2025年5月某日 何にも努力してないけど、気分だけ「修行」を味わいたい
朝起きて。会社を休みたくなった。この前のゴールデンウィーク、妹家族が泊まりに来て家族イベントだったこともあって、僕的にはあんまり休んだ気がしない。今日、会社を休んでみるのはどうだろうか。
考えれば考えるほど、休んでもいい気がしてきた。有給はまだかなり残ってるし、シフトの人数もどちらかと言えば余ってるので、当日欠勤しても誰かの恨みを買うことはなさそう。
でも、休んでもなあ。特にやりたいこともないし、行きたい場所もない。秋になってNFLが始まれば、リアタイで見たい試合に合わせて会社をサボり、ネットカフェで菓子三昧、というパターンがあるのに。今、会社を休んでも、元が取れない気がする。それに、「大した理由もなく、朝起きてダルかったから会社を休む」を一度やってしまうと、タガが外れて毎週やってしまいそうなのが怖い。
と、その時。スーパー銭湯に行くのはどうだろう、とひらめいた。この前息子と2人で行った「やすらぎの湯(仮称)」。今日は僕だけで行ってみる。「会社に行くフリして、時間を潰すための場所」として、かなり正解に近そう。よし、休んでしまえ、と決めたのが朝の5時。明日や来週の心配はその時すればいいや。
欠勤をGoogleフォームで届け出るんだけど、朝5時に送ったら「体調不良」がだいぶウソっぽいな。しばらく翻訳スクールの添削仕事を進めることにした。いやあ、今日は会社をサボるぞと決めてからの、免罪符としての副業、捗りました(会社に対しては何の埋め合わせにもなってない)。
さて。着替えて、身支度を整える。6時半。Googleフォーム送信。「体調不良」のラジオボタンをクリックして、通信欄には「軽い症状ですが、頭痛とめまいあり。念のため休みます」と入力して送信。まだ寝てる妻に「いってきます」と声をかけて家を出る。あくまでも会社に行くフリをしているわけであって、いつも通りの時間を守ることが大事。それでこそ、サボリを満喫できる。
家を出て、歩き始める。一応駅に向かうんだけど、このことにあまり意味はなくて。「やすらぎの湯」の営業開始は10時半で、どっちにしろ時間を潰さなくちゃいけない。2駅の距離を歩いていくつもりなのだ。特に駅に向かう理由はない。まあでも、なんか、駅に向かっちゃうんだよな。「会社に行く」というウソで家を出たので、一応その演技を急にやめるのは恥ずかしい、というような心理なのか。
4時間潰さなくちゃいけないので、なるべく回り道しながら歩いていく。まだ朝だけど、日差しは結構強くて驚いた。夏かよ。なるべく日陰を選んで歩く。さて、一駅分歩いて、まだ8時前。モスバーガーを見つけて入る。(いや、"見つけた”んじゃない。結構早めの段階からそこに行こうとしてたわ。なんか、せっかく会社をサボったんだから、「風まかせ気の向くままなオレ」の気分を味わったことにしたい気持ちがあって、日記なのにしょうもないウソを混ぜようとしてしまった… 自意識って怖い)
モスバーガー、「先に席を取ってください」と立札に出ていて、素直に従う。2階席に行って席を選ぶと、テーブルに「席でオーダー」するためのQRコードが貼ってある。その時、「席でオーダー」、試してみる気になった。やっぱり、「風まかせ気の向くまま」という気分で、少し調子に乗ってたのかも。
そうだ。普段はやらない、新しいことを試してみよう、という気になった。「やるか、やらないか」の選択で、「常にポジティブな方を選ぶ」のは頑張りすぎな気がするけど、「どっちか迷った時は"やる”を選択」だったらできる気がする。だって、迷ってるんだから、ある程度は「やってみたい」と思ってるわけでしょ。僕は、ものぐさで、引っ込み思案なタイプの人間だから、つい「やらない理由」を探しがちだし、「新しいことを試さず、毎日同じことの繰り返しのまま精神も肉体も老いていくリスク」に目をふさぎがち。そんな僕が、「やってもいいかも」と迷うことがあるんだとしたら、それってまあまあ「やってみたい」って思ってるんだよ。「どっちか迷った時は"やる”を選択」、いいじゃん。いや、それもちょっと頑張りすぎかな、なら、奇数月の間はそうすることにしよう。それなら、できる気がする、とか思って。
