鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】お祝いの日に露呈した父との確執の話(48歳になってもHIPHOP入門72)

2025年5月某日 金婚式ってマジかよ

昨日から妹家族が泊まりに来ていて、今日はお祝いの日なのである。両親の金婚式を祝って、みんなで外食するやつ。1ヵ月ぐらい前に、母が自分で言い出して、「そういえば、今年で金婚式だから、レストラン予約するわよ」と。ナイス、お母さん。自分で言い出してくれたないと、まったく悪気なくスルーしそうだった。

 

え、ちょっと待って。金婚式ってまさか、結婚50周年、なのか? そんなこと、本当にあり得るのか? と、驚いて。母の生まれた年、結婚した年齢をを思い出して、それを西暦に換算して、確かめようとしたんだけど、いや、違うわ。僕が今年で49歳になるんだから、もうそれで確認終了でもいいでしょ。

 

なかなかに信じがたい。こっちは、まだ思春期が終わってない実感があるのに。なんだそれ。どんな実感だよ。普通そういうのって、「自分がもうすぐ50歳の実感がない」とかでしょ。でも、「まだ大人になる覚悟ができてない実感がある」が正直な気持ちに近い気はする。

 

レストランに行く前に、もう1つお祝いイベントがある。写真スタジオで、家族写真を撮ってもらうのだ。両親、僕ら夫婦と子ども2人、妹夫婦と子ども2人の合計10人の写真。

 

1カ月前。妹とプレゼントについてLINEで相談(食事は両親がおごってくれるので、それとは別にプレゼントを用意しなくては、と)。妹が出してきちゃ候補が「写真立て」だった。なんでも、「金婚式 プレゼント」で検索したらしい。その中で和風の写真立てが気に入ったみたい。重箱みたいな写真立て。金箔っぽい、漆塗りっぽい感じで、金婚式らしいし、縁起が良さそう。それで、写真立ては採用するとして、その中に飾る写真も撮ってしまおうということになった。

 

行きました、写真スタジオ。朝から雨が降っていて、僕はズボンの裾をまくって歩いて。「頭悪いなりにこの後の展開を想像してる人」と自慢したんだけど、妹は「私はスタジオに着いてから着替えるよ」と。おお、そっちの方が頭良さそう。でもたぶん、段取りがいい人なら、タクシーを呼んだ気もするな。いやはや、情けない。僕としては、「誰かが考えるでしょ」という責任回避の姿勢が身についてしまっている。

 

スタジオに着いてからも、係の人に撮影の希望を聞かれるんだけど、特に何も考えてないので、ついマゴマゴしてしまう。「10人一緒の写真を1枚撮れれば、それでいいんです」と、ポエムのような要求しかできなかった。よくよく考えれば、「両親だけの2ショット写真もお願いします」が正解だったかも。たぶん自分たちでは言い出さないだろうから、そういうのは息子の僕が、カメラマンさんにお願いしてしまうのがいいのかもしれない。あるいは、「子どもたちだけ」とかね。思春期で、写真を撮られるのが苦手になってる我が子たち。いいか、子どもたちよ。たとえ茶番だと思っても、「幸せ」や「上機嫌」を演じるべきタイミングが人生にはあるんだ。その時の気合を、「不幸を近寄らせない魔除け」にしていけよ、とか。

 

まあでも、こっちとしてはボンクラだから、「特にこれと言った要求はありません」みたいな態度になっちゃうんだよな。結局、カメラマンさんの勧めで、背景と立ち方変えて2パターン撮ってみましょう、となった。あ、そうか。自分の希望をよく考えてなかったら、そう伝えればいいのか。「うまくイメージできてないんですけど、おすすめありますか?」の方が、同じこと言ってたとしてもまだ前向きな雰囲気だな。今度からそうしてみよう。

 

撮ってもらいました。2パターン。コンクリート打ちっぱなしっぽい雰囲気の都会的な背景と、教会っぽい大きな窓から光が漏れてくる厳かな背景。両親が真ん中で座って、左側に僕ら家族4人、右側に妹家族4人。カメラ目線以外にも、お互いを見つめ合う両親を、みんなで包むように見る演出もあって、「うれし恥ずかし」の撮影。

