鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【映像翻訳】愛着のある訳文をボツにする話

昔、「翻訳は減点法で評価される」と思った時があって、それに気づいた瞬間に、僕の実力はちょっと上がったかもしれないな、と思い出した。


スクールに通い始めた頃、プロの原稿と自分の原稿を見比べて、「そんなに負けてないんじゃないか」とよく思った。「このお手本の字幕のセリフは正しいかどうか以前に面白くない。これなら、僕の考えた案の方がよっぽど工夫されてる」みたいなことだ(赤面)。


でもおそらく、ずっとそう思ったままだったらプロにはなれてない。50枚の字幕を書いたとしたら、その中でベストの1枚を選んで比べてるのはアマチュアのやること。実際には、「50枚中、何枚NGの字幕があったか」という減点法で、自分の字幕を見直す方が実践的なんじゃないか。


「トライアルで合否を決めるため」とか、「原作マニアが知識自慢のために誤訳を探す」とか、厳しい目を持った人に重箱の隅までチェックされる、という話だけではない。もっと当たり前に、ニュートラルな視聴者だって、無意識のうちに減点法で字幕を見てるからだ。


シンプルな話、50枚に1枚の確率で誤字がある字幕でドラマを見てたら、気になって楽しめない。やたらクセのあるキャラづくり、こだわりの強すぎる表記、意味の分からないギャグがあればその時点でシラケてしまう。そういったミスは、その前後にいくら“名訳”があっても帳消しにはならない。


工夫を凝らしたワードチョイス、大胆かつ繊細な意訳、専門用語の正しい理解と臨機応変な言い換え。それらを駆使して生まれた「読みやすい字幕99枚」は、「あからさまなミス1枚」のインパクトに、たぶん勝てない、という話。


そう思うと、「苦労してたどり着いた愛着のある訳文」を、あっさりとボツにできるようになると、映像翻訳者としてのレベルが上がるような気がする。その1枚のセリフを書くために使った時間は、訳としての「よさ」を保証しない。「もったいなくて、アイデアを捨てられない」と、思ってしまうと、いい推敲ができない。


一度「ちょっと凝りすぎで分かりにくいんだけど、発想はいいし、味のあるセリフが書けた」と思ってしまうと、最初に考えたシンプルな案が、安易なような気がしてしまう。でも、「凝りすぎで分かりにくい」と半ば気づいている欠点に目をつぶっては、正確な判断ができないだろう。


「時間をかけた案を捨てられない」という呪縛を解くには、「正しい判断をするために、必要な回り道だった」と考えるのはどうか。練りに練ったセリフを「凝りすぎ」とボツにする時に、「シンプルな案を確信をもって採用するために、他の案を考えたわけで、使った時間は無駄じゃない」と自分に言い聞かせる。


専門知識や、ギャグの引用元を苦労して調べても、「これは字幕には盛り込めない」と判断したら、バッサリと省略してしまう。この場合も、「やむを得ず省くのが妥当だと判断するために、原文の正確な理解が必要だったから調べた」と考えるのがいい。


それに、ボツ案にかけた時間だって、無駄になるわけじゃない。調べものをするのにたどった道筋、ひねり出した訳語や発想は、どうせどこかで使える。ただ平凡で無難な訳に見える1枚だって、実は繊細な工夫が込められてることがよくある。何も、「かっこいい名訳」を作るためじゃなくて、「なんの変哲もない1枚」を書くためにアクロバティックな工夫が必要になるのが映像翻訳じゃないか。

 

決して目立たず、視聴者は映像や物語に集中できる、普通の字幕1枚。その1枚を繰り返し繰り返し書くために、今まで10000枚ボツにしてきた、ということかもしれない。

 

(以上です。映像翻訳を学習中の方の原稿をいくつか見る機会があって、考えたことをまとめてみました。参考になる点が少しでも含まれていたらうれしいです。よろしければ、こちらもどうぞ↓)

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