我ながら、ここまで決意を固めないと、スマホで注文するぐらいのこともできないのかよ、と呆れる。「新しいことを試すのが好きな人」だったら、QRコード見た瞬間にスマホ構えてるでしょ。
で、ここで1つ意外なことが起きる。だいたい、こういうのって、「やってみたらめちゃくちゃ簡単だった。なんで今までやらなかったんだろ」って思うじゃん。モスバーガーのスマホ注文、だいぶ面倒だった。まず、会員登録が必要なんよ。それで、いろんな個人情報を入力してID作って、それで、今自分がいる店舗を選んで、その後やっと席番号の入力。45秒ぐらいで注文完了かと思ってたら、10分以上かかったよ。俺、アホだからさ、「入力が済んでない必須項目がどこだか分からずに、やり直そうとしたら戻り方が分からなくて最初からやり直し」を2回やったよ。
でも、やってよかった。支払いはカード払いを選んだんだけど、これは僕的には思い切った選択だったんだ。どういうことか。「妻にウソをついて会社をサボったこと」が、カードの明細書でバレたらイヤなので、履歴が残らないように、今までこういう機会には現金で決済してたんだ。ネットカフェに行く前にビールとお菓子を買い込むのも、ネットカフェの12時間パックの料金も、現金払いですませてきた。
だけど、いざカードで払ってみると、むしろ、支払いの履歴が残るのは、悪くないような気がしてきた。僕にとって最悪なのは、会社をサボったことがバレた時に、「浮気をした」と誤解されることなんじゃないか。それはあまりにも申し訳ない。妻よ、まったく心配する必要はない。信じられないかもしれないけど、モスバーガーでダラダラしてるだけなんだ。
想像より時間がかかったけど、スマホオーダーできました。シェイクのLサイズ。席まで持ってきてくれて、得した気分。レジ打ちと支払いの仕事をやらされたのに、「得した気分」になるなんて、損得勘定バグってる気もするけど、まあ、「得した気分」になった方が「得」なので、バグってた方がいいのかもしれない。
さて、「やすらぎの湯」の営業開始までまだ2時間以上時間があるから、なるべく時間を潰したい。何をするか。読書でしょ。大変恥ずかしながら、Kindle Unlimitedで自己啓発っぽい本を何冊か借りていて、それらを拾い読みするのが僕の中で流行ってるのである。「有効な時間の使い方」とか、「嫌われても気にしない」とか、「仕事ができる人の発想」とか、そういうやつ。
僕は若い時、そういう本をバカにしてた(「そういう本」と雑にまとめてる段階でバカにしてるよな)。なんでバカにしてたんだろう。「中身がない人間が、中身のない本をありがたがって読んでる。読んだだけじゃ何も身についてないのに、ちょっと自分がマシになったつもりになって、イキり出すの見てらんない」みたいなイメージ。「文学」こそが至高で、それ以外のものは俗悪なのだ、とでも思ってたのかな。「本を読むからには、自分の内面に葛藤が起きなければならない」というような思い込み、というか。自分でもうまく言えないんだけど、「そういう本」のことを漠然とバカにしてた自覚がある。
今はちょっと違って、「前提知識なしでサクサク読める」「理解しやすいからと言って、内容が薄いとは限らない」「読みながら僕が何を考えるかが重要。読みやすい本はその味方」というような思いがある。少なくとも、食わず嫌いしてたらもったいないでしょ、というような気持ちはある。
でも、若い頃バカにしてた余韻で、「読むのが恥ずかしい」ことには変わりなくて。そこで、「これは、速読の練習だから」という言い訳を用意した。これなら恥ずかしくない。僕にはオリジナルの速読術があって、「8拍子速読術」と言う(今決めた)。心の中で1から順番にカウントして、8までカウントしたら次の「1」に合わせて端末をタップして、強制的にページを進めてしまう。