 

撮り終わったら、すぐに写真選び。どの写真を、どのサイズでプリントしてもらうのかを決めていく。プレゼントの写真立ては2Lサイズ用なんだけど、サンプルを見ながら、それより1回り大きな「六切」サイズがいい、ということになった。10人映ってるから、ある程度大きなサイズでプリントしてほしい、と。写真立てには、別の写真を入れてくれればいい。

 

写真選び。母は、「あなたたちからのプレゼントなんだから、そっちで選んだら?」と、僕と妹の2人で選ぶように言ってきて、それも分からなくはないんだけど、「でもまあ、一緒に選ぼうよ。それも含めて思い出でしょ」とか言って、両親と僕と妹で選ぶことにして。

 

店員さんから、PCの操作方法を教わる。画面の下に、番号のついた写真が小さく並んでるから、それをドラッグすると上で大きなサイズで確認できる。大きなサイズでの表示は左右2つ画面があるので、左右でどちらがいいか比べられる。候補の30枚から、プリントしてもらう1枚を選ぶ作業だ。

 

撮ってもらった2パターンのうち、「教会っぽい窓のレプリカ」の背景の方はイマイチだったのですぐに却下。ポーズが、「10人全員で一体感」ではなくて、「両親」「僕ら家族4人」「妹家族4人」が3つに分かれてる感じだったし、背景の窓から光が漏れるんだけど、そのおかげで父の白髪が明るくなりすぎ、「坊主頭に後光が差してる」という印象。金婚式とは言え、これは縁起が良すぎるか。最初に撮った都会的な背景のパターンから選ぶことに決めたし、PCの操作も慣れてきた。

 

だけどここからが難しい。何せ10人映ってるわけで、全員が「完璧なスマイル」みたいに揃ってるわけじゃないので。それで、「お母さんがよく映ってる写真が正解、ってことにするのが選びやすいんじゃない?」と、僕と妹で話し合う。おお、それなら選びやすい。やっぱりね、物事を決める時は、「決め方」を最初に固めるのがコツだよね。

 

そうやって選んでいって、「4枚目」と「7枚目」が候補に残った。「7枚目」がいい気がする。「4枚目」の母の方が美人っぽく映ってるけど、「7枚目」の方が自然で幸せそうな感じ。ただ、この写真は、妹の笑顔が若干カタくて、ちょっと無理に口角を上げてる感じがある。「笑顔を作ろうとしたのに、何かを企んでる顔になってしまう人」みたいなニュアンスが少し混じっているかも。だけど、この「笑顔を作るのが苦手な感じ」も妹らしくて、これはこれで悪くない、などと話し合う。ここで、父に意見を聞く。選び始めの段階で、「決勝戦になったら呼んでくれ」と言っていたのだ。「審査委員長」という感じか。

 

そうしたら、父は「他のも見たいから、操作を教えて」と、PCの前に座り、マウスを握り始めた。ちょっと待ってくれよお父さん。ここまで、どっちがいいか比べて選ぶ作業を、一緒に見てきたでしょ。意見があるなら最初から言ってくれよ。このPCの操作もさ、店員さんが教えてくれた時に聞いておいてくれよ、っていう話なんだけど、まあいいよ。お父さんが選びたいんだったら、それはそれで一番納得感がある。

 

結局、「9枚目」がいいと父は言う。見ると、確かに悪くない。妹の笑顔も、皮肉な感じが消えていて自然な感じ。というか、母はどの写真も割とよく映ってるので、弱点(?)である妹を基準にして選んでいくのがよかったのかも。OK文句はないよ。9枚目。みんなうれしそうに映っている気がしてきた。無事、注文できて一安心。

 

写真の後は食事会だ。なるべく雨に濡れないルートを選んで移動。ちょうどお腹も空いてきて、タクシーを呼ばなかったのも悪くない気がしてきた。

 

フレンチレストランでフルコースを頼んである、という。ドリンクを選ぶとき、母は「水でいいでしょ」っていうのな。"お金持ち”が身についてる母は、外食の時に「水ください」って言えるんだ。僕は、バカにされるのが怖くて、何でもいいからドリンクを注文してしまう。まあ結局は、「今日はお祝いだから、乾杯のために何か頼もう」となった。父が白ワインを選び、子どもたちはそれぞれソフトドリンクを選んだ。

