鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】TOEIC受けてる場合じゃねえよ㉑

2022年4月某日 あっと言う間に春休みは終わる

子どもたちの春休み、もうすぐ終わり。そんな中、昨日はなんとなくみじめな気持ちで1日過ごしてしまった。「ああ、僕は子どもたちをどこにも連れて行かなかった。ダメな父親だ」みたいなテンションで、ダラダラとスプラトゥーンをやり続けたんである。


「ああ、自分はイケてないな」と思いながらやるゲームって、気分が盛り上がらずに、ズルズルとやめられずに続けてしまって、その「大して楽しくないのに、惰性で続けてしまう」っていう感じが、さらにみじめな気持ちを促進するよな。それで、コントローラーからなんとか手を離すんだけど、落ち込んだ気分で特にやることもなくて、また始めてしまう、みたいな。YouTubeも見た。スプラと、麻雀と、お笑い。


一応、途中で子どもたちとボードゲームもやった。「これは、手を抜いてわざと負けた方がいいのでは?」とやり始めてから思って、「いや、そもそもハンデ戦だし、手を抜くということは娘か息子のどちらかにわざと勝たせるということであって、それって最悪なのでは?」と思い直して、結局圧勝してしまった。子どもたちはその後2位決定戦をやっていて楽しそうだったから救われたけど。


なんで「ダメな父親だ」みたいな気分になるかと言うと、子どもたちはどこにも連れて行かないくせして、自分は遊びに行く予定がある、という(妻がチケットを取って、ライブに誘ってくれた)。


今も書きながら、「どれもこれも、仕方ないことなんだ」と言い訳をしている。ライブに行くのは前から決まっていたことだし、どちらかと言えば妻のためだ。別に子どもをないがしろにするつもりはなかった。コロナ対策の自宅待機で会社を連続して休んだので、この年度替わりのタイミングで休みを取るのも気が引けた。会社を休まない前提だと、そもそもどこかに出かけられるタイミングは少なくて、その数少ないチャンスにも雨が降った。習い事と部活(娘の吹奏楽部では、6年生さよならコンサートがあった)の用事で、子どもたちもまあまあ忙しく、別に無理してどこかに行きたい雰囲気でもなかった。ほら、書き出してみれば、「家でのんびりしてたのは悪いことじゃない。ダメな父親だ、なんて思う必要もない」って信じられそうな気もしてきた。


でも、もう遅い。一度「ダメだな」と思ってしまうと、その自己評価が暗示のように働いて、自分を支配してしまう。簡単にはリセットできない。「工夫すれば、何らかのアクティビティを子どもに体験させられたはず」とか、「空気を読まずに会社を休むぐらいできたはず」とか、そんな風に思ってしまう。ああ、やっぱりダメじゃないか。


結論としては、「ダメなりに人生を続けるしかない」とかになるんだろうな。「フットワークの軽さ」とか「やったことのないことを試す積極性」とかは自分に期待しない方がいい。ダメなりに、落ち込んだりせずにできることをやる方向に考えよう。

 

4月某日 昔の物を捨てた

親と2世帯同居してるんだけど、と言うことは昔僕が使ってた部屋があって。そこは父が本や書類を置いておく書斎的な部屋になっていて、要するに誰も使っていない空き部屋になっている状態で。


その部屋を子ども部屋にしようと誰からともなく言い始め、でも言ってるだけで片付けとかは進んでなくて。


片付けのできなさ。呪いがかかったかのように本当にダメな僕のダメさ。それを突破して、ようやくちょっとやったんである。


片付けがまったくできない僕へのアドバイス。全部いっぺんに片付けようとすると、圧倒されて何もできなくなる。だから、「10分」と時間で区切るか、「10リットルのゴミ袋、1枚分ゴミを捨てたら終了」とするか、とにかく達成可能な小さい目標を作るといいよ。


今日は、「何となくまとまっていた手紙と写真の束」を、ゴミ袋に2重で入れて口をきつく締めるというミッションを20分弱でクリアした。


写真。捨てていいものかどうか迷ってしまう。一緒に映ってる人とかに、「これ要りますか? 捨てていいですか?」って聞かないといけないような気がしてしまう。でも、まあ一生聞かないよな、って思って未練を断ち切って、何枚かだけ残して捨てた。


手紙もそうだ。捨てちゃいけないような気がする。少なくとも、捨てる前にもう一度読まなくちゃいけないんじゃないか、という気がする。それができなくて捨てるのがムリだったんだけど、結局ほとんど読まずにただ捨てた。


でも、本当はちょっとだけ読み直して、はじめてつき合った人からの手紙も見た。たぶん何かのプレゼントをもらった時に添えられていたやつ。字が綺麗すぎて惚れ直したな。僕があの人を裏切るような形で別れてしまったんだ。当時はよく分かってなかったんだけど、あの人がちゃんとしすぎていて(人格が素晴らしすぎて)、一緒にいて恥ずかしかったんだろう。


それでも、手紙を捨ててみて、やっぱり「未練を断ち切った」感じが具体的に納得できてよかった気がする。もうあの人に「許して」と言える資格もないし、そんなチャンスも来ない。そのことを20年ぶりぐらいに「納得」した感じがある。


「終活」の練習みたいな感じがあるな。断捨離。未練を感じる可能性があるものを、少しずつ切り離していく、という。またやろう。

 

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