アホか。それで中身が理解できるのか。まあ正直言って、あんまり理解できてない。理解できてないんだけど、別にいい、というか。だって、だいたい書いてあること想像つくでしょ。結局、速読してピンと来ないことなら、ゆっくり読んでもあんまり変わらないと思うけど(自分でも何を言ってるのかわからない)。
会社をサボって、それを家族に黙って家を出て、スーパー銭湯の営業開始を待つ2時間。読書をするにはうってつけの時間じゃないか、ということで、読みました。それらの本を。「他人を批判するための質問ではなく、自分が学びを得るためのきっかけとなる質問を発想せよ」とか、「前向きな脳内トークをするためのセリフをあらかじめ用意せよ」とか、「やるべきかどうか迷う前にやり始めよ」とか、「ウチの会社では会議と残業は禁止にしました」とか。
内容を吟味するのではなく、頭の中に文字を流し込んでいくイメージで。「あとちょっと考えたら意味が理解できそう」という直前ぐらいのタイミングで、次の行、次のページに進む。どうせ大したこと書いてないのだ(やっぱりバカにしてるのかよ)。新しいページのインプットと、前のページの消化を同時にできるでしょ(出来てるかどうかは検証してない。だって、その間に次のページを読んでるから)。
認めたくないけど、認めるしかない。何にも努力してないけど、気分だけ「修行」を味わいたいのよ。日曜の朝、会社をサボり、甘いシェイクを啜りながら、ちょっと修行気分。やり遂げました。「25分集中、5分休憩」を2.5セットね(3セット目の途中でトイレ行きたくなってやめた)。「サボリ」と「糖分」の罪悪感のおかげで、よく集中できたような気がする。(集中できたかどうか、いまいちわかってない。だって、「読書」じゃなくて、もはや「読書気分」だから)
とにかく一応は満足して、店を出る。「やすらぎの湯」開店まであと1時間。まじめに歩けば35分ぐらいで着くと思うけど、そこをわざと遠回りしながら歩くのだ。日差しが強い。9時半はもうだいぶ昼だし、5月中旬は、だいぶ夏だ。帽子をかぶってきたらよかった。
そう思って歩くと、なんか「めまい」があるような気がしてきた。朝、会社に欠勤を連絡する時に、「頭痛とめまい」と入れたのを思い出して苦笑する。その時は、シンプルなウソだったんだ。発熱とか、咳とかを書くと、病院に行けと言われそう。でも頭痛なら、言われないかな、とかそういうイメージで選んだ欠勤理由だっただけど。嘘から出たまことというか、自己暗示にかかったか。
でも、「めまい」ってよく分からない。だって、見てるものの遠近感が普段と違う気がする、とか、音の聞こえ方が普段より遅れてる気がする、とか、頭にモヤがかかって考えと次の考えがスムーズにつながらない気がする、とか、全部「そんな気がする」っていうだけのことで。「三半規管がバグってることを、そのバグった三半規管で判定できるのか」っていう、SFのテーマみたいな問題があるでしょ。そんなこと言ったら、今朝だけじゃなくて、最近ずっとめまいがあるような気がする。最近っていうのは、この3カ月のような気もするし、この3年のような気もする。要するに、めまいの記憶というか、めまいの予感だけあって、「ただ何となく不安」みたいな。
「普段より不調」かもしれないし、気のせいかもしれない。というか、「不調こそが普段」なのかもしれない。「めまいがあるような気がするけど、自分ではよくわからなくて、体に問題があるのか心に問題があるのか、問題はないのか判別できない」という不安が訪れて、苦笑したよな。そんなの、「ただ潰すだけの暇な時間」に相性が良すぎる。とりあえず、自動販売機でスポドリ買って。チビチビ飲みながら歩いたよ。熱中症も怖い(今からでも会社行けよ。それか、早退した、とウソついて家に帰るか)。
めまいかもしれない、と思いながら歩いて、でも、機嫌はさすがに悪くない。トボトボと目的もなく(あるいは目的が少なく)歩いてると、だいたい川沿いに出るよな。この法則、気づいてた? 今までの人生で度々あったよ。気づくと川沿いに出てしまう。「にぎやかな方を避ける」「暗い方を避ける」「上り坂を避ける」と、逃げの姿勢を自分に許すと、川に出るんだよ。今日もか。おお、川よ。まさか、海につながってるのかい?
