ツイッターで僕が無鉄砲につぶやいたことを、時々振り返って反省するコーナーです!
今回はこんな感じ・・・
昔見た夢のこと
昔見た夢。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年10月20日
自分の劇団の「童貞のこじらせ自慢」が嫌になって、「もっと売れる企画を!」と違う方向に間違い、総合エンタメ企画をプロデュース、前売り完売。しかし当日、出演者たちにドタキャンされ焦った挙句「俺が歌うしかない」と決意。ブルーハーツを心を込めて歌う覚悟で目が覚めた。
そんな夢。
このツイートは創作ではなくて、実際にそういう夢を見たことを思い出して書いた。「敏腕プロデューサー」気取りでバンドやら芸人やらをブッキングして、客席が満員なのに、出演者がドタキャン。そこで僕は「仕方ない、俺が歌うしかない」と謎の決意をして、「歌がヘタな僕には、心を込めて歌うしかない」と、完全に冷静さを失ったまま考え、「ラブレター」がいいな、と思うような夢。もう15年以上前に見た夢なのによく覚えてる。
実際には、目が覚めていた時の劇団活動の右往左往ぶりもこの夢と大差はなくて、劇場を予約してもメンバーがいなかったり、メンバーを集めたはいいけど台本が書けなかったり、渾身の自信作がまったくウケなかったりした。
でもまあ、自分の考えた物語やセリフで、誰かに何かを感じてもらおうだなんて図々しいことを考えていた時点で、悪夢のようなものである。もう一度当時の気持ちを味わいたいかと言われれば全力で断りたい。けど、人生をやり直したとしたら、まあ同じような道をたどるような気もする。(というか、こんなエッセイを書いてる時点で、本質的には当時と変わってないのかも)
マンガの文法
娘7歳が最近よくマンガを描いてる(ドラえもんの真似)んですが、誰が教えたわけでもないのに、セリフ、思ってること、擬音、などが使い分けられてて、「マンガの文法」をすでに理解してることが興味深いです。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年10月19日
娘に限らず、自分自身でもちょっと不思議。マンガを読むときに、どのコマをどういう順番で読むか、たぶん一度も誰からも教えられたことはない気がする。でも、ほとんどのマンガでそれを迷ったことはない。
セリフなのか、思っていることなのか。ト書き的な説明なのか、誰かの内面が独白で書かれているのか、解釈に迷うことがない。注釈のように「作者のひとりごと」が書かれていても、それはそれとして不自然に感じずに読み取れてしまう。
そもそも(というのか)、映画だってそうだ。カット1で男女が話しており、カット2で男のみのアップにつながっていたら、それはカット1の続きとして男から女に話しているもの、とわかる。「努力して理解する」のではなく、「そうとしか思えない」ものとして。
人間の脳というのは、「因果関係」「時間の連続」「物語」を消化しようとするのに非常に便利だな、とわかる。逆に言うと、事象Aと事象Bを結びつけて勝手なストーリーを信じ込んでしまうクセがあって、それを分解するのは結構難しいことなんだろう、と思う。
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フリック入力、はじめました
41歳の僕、フリック入力練習始めました。今。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年10月17日
今日の昼、普段しないフリック入力で長めのツイートしたら、4回ツイートしただけで1時間過ぎてしまった。(子どもらの習い事の間にお菓子食べながら将棋ウォーズするつもりだったのに)
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年10月17日
今のところ、あまりできるようになるイメージがない。
これこそ、どうでもいいと言えばどうでもいい話ではある。でも僕としては「ちょっとした気づき」だと思ったからツイートしたわけで。
おそらく、「フリック入力」というのは、できなくてもほとんど怒られることがないことで、僕のようにスマホの導入が遅かった人間は気づくとマスターしないままになっていたりする。自分としてもそれほどの不自由があるわけではないし、誰から怒られるわけでもない。
例えば、ウォシュレットを使うかどうか、はどうだろう。これはフリック入力よりは「必要に迫られる人、場合」がありそうだけど、ウォシュレットを使わずにずっと過ごしていたとしても、他人から責められたり、使い方を教えられたりするわけではない。その、「使おうと思えばボタンを1つ押すだけ」で済むようなことに、「すぐ試してみる」タイプの人と、「できる限り試そうとしない」タイプの人がいるんだろう。
フリック入力、まだ発展途上ではあるものの、だいぶできるようになってきた。そして、やってみればなるほど便利だと思う。「音声入力」とか、今は試そうとも思わないことも、いつか試してみるんだろうか。あんまり想像つかないけど。それとも、自分の生活の盲点にあって、「すぐできるはずなのにやってみようと一瞬も思わないこと」があるんだろうか? やってみるかどうかはともかく、気づいたらメモだけでもしておこうかな、とは思う。
人生半分損してる?
