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「誤訳なんてありえない」という翻訳者を、僕は信じない

映像翻訳の話。「プロたるもの、誤訳をしてはならない」みたいなことを聞くと、「無茶言うなよ」と思う。ただの翻訳者じゃないか。神じゃない。おごるな。


昔見たドラマのこと。リビングでテレビを見ている主人公のアップ。どうやら、スポーツ中継を見てるらしい。主人公はうつろな表情で何も話さない。テレビから、実況の声が聞こえる。「The kick is good!」と。スタジアムの歓声。「The kick is good!」のところで出ていた字幕は、「すばらしいキックです」だった。

これは、誤訳だ。


ここのgoodは、「よい、見事な」という意味ではない。「(スポーツで)有効の」という意味である。テニスのサーブが入った時なんかに使うらしい。辞書にもちゃんと載ってる。ドラマのシーンで主人公が見ていたスポーツはおそらくアメリカンフットボール。その、フィールドゴールのキックが成功したことを伝える実況だ。だから字幕は、「キック成功です」とか「キックは決まりました」とかが妥当なはず。


主人公が見ているスポーツがアメフトだとは、それまでのシーンで想像できる。ひいきのチームがあるんだ。そして、実況の「The kick is…」のあとにあるわずかな「溜め」。これは蹴られたボールが、アップライト(ゴール)に向かうまでの時間だ。アメフトでは、キックは「決まる」か「外れる」かだけが重要。キックのクオリティについて言及するなら、別の言い方になる。


そしておそらく、これは試合の最後のフィールドゴールだと思う。アメフトでは、試合最後に勝ち越しのチャンスがある場合、できるだけ時間をギリギリまで使ってからフィールドゴールを蹴る。中途半端な時間を残してしまうと、相手チームに再逆転のチャンスを残してしまうからだ。


どういうことか。このシーンは、「アメフトで試合の勝敗が決まる場面なのに、主人公のうつろな表情は変わらない」という演出なんである。「さっき父親とケンカして言われたことが気になって、ひいきのチームが勝とうが負けようが、頭に入ってこない」みたいな流れ。「スタジアムの歓声と、主人公の呆然の対比」が描かれている。


さて、なんでこの話を覚えているかと言うと、「この誤訳に気づくのは、実はかなり難しいだろうな」と思ったからだ。だって、別にアメフトがテーマのドラマじゃないし、ドラマ上で前後に関わりのあるセリフもない。画面に映ってるのは主人公の表情であって、主人公が見てるテレビ画面は一瞬しか出てこない。


そもそも、間違いの可能性に気づいていなければ、立ち止まったり調べたりしないだろう。要するに、「知らないことは間違いだと気づけない」のである。そして、ドラマでもなんでも、「知ってて当たり前のことは、わざわざ説明しない」んである。誤訳を避けるのは、不可能だと思った方がいい。


僕は、他人の誤訳を見つけて一瞬の優越感に浸った後(こればかりは仕方ない)、こう思い直した。「いったい、今まで僕はどれほど、誤訳をしてきたんだろう。そして、それを気づかないままでいるんだろう」と。アメフトのことは、偶然好きだったから気づけただけだ。


翻訳をするということは、対象を知る、ということだ。セリフになってること、セリフで分かりやすく説明されてることだけを調べれば素材を理解できたと思うのは、控えめに言って「無邪気」なんじゃないかな。「誤訳なんてありえない」だなんて、無茶言うなよ。僕はどちらかと言えば、「理解が足りないながらも、何とかしてつじつまを合わせました」と言う方がまだしも誠実なんじゃないかな、と思ってる。そう思うからこそ、最大限センサーを敏感にして、解釈し、翻訳し、推敲するんじゃないか、と。

 

(※補足:コラム中に出てくるドラマの内容は、特定を避けるために半分僕が創作したものです)

 

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