チビチビ飲んでたスポドリがなくなったところで「やすらぎの湯」に到着。ちょうど営業開始のタイミング。驚いたことに、行列できてるのな。20人弱ぐらいの老若男女が営業開始前から列を作ってたんだ。驚くほどでもないか。でも単純に、予想してなかった。
僕にとっては会社にも家族にもウソをついて、世界から隠れるように(誰も探してないけど)、孤独を味わう1日なわけであって、この「やすらぎの湯」は、「井戸」なんだけど(※「ねじまき鳥クロニクル」の「出口と入口が塞がった誰も通らない路地」を経由して行く、「捨てられた家」の「使われなくなった井戸」のことね。たくさんメタファー出てきたでしょ)。
誰にも知られずに、自分と向き合うつもりだったのに、なんで行列できてるんだよ。乱暴な言葉遣いすみません。お前ら、日曜の午前中から、何しに来てるんだよ(※僕は日曜が出勤日なのである)。そんなに「ととのい」たいのか。何にも努力したくないくせに、汗は流したいのかよ。何の挑戦もしたくない奴が、修行したい気分だけ味わいたくて集まるのがサウナなんだよ。雑な決めつけすみません。だって、僕がそうだから。
行列で並んでるんだけど、この時、「会員」は優先みたいで。たぶん、今からでも「会員」になった方が早そう。スマホで申し込めるでしょ。「会員」には年会費があるけど、その分1回の利用料金が割引になるから、たぶん2回来たら元取れるぐらいのやつ。会員になってもいい、いや、なった方がいい… と思うんだけど、体が動かない。
そういうメンタルのフットワークが僕にはないんだよな。一般の列に並んで30秒過ぎてしまった時点で、その30秒のコストを捨てたくなくなってしまう。「ここで会員になるぐらいだったら、昨日なっておけばよかったじゃん」とか、「ファストパスで入場できるのがうらやましかったのかよ、と誰かに思われたくない」とかを、潜在意識で思ってしまうんだと思う。これ、「潜在意識」っていうのがポイントで、もし、「有料会員登録、行列に並んでる間に今からでもすべきか?」という問題を理屈で考えたら、「試してみよう」って思える気がするんだけど、そうじゃなくて、「一般」の列に一度並んだら、その選択以外の発想をシャットアウトしてしまう。「やっぱり今からでも有料会員になろうかな」と別の選択肢を検討することを、脳が本能的に拒否してしまうんだ。
恨むぜ、モスバーガー。あんたのオーダーシステムが面倒だったから、もう今日の分のメンタル・フットワーク、使い果たしちゃったんだよ。そう思うと、モスバーガーで、「このシステムめんどいんだよ」と毒づいたのが、のちの自分を縛ってしまってるわけで、そういう批判的な発想のせいで結局自分が損してるのかもしれない。おかしいな、自己啓発本で、自分の行動を変える前向き質問の発想法を学んだはずだったんだけど。なかなかすぐには実践できない。
待つこと10分。上に書いたような葛藤は、すべて無意識下で起きたことを後から思い出して書き出してるだけで、実際にはツイッターをダラダラ見てただけで、あっという間に入場できたんだけど。
さて、僕は、まだお風呂には入りたくない。できれば夕方まで時間を潰したいのに、まだ11時にもなっていないのだ。あわてる必要はない。どうするか。休憩ルームでマンガを読むのである。一度ロッカーに行って館内着(人間ドックの時に着る作務衣みたいなやつ)に着替えて、それから休憩ルームに向かう計画。着替えるかどうか、ちょっと迷った。案外、荷物だけしまって、洋服のままの方が楽なような気もする。だって、まだ風呂にも入ってないのに、だいぶ裸に近い館内着が、はたしてリラックスできるのかどうか。万が一、地震や火事が起きたら、館内着で避難するのもイヤだし…
でも結局、「目立たない方がリラックスできるはず」と思って、館内着を選択。いざ着替えてみると、やっぱりこっちの方が楽な気がする。この後裸になってお風呂に入ろうという人間が、館内着での避難を心配するのってナンセンスじゃないか。
休憩ルームで、「呪術廻戦」を読む。この前、息子と来た時に読んでて、その続きだ。僕には、とても難解なマンガに思える。いったい誰が、何をしたがっているのか。いろんなバトルが休みなく続くけど、僕はどっちを応援したらいいのか、いまいち納得いかない。じゃあマンガがヘタなのかと言えば、どうしてもそうは思えない。バトルのアイデアはキャッチ―でもあり、スタイリッシュでもある(その両立ってムズくない?)。話の展開のリズム感がユニークで、ベースはアップテンポなんだけど、主旋律はスローな感じがする。「センスあるよな、マンガIQあるよな」と何度も思うんだけど、楽しみ方がよく分からない。