「〇〇を知らないなんて人生半分損してる」って、ものすごく陳腐な言い方でダサい以外の何者でもないんだけど、「人生の豊かさは無限だから、半分損してもやっぱり無限」とか「損得で考えるのこと自体が損してる」とかよりは説得力がある気がして、なんか嫌いにはなりきれない。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年10月11日
「お気に入りのフレーズ」と言っちゃうとサムいんだけど、例として。「絶対にできないこと」を言う時に、「7回生まれ変わっても」って言ったりする。「俺ヘタレだから、7回生まれ変わってもナンパできない自信がある」みたいな。その言い方が面白いかどうかは微妙だけど、要するに「必要以上に大げさな言い方をわざとする」という修辞である。
「〇〇をやったことがないなんて、人生半分損してる」も、同じようなことなんじゃないかな、と思う。「1人カラオケ行ったことないなんて、人生半分損してる」とか言ったとしたらそれは、「1人カラオケ」にそれほどの価値があるわけないのは当たり前で、それを承知の上で敢えて大げさに言う、みたいなことなわけで。
時々、「そんなこと決めつけないで」とか、「上から目線」みたいなマジレスで、この言い方が嫌われてるようなツイートを目にする気がするけど(気のせいかな)、それって「自分の人生」に頭が集中しすぎじゃないかな、って思う。
「1人カラオケをやったことがない自分の人生」が損か得かにこだわってること自体がつまらない気がする。そんな大げさな言い方をするぐらい、面白いのかどうか、「1人カラオケ」を話題の主役にすればいいじゃないか。「1人カラオケ? いや、絶対そんなに面白くないですよ。明日法律で1人カラオケが禁止されても、やっとけばよかったとか絶対思わない」とか言い返して。
(まあひょっとしたら、「人生半分損してる」みたいなサムいことを行ってくる人は全員「そう決めつけてる上から目線野郎」なのかもしれないけど)
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その他のツイート
「メモを取る」みたいなつもりでツイートしていることが多いので、自分的に覚えておいてもいいかも、ということを貼りつけておきます。
(たぶん)プールの途中に、左目だけコンタクト(使い捨てのやつ)が外れたんですね。しばらくそのことに気づかなくて。なんか、「左方向だけ情報が遅れて入ってくるスタンド攻撃」を体験できました。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年10月18日
伊集院さんが富山「風の盆」の話をしてた時に、「俺は祭とかは嫌いで、関わりたくないと思ってたタイプだから、(その祭がいいなと思っても)継承されてほしいとは無責任には言えない」みたいに言ってたのすごく好きだった。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年10月17日
子どもたち(小1娘、年中息子)の運動会を見るに、先生たちはみんな優しくて、それは親としては感謝しかないんだけど、「運動が嫌いな子(僕とか)の前に立ちはだかる存在としての運動会」も懐かしくはある。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年10月17日
今日、NTTの「技術資料館」というところに行ったんですね(「通信技術」の博物館みたいな感じ)。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年10月13日
展示されていた電話ボックスを見た娘7歳「私これ知ってるよ。ドラえもんで見たことあるもん(得意顔)」と。
なんかすごい。子どもにとっては、「電話ボックス」は「もしもボックス」と同じ珍しさ。
「本格! トムヤムラーメン」みたいな店を、おそらくタイ人の方がやっていて、時々行っていた。久しぶりに行ってみたら、「本格! 油そば」になってて、ちょっと寂しく思ったが、試しに入ってみると店員は同じタイ人らしき人だった。「本格」ではないし、タイ人かどうかも、もはやわからない。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年10月12日
16歳ぐらいで物心ついて、30歳すぎるぐらいまでは思春期の真っ只中だったな。物事の優先順位決められなくて。全部が大事に思えるし、全部がどうでもよくも思えて混乱してた。だからこそ仮にでも無理にでも優先順位つけるのがコツなんだろうけど、わかってても全然できなかった。(今もできない)
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年10月11日
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