鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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最近気づいたこと(2019年10月)

ツイッターで僕が無鉄砲につぶやいたことを、時々振り返って反省するコーナーです!

 

ありがたいことに仕事が充実して忙しかったため、ほぼ2ヵ月ぶりの更新になりました。そして、ありがたいことに仕事がとりあえず尽きたので、雑文など書き散らす気分が戻ってきました。

 

(取り上げているツイートはかなり前のものです。以前に取ったメモを振り返って反芻する、なんとも悠長なことをしています)


今回はこんな感じ・・・

麻雀あるあるで言いたかったこと

 

僕がこのツイートをした時に思っていたのは、実は地球温暖化の心配なんである。でも、何となく考えをまとめるのが面倒で、このツイートだけしていた。


どういうことか。麻雀は勝っている時ほど冷静に打てる。「冷静に」というのは必ずしも「安全第一にオリまくって打つ」ということじゃなくて、「成算のあるリスクかどうかを判断する」「相手の手をナメすぎずビビりすぎず読む」「読めないものは割り切り、読める状況になれば判断を修正する」ということ。


いや、「勝ってる時ほど正しくに打てる」というより、「負けてる時ほど正しく打てない」の方が実感があるか。


「アツくなる」「必要以上にヒヨる」という気持ちの問題。「逆転するためにはハネ満以上が必要」となると、無謀だとわかっていても攻めて、ますます負けを膨らませてしまう。「4着確定だとしてもオリる(アガろうとしないこと)」が正解の状況でも、悔しくてなかなかそんな判断はできない、とか。


何を言いたいかというと、「精神的に余裕のない状況で、正しい判断をするのは至難の業」という話。気候変動がいよいよ「後戻りのできないレベル」になってから、正しい判断が人類にできるのか、と想像すると、なかなか楽観的になるのは難しい。


「謎の新興宗教」「副作用がしっかり確かめられてない新技術」とかを強烈に推進する判断力のヤバい人が世論形成に大きな力を持ったら、ただでさえ難しい問題の解決難度が32倍ぐらいになる。


というか、ひょっとしたらもうそうなってるのかもしれない。こんな雑なことを言ってる場合じゃないのかもしれない。

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判断したくない

 
高尾山に5月の連休に行って(すごく混んでた)。歩いて登り、下りはリフトに乗った。リフトの途中で、カメラマンに写真を撮られる。


僕は、自分でも偏屈かな、と思ったんだけど、反射的にムカついた。「勝手に写真撮ってるんじゃねえ」みたいな。ひょっとしたらチケットの裏とかに「途中で写真撮影があります。購入するかは自由です」みたいなことが書いてあるのかもしれない。でも、同意してない。(「チケット購入をもって、同意したとみなします」と書いてあるのかもしれないけど)


写真を撮られるのは嫌だけど別にいい。なんでムカついたかというと、カメラマンの人が「写真撮りますよ」みたいに合図をしてきて、それにどんな態度を取ったらいいのか、わからなくて軽く混乱したから、多分ムカついたんだと思う。


ピースサインを出したり、歯を見せて笑ったり、したくない。どんな顔をすべきか、そのタイミングも、他人に決められたくない。でも、無視もしたくない。観光気分を盛り上げる役割を仕事で果たしてるカメラマンに、敵対的な態度を示したいわけじゃない。というか(これはエゴだけど)、「失礼な奴」と思われたくない。


そんなことを数秒思った挙句、無視するわけでもなくリアクションするわけでもなく、ヘラヘラ困り笑いをしながらシャッターを切られるんだけど。結局、「どうしたらいいかわからない、不安な状況」に自分が置かれるからムカつくのかな、と思う。


きっと、「完全無視」をしてもそこまで失礼でもないだろうし、「カメラ目線で笑顔」をしてもやってみたらそんなにイヤじゃないだろうと思う。多分なんだっていい。


なら、どうするか最初から決めておけば、多分そんなにも腹は立たないと思う。「観光地のリフトで心の準備が出来ていない時にカメラを向けられたら、どんなリアクションを取るか」。まだ決まってない。


セールス電話への対応はもう決めた。何を聞かれても「お断りします」と優しく言って、有無を言わさず電話を切る。これは大変快適。


リフトに乗ったときのカメラマンに対しては、「歯を見せない程度の笑顔で目を合わせ、写真は要らないよ、と示すようにポーズはせず、代わりに会釈」にしよう。前もって決めておけば、そんなに腹も立たない。

 

無限の半分は無限

 
誰かが得しているのを見ると、自分が損してると思ってしまう気持ち。それを捨てられたら、人生だいぶ楽になるな、とか思うんだけど、油断するとすぐに「自分が損してる」と思ってしまう。


仕組みがイマイチわからないこと(例えば、税金とか、会社の昇進の制度とか)って、だいたい「自分は損してる」って思いがち。認識が雑なら楽天的に捉えればいいものを、結局「雑」ゆえに「悲観的」な結論を自分で持ってしまう。


「人生半分損してる」という大げさな言い方(いわばユーモア)を真に受けてしまって、怒ったり悲しくなってしまっては、本当に損だ。そういう精神状態だと、「誰かが楽しい思いをしている」ことで、「自分がもらえるはずの楽しい思いまで、誰かに取られている」という気がしてしまう。


「お金」「時間」「体力」は、有限だと思った方がいいから、それについてはドライに損得勘定をした方がいい。でも、「楽しさ」「充実感」については、「無限」だと思っていいのではないか。自分がゲットできなかった楽しさを数える必要は特にない。いくらでもどこにでも楽しさはある。


Siriに聞かせたいこと

 


多分似たようなことを言ってる人はたくさんいるだろうと想像するけど。理想のSiriは、「質問に答えてくれる」「命令に従ってくれる」なんじゃなくて、「愚痴を聞いてくれる」「正しい命令をナイスタイミングでしてくれる」なのではないか。


僕は、「フェイクニュースのチェックをしてほしい」とか今思って、何か気が遠くなった。フェイクニュースに踊らされたくないけど、いちいち真偽を調べるのは面倒くさい。だから、AIに判定してもらう。じゃあ、そのAIのことはどうやって信じるんだろう。なかなかに興味深い問題な気がしてる。

 

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その他のツイート

「メモを取る」みたいなつもりでツイートしていることが多いので、自分的に覚えておいてもいいかも、ということを貼りつけておきます。

 

 

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