鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】TOEIC受けてる場合じゃねえよ㉙

2022年5月某日 ラップバトルの動画見てる

最近時々、YouTubeで日本語ラップバトルの動画を見てる。即興で早口の悪口を言い合うやつ。面白い。今まで食わず嫌いだったけど、試しに見てみると引き込まれるものがある。僕はまだ検索ワードもよく知らず、「関連動画」みたいに出てくる動画を見てるだけなので、理解できてない文脈がほとんどなんだろうけど。


見て感想の4割ぐらいは、「くだらない、ダサい」っていう気持ちも混ざってる。なんというか、「頑張って無理やり悪口言ってる」のを見ると「おとなしいオタクが見よう見真似でワルぶってる」感じの滑稽さがどうしても消えない。「オレの言葉でお前を刺す」とか「オレはクソだったけどここから成り上がる」とかそういうようなことを言って、「それただの願い事じゃん」みたいに、揶揄するような気持ちで見てしまう。「ワルぶってるけど、順番守ってるじゃん」みたいに、シラケてしまう。


「スゴい、おもしろい」っていう感想が3割ぐらい。即興でどんどん言葉が出てきて、「この人たち頭の回転速すぎでしょ」という驚きがある。そして、「怖い、嘆かわしい」という嫌悪感も2割。見世物だとしてもこんな悪口聞きたくない、みたいに思うことも。


でも、残り1割ぐらいに、「この言葉が生まれた瞬間を目撃した興奮」みたいに、すごく「グっとくる」ものがたまにある。この、ビートにのせて、韻を踏んで、みたいな(緩やかな)制約があるからこそなのか、即興で、お互い煽り合って、観客もいて、という追い詰められた状況だからこそなのか、ラッパーが「今本当に言いたいことを、本当に面白いワードで言ってやった」みたいな言葉をひねり出す時があって、それは覚醒と陶酔を同時に味わえる感じがする。その興奮に出会うと、揶揄するようなシラケた気持ちはどうでもよくなる、みたいな。


もうちょっと見るかも。

 

5月某日 「喰う寝るふたり住むふたり」を読んだ

「喰う寝るふたり住むふたり」(日暮キノコ)を読んだ。我ながらボキャ貧だと思うんだけど、「ほっこり」する作品だ。

 

(↑Amazonのリンクです)


同棲8年目のカップルの日常を描くんだけど、1つのエピソードを「カレ視点」と「カノジョ視点」で一人称の語り手を変えて描くのが特徴的。そのことで、ちょっとしたすれ違いや誤解が読み手に伝わってくる仕掛け。


何がいいかって、あんまり大げさな演出のないこと。「ここが泣きどころですよ」「ここが笑いどころですよ」と無理やり読み手の気持ちを誘導することもないし、気持ちを「盛る」こともない。ちょっとした「幸せ」を、歌い上げるんじゃなくて、ただ「そのまま感じる」みたいな、まっとうさがある。人生って、ちょっと嫌なこと、ちょっと嬉しいこと、ちょっと面倒なこと、ちょっと誇らしいこと、そんな「ちょっと」の気持ちの連続だ。それを大げさに盛り上ぎない演出。


「個人差あり〼」「ふつつかものの兄ですが」も好きだったし、読めてよかった。気になって調べてみたんだけど、日暮キノコさんの歴代の作品は「別冊フレンド増刊」「月間コミックゼノン」「週刊ヤングマガジン」「月間モーニングtwo」「モーニング」「コミックDAYS」と、渡り歩いてきてるのか。少女マンガと青年マンガのハイブリットっぽい作風が、なんとなく納得できる。

 


5月某日 ちょっと断捨離

最近、燃えるゴミの日に、少しずつ昔のものを捨ててる。家の中で、使わずに放置された部屋(昔の僕の部屋だった)があって、それを娘の部屋にしよう、という話。僕が使わなくなってから、「使ってない部屋」は、「とりあえず何かを置いておく倉庫」みたいに機能していて、僕の物だけじゃなくいろんなガラクタが詰まってる状態だった。


今日も、10リットルのゴミ袋2つ分捨てた。まったく忘れてたゴミがあって。会社のバイト仲間のサプライズ誕生日会に呼ばれて、その時撮った写真を入れたミニアルバム、みたいなやつ。まったく要らないのに、勝手に全員分のアルバムがすでに買われ、全員分の写真がすでにプリントされてて、料金を徴収されたアレ。幹事の人、どれだけ前向きな世界観なんだ。「私のプロデュースした飲み会、絶対みんな喜んでくれたから写真欲しいでしょ」かよ。


そのアルバム、中身をほんのちょっと覗いて、一瞬何の写真なのか分からなくてウケたな。記憶から消してた。まあ、気持ち悪い会だった。普段から仲のいい仲間で集まるんじゃなくて、バイトスタッフに好かれたい社員と、そろそろ社員になりたいベテランバイトが、「仲の良さ」を演じるための飲み会。うわあ。相当気持悪いな。何が気持ち悪いかって、僕も張り切って飲み会中の出し物の司会とかやってたし。(まあ、仕方ない。気持ち悪い飲み会なんてよくあるよ。誰も悪くない。ハッピーバースデー、あの時のMさん。幹事さん、おつかれさま。別に怒ってないよ)


他にも、劇団時代のノートを大量に捨てた。台本の下書きとか、練習中に取ったメモとか。みんなに配った説教くさいプリントとか、恥ずかしいやつ。「最後にもう1回目を通してから捨てよう」とも思ったけど、ほとんど読まなかった。一応、僕が捨てていいか決めるために、僕の物かどうかを確認しただけで、どんどんゴミ袋に入れていって。


当時のノートや手帳、めちゃくちゃいろんな人の連絡先がメモしてあって驚いた。一度だけ練習に見学に来た役者志望の人、とか。劇場の仕込みだけ手伝いを頼んだ知り合いの劇団員、とか。もうどんな関わりか覚えてない人もたくさんいたし、連絡を取るはずもないんだけど、「連絡先」を捨てるのはちょっとだけ勇気が要った。なんで勇気が要るのか? 僕じゃなくて、当時の仲間の誰かが、その人に連絡を取りたがるかもしれない、それを僕が絶ってしまっていいのか、みたいなことかな。自分でもよく分からない。


目についたほとんどの物を捨てていって、でも捨てられなかったのは公演を撮影したVHSのビデオテープ。もうデッキもないし、一生見ないと思うんだけど。まあ、15年後とかに捨てよう。

 

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