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2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑬(実物大ガンダムが案外気に入った件)

2023年4月某日 実物大ガンダムが案外気に入った件

子どもたちとお台場までおでかけの1日。メインはシルク・ドゥ・ソレイユの「アレグリア」である。


出かける前、「自分で持つから、電車で読む本を持って行っていいか」と娘が聞いてきた。もちろんOKなんだけど、「自分で持つから」というのがちょっとうれしかったかな。例えば、子どもたちには「言われないでも宿題を自分でやれば、パパは“宿題をやりなさい”って言わずに済むでしょ。そうすればパパは気が楽だし、君たちは宿題やる時間を自分で決められるじゃん」みたいなことを話してきて。そのとおりに、僕は子どもたちに対して「宿題やりなさい」とか「宿題終わらせてから遊びに行きなさい」とか言わずにやってきたんだけど。


「自分で持つから」というのは、「出かける時に持っていく荷物を自分で決めて、準備する」という意味じゃないか。いつの間に、そんなことができるようになってたんだ? ひょっとしたら、修学旅行の荷物の準備も、自分でできるんじゃないか、とか思ったらちょっと嬉しくなった。(いずれにせよ、手助けはなるべく最低限にしよう)


それで娘は、「マンガ日本の歴史」を3冊、自分のリュックに入れている。それを選んだか。確かに、その3冊を娘ではなく僕が持っていくとしたら、「荷物が重くなるからどれか1冊にしてよ」と言ったかもしれない。なるほど、子どもが自分の持ち物を自分で用意するのってやっぱりいいな。もし重たくて嫌だったら、次回からまた工夫してくれるだろう。


と、ここで僕はハッとして息を吐いた。「マンガの日本の歴史」、いつ買ったか覚えてないけど一揃い注文して、本棚に置いておいたままになってたやつじゃないか。ようやく手に取ってくれた…! 「せっかく買ったんだから読みなさい」的なことを、言うのをずっと我慢して、我慢してるのもダルいので忘れてたぐらいのやつだ。大変恥ずかしながら、気分がいい。賭けに勝った気分。親に言われて読むよりも、自分で勝手に読む方が楽しめるだろう。


息子は「将棋の渡辺くん」を選んだ。もう何回も読んでるはずなんだけど、彼の中で根強い人気みたい。


さて、1つ目の行き先は、「日本科学未来館」。つい、「科学館」とかを選んでしまう。他にも、室内遊園地みたいなところも調べたんだけど、楽しみ方がいまいち想像できなくてパスした。人と光と音に圧倒されて、ちょっと引いてしまう自分を想像したんだけど、この発想、情けなくていかにも僕らしい。「さあ、楽しんでください」みたいな場所で、いまいちノリが分からなくて楽しめないと、なんかみじめな気持ちになっちゃう、そんなことを想像して外出の時の選択肢から外してしまう。子どもたちよ。もうちょっと大きくなったら、友達と行ったらいいと思うよ。

 

科学未来館、理科の教科書を分解して、映像とか模型とかのアートを交えながら立体化した、みたいな巨大な建物。「人類の未来がピンチ」というようなデカいテーマに圧倒されるの、なぜか分からないけど嫌いじゃない。アリも象も、花も蝶も森も、たぶん未来の心配はしてないだろう。自分の命を、「今」つなぐことで精いっぱいだ。人は、未来を心配して。「ああ、どうしたらいいか。ああ、どうしようもできない」みたいな無常観を味わってやがるんよ。贅沢な話だ。


3Dメガネをかけて見る立体プラネタリウム的な映像も見た。上演時間25分だったけど途中で寝ちゃったな。「子どもを連れてどこか行って、座って映像を見るとその最中に寝る」のはもはや条件反射みたいなことになってるのかもしれない。しょうがない、夢の中で宇宙を旅して追いつくしかない。


全部合わせて2時間ぐらいで、未来館を出ることにする。この時点で、「アレグリア」の開場まであと1時間ほど、そこから開演はさらに1時間後なので、時間はだいぶ余ってるんだけど、とりあえず会場を確認したい。たぶん来るときに見えた黄色と紫の巨大テントが会場だと思うし、google mapでも徒歩4分の距離だと分かってるので、まったく急ぐ必要はないんだけど、とりあえず会場まで歩いて確認。やっぱり、ゆりかもめから見えた巨大テントだったし、google mapも完全に、容赦なく正確だった。


時間が余ったので、実物大ガンダムの写真を撮りに行く。ガンダムというか、ユニコーンガンダムなのか。このユニコーンガンダムは、ガンダムとはどういう関係なのか。親戚関係(デザインや機能を同じシリーズの兵器として継承しているのか)なのか、それともまったく別ものなのか。ていうか、そもそも世界観だけは共通だけど、「ガンダム」と「ユニコーンガンダム」は別の世界のものなのかもしれない(全然知らない)。