 

みんなで乾杯。写真撮影の感想など。みんなで苦手なこと乗り越えた感じもあって、満足。何より両親がうれしそう。「これで最後かも」とやっぱり話題になって、いや、ダイヤモンド婚式とかあるでしょっていうんだけど、それが何年後かはよく知らない。

 

さて。帰ってきて。驚きの展開。認めなくちゃいけない。父が僕らの話し合いを無視して自分だけで写真を選んだこと、数時間遅れで腹が立ってきた。そして、思い返すにつれ、結構僕の中で根が深い問題なような気がしてきた。

 

父に「他のも見たい」って言われた時に、「え? 今まで一緒に見てきたじゃん、このタイミングで言うのおかしくない?」とか、反論というか、できれば軽いツッコミのように、何か言いたかった。だけどそれは言わずに、「そう? じゃあ見てよ」と返して、父の主張を当然のものとして受け入れてしまった。もちろん、お祝いのために撮った写真だし、両親が納得するように選ぶのが一番だから、父が選びたいというのならそれでいい。そのことはいいんだけど、僕が、自分では得意なつもりの「司会進行」を務めて、その流れでまとまってきた選択を無視されたわけだから、その点はちょっと傷つくでしょ。それ、分かってるのかな。

 

で、僕にとって「根が深い問題」と思ったのは、父の主張を受け入れて、僕の意見を引っ込めるまでの判断が滑らかすぎて、まるで最初からそう望んでいたかのように振る舞ってしまったこと。ただ、父を立てるよう役割を演じることを、僕自身の思いだと内面化して、それがスムーズにできるように自分を誘導してきたんだな、と思った。何層にも積み重なった内面化の成果が出てしまった。

 

これは、ちょっとショックだった。どうやら僕は、父と意見が対立することを極端に恐れているらしい。「HUNTER×HUNTER」のキルア(主人公ゴンの相棒)が、イルミ(キルアの兄)から「自分より強い敵とは戦わない」という判断を強制する「針(イルミには他人をコントロール能力があり、その力を対象に及ぼすための触媒)」を埋め込まれてた。それと同じように、「父と意見が対立したら僕の方が譲る」ことを、自分に課してしまっている。そして、自分でも気づかないぐらいにそれが当たり前になってるんだな、と。

 

考えれば考えるほど、「父との対決を避ける」という方針が僕の人格形成の背骨になってるような気がしてきた。おおお、「父との内なる確執」、僕にもあったのか。文学かよ。

 

父は、買い物が好きだ。何かを選ぶのが好きで、モノ選びの審美眼に自信を持ってる。もし議論したとしても、どうせ自分の意見を曲げることはないんだ。実際のところはどうか分からないけど、僕は「父にはどうせ敵わない」と諦めて、父と議論することを避けてきた。

 

僕が中学の頃。週刊誌で出題された「時刻表クイズ」があった。「沖縄を除いた全国46都道府県の県庁所在地の駅を、最短で回るルートを考えろ」という問題。「新宿からスタートして、新宿に戻る」みたいな設定だったと思うんだけど。初手で北に向かうか、西に向かうか、甲府や浦和を始めの方で潰してしまうのがいいのか、後回しでいいのか。ルートが無限すぎて、想像しただけで目が悪くなりそうなクイズだ。これに父は挑戦して、5位以内に入賞した(賞品の野球チケットを僕にくれて、友達と東京ドームに行った気がする)。これ、僕にとってはトラウマというか。普段鉄道マニアでもなんでもない父が、全国の猛者を相手に渡り合ってしまうのを見て、「この人の比較検討の能力、熱意、執念には絶対に勝てない」、と思い込んでしまった。


あらゆる買い物に苦手意識がある僕の実態は、父へのコンプレックスに関係があるんじゃないか。服を買うのも、食料品でも家電でも。「選択肢を比較検討して、そのなかで自分の好きなものを決める」という行為に、僕はいつも自信が持てなくて、「その選択はセンスがない」と誰かに思われるのが怖かった。「僕が選んだものを、父に否定されたら」と想像して、勝手に傷ついてしまう。実際に父が見ていなくても、「内なる父」に見られてる気がする。それで、「本気出して選んでないから」と予防線を張るクセがついてしまった。だから、買い物が楽しくない。「一番スタンダードなやつ」か「値段が下から2番目に安いやつ」を選んでしまう。