読んでて、不安にさせられるマンガなんだよな。「これ、面白くないんだけど、たぶん、俺が間違ってるんだよな」と思い続けてる。で、これも「めまい」かと思った。自分の感覚がバグってるような気がするんだけど、それを確かめようとしても、自分の感覚がバグってたら確かめられない、というような。クレタ人は嘘つきだとクレタ人は言った。
さて、条件反射のようにウトウトしてきて。断続的な居眠りを味わう。仮眠がウィスキーで、「呪術廻戦」がチェイサーね。いや、逆か。あまりのダラダラのおかげで、さっきの不安が軽減される感触がある。「呪術廻戦」を楽しめないのは僕が悪いのか。知らん。そんなこと考える必要はない。それに合わせて、今日という1日への不安も、軽減されたような錯覚がある。「せっかくズル休みしたんだから、時間を有効に使わないと」というプレッシャーがあったけど、「いや、目的地の設定もないのに、有効という概念はナンセンスでしょ」と思い直す。
不安があったんじゃない。不安があると、自分で思い込んでただけじゃないか。そっちの方が、自分がある気がして、安心できるから。そうか、不安は安心と表裏一体か。いや、逆か。安心したいという煩悩があるから、不安を感じやすくなるのか。「呪術廻戦」、面白くなくても困らないよ。安心したい気持ちを手放せ。「安心しなくていい」という精神状態が、一番の安心。だけど、そこに留まろうとすると、やっぱり不安が生じる気がする…
「ウトウト」と「呪術廻戦」のミルフィーユで、2時間経過。3巻分しか読めなかったな。速読術の修行が足りない。
さて、ようやく風呂に向かう。すでに「安心と不安を表裏一体のものとして受け入れる」というレベルに達してたわけで、ほとんどメンタルは仕上がってる。もう、風呂に求めるものは特にないよ。「ととのう」と「ととのわない」は表裏一体で、「ととのってない」ことを受け入れれば、もうそれが「ととのう」でしょ。俺クラスになれば、風呂に入る前からととのってるんだ(1人称も「俺」になった)。
100カウント風呂に入って、100カウント休憩を繰り返すんだけど、心の中でなかなか100まで数えられないのウケたよな。1から順番に数えるんだけど、油断するとカウントダウンしちゃう。ミストサウナにも入ったよ。確かに、汗がよく出る気がする。でも、水風呂は入らなかった。まだちょっと納得できてない。怖い。
そんなこんなで風呂も済ませ、メシも済ませて15時。さすがに帰りたい。だけど、あと3時間潰さなくちゃいけない。それで、歩いて帰ろうかという気になった。普通にあるけば1時間ぐらい。蛇行しながら適当に歩けば1時間半か。途中で座れるところを見つけたら、また速読の練習をしてもいい。
そう思って歩き始めたんだけど、行きと違ってどうも気分が乗らない。歩くのがなんか楽しくなくて。自分では気づいてなかったけど、行きの時は気分よく歩いてた気がする。「もう帰りたい」のに、時間を潰そうとして「回り道」する矛盾した感覚が面倒で、ちょっと悲しくなってしまった。
贅沢な話だ。ズル休みして、さんざん1人の時間でダラダラしておいて、時間をどう潰したらいいか分からなくて、悲しくなるのかよ。どうして帰りたいのに帰れないかと言うと、妻にウソをついて会社に行くフリをしてるからであって、やっぱりウソをつくとよくないんだな、と苦笑い。今からでも正直に言うか。それだと、ここまで時間を潰した分がもったいない気がする。それか、「体調が悪くて早退した」と、もう1つウソをつくか。いや、ウソを重ねた上に許されたいのは、さすがに図々しい気がする。
結局、「電車で居眠り」を選択しました。懐かしい。大学入って1年目のころ、よくやってた。すべての授業をサボってることが親にバレるのがイヤだったから、とりあえず家を出るんだけど、行く場所なくなると電車で居眠りしてた。今日は久しぶりのズル休みだけど、あの頃はこの「贅沢な悲しみ」が毎日だったのである。おい、あの頃の俺よ。努力はしたくないけど、修行してる気分だけ味わいたかったお前のおかげで、30年経っても、ほとんど成長してないお前が続いてるぞ。どうだ、怖いだろう。でも、怖がらなくていい。大変図々しい話だけど、こんな俺もそんなに悪くない。ダメな気がするけど、そのダメを判断する自分がダメだから、ダメかどうかわからないんだ。
無事時間を潰して帰宅。教訓は特にない。
2025年6月某日 長すぎる日記の短いあとがき
さて、半年間続けてきた日記シリーズは、ここでいったんお休みにします。懺悔の割にはずいぶん尊大だったけど、文章を書く習慣がセルフセラピーになってる気がして、続けてきました。またいつか。たぶん近い将来に。
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