ツイッターで僕が無鉄砲につぶやいたことを、時々振り返って反省するコーナーです!(「最近」と言っても、もはや半年前のツイートをほじくり出して語り直しているわけで、我ながら悠長な話です)
今回はこんな感じ・・・
七夕の短冊の話
七夕の短冊、面白いのとか、ほっこりするのとかを見るのは好きなんだけど、他人の願いごとを写真に撮ってツイートするのはちょっとデリカシーが少ないかな、と思う。
— 鯖缶 (@savacanmemo) July 7, 2019
七夕の短冊の醍醐味は、「他人の願い事の覗き見」にある。ユーモラスなもの、ほっこりするもの、意味不明なもの。それぞれに面白い。そして、「様々な手書きの字」から短冊の書き手を想像するのも楽しい。
だけど、それを写真にとってSNSで流すのはどうか。たとえ悪意がなかったとしても(というかむしろ悪意がないからこそ)、僕にはその行為はちょっと怖い。神様への手紙を盗み見するだけじゃなく、盗み見したことを堂々とアピールするなんて、心のたくましさがすごい。
(まあ、本当は自分で書いたものを、「こんなの見つけた」とか出してるのかもしれないけど)
ところで、上のツイートの「ちょっとデリカシーが少ない」っていう言い草は我ながらちょっそ好き。「デリカシーがない」と決めつけるのは避ける気の弱さを見せつつも、よりイヤミっぽい言い方じゃないか。もっと使ってみよう。「考えの深さが少ない」とか。「人間としての品が少ない」とか。
理想論が実は現実的なことだってあるんじゃない?
子どもを、「自分の所有物のように考えて支配しようとする」ってのは、倫理上、教育上よろしくないというより、「そもそもムリ。うまくいかなくてストレス溜まる一方」だから、「他者として尊重」というのは、理想というより「実践的な対応」という実感があります。
— 鯖缶 (@savacanmemo) July 12, 2019
ちょっとまだうまくまとめられないんだけど、宿題として。「一見ただの理想論」が、「実はもっとも現実的」みたいなことって、案外よくあるんじゃないか、という気がする。
例えば、「劇団」や「スポーツチーム」という特殊な人間関係では「パワハラ、セクハラがあって当たり前」と言ってしまうか、「だからこそもっとも厳しくハラスメントを排除しなければならない」とするか。
僕には一般化できる正解があるかはしらないけど、「パワハラを排除したマネジメントをします」と言ったときに、「そんなの単なる理想論だろ」と批判するのは認識が浅そうかな、とは思う。実現は難しかったとしても、強いチームを作るために現実的に必要なことを言ってるだけかもしれない。
ああ、そうか。「理想論を語ること」が「厳しい現実を直視していない」とイコールで結ばれてしまうのが雑だ、と感じてるということか。
「理想論」の中には、「現実を無視した机上の空論」もあれば、「現実を直視した上でなんとか紡ぎ出した希望」もある。同様に、「現実論」だからと言って、理想論より丁寧に現実を見ているとは限らない。
先制攻撃の是非を語るときに、しばしば「相手が突然攻めてきたらどうするんだ。最悪の事態を想定しろ」という言い方で先制攻撃を肯定する議論がある。でも、「攻撃する意図を持ってない相手を、(恐怖から)誤って攻撃してしまうこと」の方が事態としては最悪に近い、とかよく思う。
「先制攻撃の放棄」を、「現実を直視しない理想論」として片付けてしまってよいものか。戦闘を回避する完璧な策ではないのは確かだけど、ひょっとしたらベターな策なんじゃないか。
(我ながら雑なこと言ってるな、と思うので、この辺にします。続きはまたいつか考えます)
答えがあるのかを最初に決める
「詰将棋の最大のヒントは、“詰みが存在するとはじめから示されていること”」みたいな例えを柄谷行人は結構何回もしていて、めっちゃ分かりやすいと思って。職場でも、「定義付け可能な問題」を「詰みがある」とか言うんですけどほぼ通じない(詰まない)。
— 鯖缶 (@savacanmemo) July 13, 2019
職場の会議でも「結論が出せる問題」「結論が出せない問題」の判断を前もってしておけばスムーズ。結論が出せない問題なら、実践的な妥協案を共有する方向に話を持っていくし、結論が出せる問題ならスパっと煮詰めればいい。
— 鯖缶 (@savacanmemo) July 13, 2019
翻訳の調べ物でも、「検索すれば分かること」なのか「検索しても分からないこと」なのかの嗅覚がまともになると、仕事が速くなる。
— 鯖缶 (@savacanmemo) July 13, 2019
このツイート郡に特に付け足したいこともなくて、同じ内容の繰り返しにはなるんだけど。「答えがあること」と「答えがないこと」の見極めが重要で、それができると仕事の精度やスピードが変わる、っていう話。
とは言え、上の例でもあるとおり、「詰将棋」には「正解」があるけど、現実には正解がないことがほとんどだし、たとえ正解があるとはいっても曖昧で暫定的なものだったりする。
じゃあどうするかというと、「正解とする手順を決めておく」なのかな、と思う。
マンガ「HUNTER×HUNTER」の幻影旅団には、「揉めたらコインで」っていう掟があって、それはメンバーがもともと合意してる。「正解がない(意見Aと意見Bがどちらが優れてるか決められない)」なら、グダグダ揉めずにコイントスで決めろ、ということ。
翻訳ではどうか。例えば、サッカー選手のDavid Beckhamのカナ表記、どうするか、とか。Beckhamは「ベッカム」とするとしても、Davidはデビッド、デービッド、デイビッド、デーヴィッド、デイヴィッドなどがそれぞれ有力っぽい。こんな時、「正解はないけど、暫定的な正解を決めるための手順はある」となってると仕事が早い。
職場の会議でも多分同じで、「手順をあらかじめ決めて、それに参加者が合意してること」があるといいのかな、と思う。
その他のツイート
急に思い出した。
— 鯖缶 (@savacanmemo) July 6, 2019
中1の時。小6で引っ越す前に住んでいたところの友だちの家に泊りに行った。そこの家のお母さんが言った衝撃のセリフ。
「明日みんなで映画でも行こうと思うんだけど。「魔女の宅急便」と、「その男、凶暴につき」どっちにする?」
どんな2択だよ。
将棋ウォーズの3分切れ負けをやってて、気づいたら「諦めるな、諦めるな」みたいな、マンガの独白っぽいことを思ってる瞬間があって、我ながら「いいから手を読めよ」と思った。負けた。
— 鯖缶 (@savacanmemo) July 7, 2019
例えば、自分が宇宙飛行士で、火星まで往復5年の任務を任命されたとして。生きて帰って来れるか保証はない、みたいな旅にでる前に、誰と飲みたいか、を考えながらクレーム対応した。
— 鯖缶 (@savacanmemo) July 8, 2019
詰将棋の楽しいところは、先入観や思い込みで見えなかった手が、粘って考えてると見えて、解けるところ。
— 鯖缶 (@savacanmemo) July 12, 2019
大変だな、と思うのは、その積み重ねで常に新しい先入観が生まれるところ。「どうせ焦点に捨て駒でしょ」と思うから読む手を絞れるんだけど、時としてそれが思考の死角を生む。
面白い!
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