そうか、その「本気を出した選択が怖い」という心理、今の僕にもめちゃくちゃ影響を与えてるな。外食の時は、その店の「看板メニュー、定番メニュー」を選んびがち。映画でも、「王道」が好き。というか、「王道をバカにする感覚」とか、「通っぽい映画が好み」とか、自分の趣味の良さをアピールしたい心理が嫌い。


そして、僕が勝負事に「勝つ」のが苦手なのも、「父に勝ってしまうのが怖い」という心理があったからかもしれない。父から将棋を教わって、4枚落ち(上級者の方が、飛車と角と香車2枚を初期配置から外すハンデ)ぐらいまでよく指してたけど、そのうちあまり指さなくなって(小学校の高学年ごろかな)。たぶん中2ぐらいの時は僕の方が強かったと思うけど、ハンデなしの平手で、父と勝負することは一度もなかった。僕に負ける父を見たくなかったのかもしれない。「父との真剣勝負を避けた自分」との整合性を保つために、友達と遊んでる時でも、「勝ちにこだわること」を怖がってた気がする。

 

その反動で、僕には「負けず嫌い」な人への強い憧れがあるんだろう。バスケ、サッカー、将棋、アメフト、麻雀。「悔しさを隠さない」であれ、「闘志を内に秘める」であれ、トップ選手たちの「尋常じゃない負けず嫌いっぷり」を見るのが好きすぎる。ほら、すごい影響じゃないか。

 

勝負事だけではなく、人間関係、コミュニケーションの面でも、似たようなもの。「経過はどうあれ、父はどうせ自分の意見を譲らない」と、僕は諦めてしまっているところがあって、その影響で、父だけではなく誰と話しても「相手に譲ること」を第一に考えてしてしまう。そして、「譲歩できる自分」を、自分でも望んでたキャラだと思い込んで、そのキャラを40年以上かけて育ててきたんだな。ちょっと気が遠くなった。


やれやれ。いやはや。こうやって書き出してみると、それぞれよくある心理のような気もするけど、さすがに重みがある。「僕の選択を父に否定されることが怖い」とか「父は僕を認めてない、と内心ずっと傷ついてる」みたいなことが、僕を育ててきたんだな。

 

こうやって出来上がってきた「僕のあり方」を、僕はそんなに嫌ってる感じもなくて。気の弱さとか、情けなく、恥ずかしい部分もあるんだけど、トータルでは「まあ、こんなものでしょ」と納得はできてるので、それは運が良かったかも。「本気を出してぶつかってこない息子」だったから、父には寂しい思いをさせたかな。それは申し訳ないけど、僕には僕の言い分がある。だってお父さん、人の意見を受け入れるつもりがないじゃないか。

 

あ。もう1つ思い出した。中学の頃かな。ニュース番組で、「いじめ」についての話題がやっていて。僕は父に意見を求められて、「いや、別に」みたいな反応をした。そうしたら父が「こんな大事な問題なのに、意見がないのか」と怒るので、「意見はあるけど、言いたくない。お父さんを、議論に値する相手だと認めてない」って突っぱねたんだった。自分でもひどいことを言ってる自覚はあったから、父の顔は見られなかった。さぞ傷ついたことだろう。

 

同情するよ、お父さん。僕も父親になって、息子はもうすぐ中学生だ。息子にそんなこと言われたら、一晩で白髪が倍になるわ。まあでも、「成長した息子にやっつけられる」のが父親の務めなのかもしれない。まあ僕はこの48歳になっても、いまだに思春期じみた日記を書いて、「父に勝つ覚悟がない」とかウジウジしてて、その上息子に負ける覚悟もできてないんだけど。

 

ああ、心配だ。今は両親ともに元気だけど、近い将来、介護が必要になった時に、僕と父の関係はどうなるんだろう。私小説書き放題じゃないか。

 

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