見」…11~24巻。ブックライブ(電子書籍サイト)で、毎日1回クーポンガチャがひけるんだけど、たまに20%OFFが当たると買い足して、ついに最新刊まで追いついてしまった。ずっと面白い。どのエピソードも面白い。ストーリー、キャラ、展開がしっかりと味付けされてるんだけど、余計な演出はあんまり入ってなくて。「味が濃いけどスッキリしてる」みたいな、力のあるエンタテイメント。


いいセリフが出てくるタイミングがめっちゃよくて、説教くさいとか思わずに素直に響くんよな。ストーリーの構造が常に分かりやすいのに、悪役が主人公たちを引き立てるための「ただのイヤな奴」とかじゃないのも説得力あっていいな。早く続きが読みたい。


「ひゃくえむ。」(魚豊)…全5巻。100メートル走を題材にしたスポーツもの。版画みたいな絵柄で、彫りの深いキャラたちが、彫りの深いセリフを連発してくるのな。松本大洋の「ピンポン」「ZERO」とかを思い出した。松本大洋の方がちょっと柔らかいかな(画面から動きを感じられる)。じゃあ魚豊の方が表現力がヘボいのかと言うとそんなことはなくて、「ぽさ」(アートっぽさ、とか)に逃げずに本質だけえぐりだそうとする誠実さ、みたいなものをより感じられる気がする。


(なんというか、僕(あるいは「僕ら」)の中で松本大洋は神格化されてるので、比べると逆に分かりにくくなるかも。ちょっとズレてるかもしれません)


「九条の大罪」(真鍋昌平)…4~8巻。これはね、もう読みたくないんですよ(賛辞)。でも、目が離せない。ヤクザや半グレからの依頼を受ける九条弁護士の底が知れな過ぎて、怖カッコいい。善悪を捨ててるとかじゃなく、誰よりも厳しく善悪を見てるっぽいんだけど、それを語らな過ぎて、読んでるこっちは感情移入の行き場がなくて。ものすごく不思議な読書体験だぜ。最新刊まで追いついちゃった。続きは読みたくない(賛辞)。

 

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