浅野いにお「素晴らしい世界」読んだ。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年1月29日
読みながら「わわ。このよしもとよしとも的、サニーデイ・サービス的、思春期の終わってない大人の構ってくれ感はなんだぁ!」と好悪混じった感じで読み進んだ(つまり夢中になって読んだ)。
確認したら2003年初版だった。まだサブカルがあった時代。
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僕自身のことを思い出して、自主制作の映画を作ってた頃(20代後半)を、「長すぎる思春期の終わりの始まり」と呼んでいる。そして、このワードチョイスはなかなか正確なのでは、と密かに思っている。
中学生の頃は、何か夢中になれることを見つけたり、ちょっと褒められてり、数え役満テンパイするだけで世界中が自分の味方という気分になった。ちょっと叱られたり、お腹痛くて遅刻したり、体育の授業で準備体操のペアをうまく組めなかったりするだけで、世界中が敵だと感じた。
調子に乗りやすく、かつ無意味に傷つきやすくて「自分のことに、自分が自分をどう思ってるか、周囲が自分をどう思うか」に、過剰に興味があるのが思春期だとして、僕にとってそれはいつ終わったんだろうと振り返ると、大学に入り、中退し、その後の20代では終わらず、30代になって結婚して、子どもが生まれた時だ。
単純な話で、時間的にも精神的にも体力的にも金銭的にも余裕がなくなって(これらは綿密にリンクしている)、ウジウジメソメソする余裕がなくなっただけの話。(特に成長したわけではない。子育てに余裕が出来てきてこんなようなブログを書いてウジウジを反芻してるわけで)
そう思うと、中学時代から35歳まで僕は「思春期」だったのか。恐ろしい話だ。でも、最近では多かれ少なかれ「大人になる年齢」は後ろ倒しされていて、僕はこじらせた方かもしれないけど、そこまで特殊でもないんじゃないか、という気もしている。
その、「長い思春期の終わりの始まり」の頃の人物を主人公にしたマンガ作品、あんまりないんじゃないか。
「中学生が主人公」→わかる、「高校生」→わかる、「大学生」→ちょっと個性的なマンガ、「大人」→いろんな職業マンガある、「もう大人になってるはずなのにまだ思春期」→???
「素晴らしい世界」は、そんな僕らのことを描いてくれたような気がした。きっと、簡単ではない。何しろ、「思春期の子ども」「人生を闘う大人」は魅力的だけど、「大人になることをサボったダメ野郎」が出てきても、応援する気にはなれない。「思春期卒業」に失敗した自覚のある僕ですら(だからこそ)、そんな奴らのことは目を背けたい。そんなマンガ、面白くはなりにくい。
だから、僕はそれを描いて、作品として成立させだけで、「素晴らしい世界」は価値のあるマンガだと思う。そんなことを、思いながら読んだ。(まあ、的外れかも知れない。でも、「的外れな感想を言いたくなる作品」ではあると思う)
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