僕は、子どもたちに「サンタの存在をずっと信じていてほしい」とは思ってなくて。ただ、「幼稚園のクリスマス劇のあとにサンタからのプレゼントが配られる」みたいなのは好きだから自分からはバラさない気がして。「ちょっとだけ意地悪な近所のお兄さん」とかにバラしてほしい。今ぐらいの時期に。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年4月16日
(このツイートは4月16日のものだけど)
「子どもがサンタの存在を信じる」って、僕はなんだかよく分からなくて。「素晴らしいこと」なのか、「どうでもいいこと」なのか。「もしかしたら親のエゴが満たされるだけで、本当は子どものためにならないことなのかも?」ともちょっと思ったりする。
「親や先生じゃなくて、何か神様的存在が自分を見てくれているのかも」という感覚でサンタを感じるのはいいことな気がする。あと、「幸せのMAX」みたいなことを子どもが感じるイベントとして、理屈抜きで「健全な自己肯定感」を作る助けになりそうな気もする。
だけど、僕の感覚としては「サンタって幼稚園まででよくない?」という感じ。「サンタの存在信じちゃってるかわいいぃぃぃぃ! いつまでもそのままでいてほしいぃぃぃぃぃ!」みたいなのは、親のエゴというか、それに子どもを付き合わせて、幼いままでいさせてるのもどうかな、というような。
じゃあ、僕が子どもたちに「サンタネタバレ」をするかというと、今のところしていないし、積極的にネタばらしをするつもりもあまりない。それは「ネタバレ厳禁的な空気になんとなく流されて、消極的にウソに参加」というぐらいのことなんだけど。
ものすごく熱心にクリスマスを準備する家庭があって、冬に入る頃にはクリスマスの絵本を子どもと読み、12月に入ってからは毎日指折りクリスマスを楽しみにして、サンタクロースからのプレゼントは「売ってるものではなくて手作りの人形」・・・ そんなように熱心に準備してる家庭のワクワク感をブチ壊すのはさすがに抵抗があって、ブチ壊す側に回りたくない、というような。
そんなようなことを考えていて、「4月ぐらいなら、サンタのネタバレも“夢をブチ壊し感”が少ないのでは」と思うようになったんだと思う。
そこで思いついたんだけど。4月1日のエイプリルフールに「サンタはいないんだよ」というのはどうだろう。「サンタのプレゼントを買ったのはママだよ」とか言って、反応を見る。子どもがショックを受けてたら「ウソだよ」と伝える。その場で子どもは納得するけど、「要するに大人ってのは信用ならない」と大事なことを学んでくれるはず。
その上で、12月には「ウソだと知ってるけど、まあ盛り上がろうか。ウソでも笑ってるうちに、本当に楽しくなるのが人生じゃないか」みたいな、そんな子ども。僕はそっちの方がいいと思うけど、どうだろう。
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