いやあ、「実物大ガンダム」、これを作っておいてしまおうという発想が面白いな。お台場って、「未来館」も「フジテレビ」も「レインボーブリッジ」もそうだけど、「人工物」っていう感じして、いかにもシムシティっぽいというか、ジオラマっぽいというか。例えば、杉並や世田谷の住宅街や商店街を歩いていて、そこだってやっぱり人工物に囲まれてるんだけど、普段の光景すぎて「シムシティっぽさ」はあんまり感じない気がする。それに対して、お台場へ向かう時にゆりかもめから見る風景には、「海と空(人工物ではない)」の割合が大きくて、そこに「高速道路とデカい建物(人工物)」が無理やり陣取ってる感じ(人類が頑張ってる感じ)がある。そこに、ガンダムを置くことによって、ますますお台場という場所の“ジオラマっぽさ”が強調されるじゃないか。本物の風景のはずなのに、ガンダムの写真を撮るために作られた舞台セットになってしまう。お台場のウソっぽさが完成する、というか。


ていうか、「実物大」ってなんだよ。フィクションでしょ(実物大以外にも妥当な言葉があるんだろうけど)。「大仏」的な存在として、なんとなく受け取ってたけど、ガンダムって兵器じゃないのかよ。何の象徴なんだよ。おばあちゃんとかが写真撮ってたけど、これが何なのか意味わかってるんだろうか(というか、分かってないだろう。僕も分かってない)。


映画でもマンガでもゲームでも、「かつてあった文明」みたいな意味合いで、「自由の女神」が出てくるじゃないですか。「かつてこの星には人類が繁栄し、こんな巨大な何かを作った。しかし、これがどんな意味を持っていたのか、もう分からない」的な意味で。それに感覚に近いような終末感が、ユニコーンガンダムにありません?


…というようなことを、実物大ガンダムを見た瞬間に感じて、「すげえアートじゃん」とか思ったんだよな。でも、写真撮り終わった10秒後には「まあ、すごいアートっていうほどでもないか」とも思ったんだけど。


AIの進化で、動画も静止画も「フェイクかどうか」が素人ではなかなか見分けられなくなりつつあるし、それって近い将来「現実」と「仮想現実」の見分けもつかなくなっちゃうんじゃないか、という予感は結構な恐怖だと思うんだけど、この「ガンダム体験」は、「ニセモノ」と「ホンモノ」の判定が揺らぐ恐怖と、「まあでも、ひょっとしたら痛快なことなのかもしれない」というノリを、同時に味わえて楽しかった気がする。


(ところで、この「ガンダムの感想」がここまで長くなったのは我ながら驚いた。実際に子どもたちと写真を撮ってる時にはそこまで強い衝撃を受けたわけではなかったんだけど、あとから振り返って言語化してみると、なかなか味わい深かったような気がします。日記書くの、やっぱりちょっと面白いな)

 

さて、子どもとガンダムの写真も撮り終わって(妻にLINEで送るために適当に撮っただけである)、未来館を出てから8分ぐらいしか消費されずに余った時間。運のいいことに陽気もよく、その辺に座ってマンガを読む時間にすればよかった。(僕はHaruki Murakamiを。「BARN BURNING」、なかなかクレイジーよな。子どもの隣で読む話なのか、疑問はある)


そしていよいよ「アレグリア」見たんだけど。これは子どもたちも喜んだし、僕も圧倒されて、感動したよ。「美しい悪夢から目が離せない」みたいなトリップ感をソースにしながら、「鍛え抜かれた肉体が鍛え抜かれた技をする」というシンプルな快感を味わう感じ。あの、技の1つ1つが決まる瞬間って、そのパフォーマーの人生を懸けた夢がかなう瞬間じゃないですか。僕から見れば奇跡のような美技でも、彼ら自身からすれば「できて当たり前」のレベルまで練習したルーティンとしての「夢の実現」なわけであって、そんなのを連続で見てると、うれしくなっちゃうんだよな。年齢(中年を越えつつある)のせいかな。誰かの夢がかなうところを見ると、ほっとするんだ。できれば、スケールのデカい夢のほうがいいな。自分と比べて嫉妬せずに済むからね。


大満足の帰路。電車がめちゃくちゃ混んでて、怖かったほど。僕らにとっては春休みの1日だったけど、普通に平日の帰宅ラッシュの時間帯に重なってしまって。ホームではぐれないように手をつないだりして、それもなんか旅行みたいだった。

 

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