「闇金ウシジマくん」読み終わった。
— 鯖缶 (@savacanmemo) July 6, 2019
すべてに救いがない話なのに、不思議と救いがある気がする読後感。
たぶん、「無力感」がキーワードだ。人間は暴力や恐怖、欲を前にしてどれほど無力なのかを見せつけられ、でもウシジマくんはその無力感から目を逸らさない。まさにダークヒーロー。
「闇金ウシジマくん」(真鍋昌平)は本当に怖いマンガだ。いろんな人が、いろんなルートをたどって借金を膨らませていき、加速度的に借金地獄に落ちていく話。
(↑Amazonのリンクです)
トルストイの一節で「幸福な家庭は似ているけど不幸な家庭はそれぞれ」とはよく引用される。「ウシジマくん」では、バリエーション豊かに「不幸のそれぞれの形、におい、味」を描いて、でもそれをあまりにとことん描くから、「結局ミンチになっちゃったらどんな不幸も見分けがつかない」みたいな感じになる。
この「どんな借金地獄も、結局はだいたい同じ」っていう感覚が、「果てのなさ」を感じさせて怖い。どの借金地獄も、最初はちょっとした欲(「この服を買いたい」とか、「ホストクラブに行きたい」とか「パチンコやめたくない)なのに、ちょっと油断してる間に借金は膨らみ、それと同時に欲も膨らんで(もっと最新の服を着ないと今まで金をつぎ込んだ意味がない」「もっとホストに貢がないと、嫌われるかもしれない」とか)、「わかっちゃいるけど、もう後戻りできない」みたいな状況に陥ってしまう。
この感じが、僕には他人事には思えない。というか、身に覚えがありすぎる。演劇に夢中になってた学生時代、幸いにしてヤミ金のお世話にはならなかったけど、「将来を質に入れる」という感覚は確かにあった。演劇なんて、「何を努力したらいいのかわからないもの」「何をもって成功した、と言っていいのか決められないもの」だから、常に自信がなかった。それで、授業をサボって台本を書き、バイトを休んで稽古をしていると、「なんか頑張ってる」みたいな勘違いができてちょっとの間だけ安心できる。
でも、その「安心感」は核のないスカスカの安心感だから、いとも簡単にエスカレートする。「前回の公演はバイト1週間休んだから、今回は2週間休む」「隣の劇団よりもオレたちの方が人生捨ててる」「だから、今、オレ頑張ってる」という、いとも残念な精神状態。しかもタチが悪いことに、「芸術へのピュアな憧れ」は確かにあるから、それを言い訳にしていくらでも将来を質に入れ続けてしまう。
と、こんなところが、僕にある「身に覚え」で、ヤミ金から借金するかどうかはともかく、ちょっとした欲や恐怖が、雪だるま式(複利の金利のように)に膨らんでいく体験は、大なり小なり誰にでもあるんじゃないか。ちょっとしたウソをついて、そのウソがバレるのが怖いあまりに、もっと大きなウソをついて、というような連鎖なんかでもいい。身に覚えがあるから、「闇金ウシジマくん」は怖い。怖いのは、暴力じゃなくてダメ人生の加速度だ。
でも、僕はウシジマくんにある種の「救い」を読み取ってた。それは、「自分でケジメをつけろ。こんな地獄にハマったのは自分のせいだと、認めるしかないだろ」という哲学が、ウシジマくんにあるからかな、と思う。
「自分は悪くないのに、周りに騙されてハメられた」と思えば、自分のプライドが保てて、少しの間は慰められるかもしれない。でも、「僕は悪くない」って思うことは、実は救いがないんじゃないか。「僕は悪くない」なら、借金地獄は自分では解決できない。ならば、「自分のせいだ」と認めることからしか、解決は始まらない。解決するかは分からないけど、「自分のせいだ」と思うことには、多少の救いがある。ウシジマくんは、お前の人生はクソだと説教もせず、お前のせいだと責めもせず、お前はかわいそうだとジャッジすることもない。ただ、「金を返せ」と言うだけだ。死神の持つ公正さに、ちょっとだけ救われる気がする。
万華鏡を覗き込むような、走馬灯にめまいがするような、そんな不幸の加速度、恐怖。それを見続ける時に感じる、ほんのちょっとの救いのリズム。そんなマンガ。すごく面白かった。もう1回読みたいかと言うと、あんまり読みたくはない。
(よかったらこちらもどうぞ↓)