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【日記】島崎藤村「破戒」のネタバレあり感想(48歳になってもHIPHOP入門73)

2025年5月某日 まさか「犯人は僕」だったとは

島崎藤村の「破戒」読み終わった。

 

大変恥ずかしながら、今まで食わず嫌いしてた。なんとなく、「重厚で陰鬱な作品」で、「長くて難解」という先入観があって手が伸びなかったんだと思う。でも、読んでみると全然読みやすい。純文学らしいコクと苦みがありつつも、万人向けのエンタメ作品のような「わかりやすさ」は作品中ずっと保たれているじゃないか。

 

主人公は青年教師の丑松。子どもたちに慕われる彼は、自らの出自を隠して生きてきた。なぜか。「穢多」だと世間に知られれば、差別されるから。「隠せ」。これは、父が丑松に厳しく言い聞かせた「戒め」だった… という導入。「破戒」と言うタイトルで分かるとおり、丑松がこの「戒め」を破るまでの過程が描かれる。


冒頭から、主人公が果たすべき課題が明かされ、それが結末まで一貫していて、とても読みやすい。丑松が自らの出自を隠し通せるか、読者はハラハラしながらそのサスペンスを見守る。ドストエフスキーの「罪と罰」のような心理戦。あるいは、エンタメ作品で比べるなら、「デスノート」を引き合いに出してもいい。“犯人”の目線から描かれるミステリーの味わいにとても似ている。

 

こう比べると、差別されることの不条理が身にしみてくる。だって、ラスコーリニコフは老婆を殺したじゃないか。罪の意識と、その反動の自己正当化の誇大妄想的な葛藤が真に迫るよな。夜神ライトは、デスノートでじゃんじゃん人を殺してる。Lに追い詰められる間も、もっともっと殺したいから、駆け引きがスリリングになる。

 

だけどさ、丑松は、ただ生まれてきただけで、もう追い詰められてるんだぜ。誰よりも品行方正に生きてきたのに、いつも自分の出自が露呈しないかと怯えてる。それだけじゃない。堂々と言い出せない自分を情けなく思う気持ち、学校の児童たちに、自分の出自を隠している罪悪感に苦しんでる。そんなの、ツラすぎるじゃないか。

 

そんな丑松に、グングン感情移入しながら読める。それにしても、「新平民」という呼び方はヒドいよ。もう表立って「穢多」とは呼ばない。そんな時代じゃない。みんなと同じ身分の「新平民」じゃないか… というような、「私は差別してませんよ」というテンションで使われてる。おいおい、待ってくれよ。本当に差別してないんなら、「新平民」なんて呼ぶ必要ないじゃないか。同じ平民として「認めてやってる」という意識があるからこそ、「新平民」なんて呼び方をするんだろ。卑怯だよ。


親友の銀之助が、一番ナチュラルに差別してるのもだいぶツラいんだよな。「君のような素晴らしい人間が穢多のわけがない」というような態度で、丑松に接してくるんよ。性格の良さと、差別意識は両立可能。というか、むしろ相性良すぎる。

 

丑松の胸中を語る文の運びが実直で読みやすい。演歌にもJ-POPにも似て、奇をてらわず、ストレートに胸に響いてくる。1つ引用しておこう。(※以下、太字部分が引用です)

 

何故、自分は学問して、正しいこと自由なことを慕ふやうな、其様な思想を持つたのだらう。同じ人間だといふことを知らなかつたなら、甘んじて世の軽蔑を受けても居られたらうものを。何故、自分は人らしいものに斯世の中へ生れて来たのだらう。野山を駆け歩く獣の仲間ででもあつたなら、一生何の苦痛も知らずに過されたらうものを。

 


どうですか、丑松の内心のこの悲痛。「差別しないでくれ」ではなく、「いっそのこと、今自分が差別されてることを、知らないままでいたかった」なんて。好青年のはずの丑松に、こんな卑屈を抱えさせているのである。さすがに世間が憎い。

 

一方、差別してる側の人間の卑怯さにもピントがあっている。終盤、丑松の出自が露呈して、その処遇を話し合う職員室の場面。丑松を辞めさせたいと思ってる校長と町会議員の会話のあまりの白々しさ。

 

『しかし、それでは学校に取りまして非常に残念なことです。』と校長は改つて、『瀬川君が好くやつて下さることは、定めし皆さんも御聞きでしたらう――私もまあ片腕程に頼みに思つて居るやうな訳で。学才は有ますし、人物は堅実ですし、それに生徒の評判は良し、若手の教育者としては得難い人だらうと思ふんです。素性が卑賤しいからと言つて、彼様いふ人を捨てるといふことは――実際、聞えません。何卒まあ皆さんの御尽力で、成らうことなら引留めるやうにして頂きたいのですが。』
『いや。』と金縁眼鏡の議員は校長の言葉を遮つた。『御尤です。只今のやうな校長先生の御意見を伺つて見ますと、私共が斯様な御相談に参るといふことからして、恥入る次第です。成程、学問の上には階級の差別も御座ますまい。そこがそれ、迷信の深い土地柄で。左様いふ美しい思想を持つた人は鮮少いものですから――』

 

あくまでも「自分は差別していないが、世間が許さない」「自分の都合ではなく、トラブルを回避するためにやむを得ない」と言いたいわけか。ズルいよ。追い出される側の丑松は何一つ悪いことはしていないのに、罪悪感を背負わされてるんだぜ。追い出す側の人間たちよ、せめて、差別してることを認めて、少しは葛藤したらどうなんだ。

 

さて、力強い筋立てと実直な語り口に、すっかり丑松に感情移入して読んできた僕であるが、結末でまさかの事実が発覚する。どういうことか。読者である僕自身の、差別意識に気づかされたのだ。驚いた。「犯人は僕」だったのか。

 

丑松にとって、ハッピーエンドと言える結末。確かに勤め先の小学校は辞職する。だけど、親友を通じて新しい勤めを世話してもらうし、思いを寄せる相手にも思いが通じて結婚間近。出自を知られてもなお、一生添い遂げる覚悟のある伴侶を得たのだ。それだけじゃない。魂の師匠と崇拝する人物の骨を、お墓まで届ける重要な役目を任されての旅立ちに、教え子たちが見送りに来るのだ。おいおい、こんなに幸せなエンディングなかなかないぞ。全方位幸せマックスじゃないか。

 

これを読みながら、僕の心に浮かんだ醜い心情がある。「丑松のくせに生意気な」だ。これには驚いたが、認めなくてはいけない正直な嫉妬の念。ああ、情けない。僕は、差別を憎んでいたつもりだったけど、ただ丑松への同情を楽しんでいただけだったのか。丑松には同情する。でも、僕よりも幸せになるのは許せない。ああ、僕も差別する側だった…

 

そんな、(読者である僕にとっては)ほろ苦いエンディングもとてもよかった。今まで食わず嫌いしてたのがもったいなかったな。

 

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島崎藤村 破戒


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