鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】TOEIC受けてる場合じゃねえよ㉘

2022年4月某日~5月某日 家族旅行中に、妻が救急搬送された話

2泊3日の家族旅行に行ってきた。


この日記でも繰り返し書いてるけど、僕はそもそもが出不精なのであって、「行こうか行くまいか迷ったら、ほぼ迷わず行かないを選択する」という人生を過ごしてきたわけであって。「不急不要の外出の自粛」が唱えられた世の中では、その僕の底なし沼的な出不精から抜け出すのが難しくて怖かった。


まあでも、なんとか旅行に行ってきたんである。大変恥ずかしながら、感無量。本当にミもフタもない、情けない、恥ずかしい言い方になるんだけど、車を運転して、「一家の船長」みたいな気分が味わえて自己肯定感が回復した感じがある。(別に恥ずかしくないか。常に自分に“父親らしさ”を求めて、家族にも自分を“父親らしく”扱うように求めて、それに縛られてしまったら弊害もありそうだけど、僕の場合はたまにはベタな父親らしさもアリなのかもしれない)


車の運転で思ったこと。「事故さえ起きなければOK」と思えれば、運転は難しくない。時間がなくて焦っていたり、誰かに見栄を張っていたりすると、途端に運転は難しくなる。だけど、「事故さえ起きなければOK」じゃないですか。


「事故さえ起きなければOK」と思えるためには、ちょっと早めに出て時間に余裕を持ったり、「途中で道を間違えることもあるし、トイレに行きたくなることもある」というような順調にいかないケースのイメトレをしたりすればいい。


(たぶん人生も同じだろう、と。「生きてるだけで丸儲け」っていう言葉がある。でも、そうシンプルに考えることが案外難しいから、その言葉を繰り返し口にするんだろうけど)


旅のアクティビティは、アスレチック、科学館、サイクリング、水族館の順番。旅行中には雨も降ったけど、アスレチックとサイクリングの時は大丈夫だった(出発前日に天気予報を見て順番を組み替えた)。


さて。2日目に、大事件が起きたんである。大事件というか、「あわや大事件」か。妻が風呂場で転んで頭を切り、救急搬送された。サイクリングと農協の直売所でのお土産購入を終え、僕らが向かったのはスーパー銭湯。妻と娘は女湯へ、僕と息子は男湯へ別れ、風呂に入ったり休んだりして、40分ほど経過して。放送で僕が呼び出されているんである。


「お伝えしたいことがございますので、お近くのスタッフにお声をおかけください。または、脱衣所の電話で、フロントをお呼びください」みたいな。


とっさに意味が分からず、とりあえず息子と一緒に脱衣所へ向かう。壁にかかっている電話を見つけたので、フロントにかける。誰も出ない(今から思うと、かけ方が間違ってたのかもしれない)。すると、「○○様はいらっしゃいますか」と僕の名前を呼ぶスタッフがいたので、名乗り出る。「奥様が、のぼせて倒れられて、お顔を少し切られたようです。お話はご自身でできて、意識はしっかりなさっているのですが、念のため救急車を呼ぶか、相談しているところです。後ほど係の者が詳しくお話ししますので、ここを出た休憩室でお待ちください」と。


今から思うと、この話を聞いているとき、僕はまだ裸なんである。せめてパンツぐらいはいてから行動すればいいように思うんだけど、どういう精神状態だったのか。「緊急事態かもしれないから、服を着るよりも何よりも早くフロントに電話しよう」という意識ではなくて、どちらかと言うと何も考えておらず、たぶん「話を聞いたら、もう一度風呂に入ろう」と無意識に思っている状態だった気がする。


さて、僕と息子は服を着て、のどが渇いているのでとりあえず自販機でジュースと牛乳を買って、休憩所に移動。誰に声を掛けたらいいものかも分からず、何となく座って1分後ぐらい。脱衣所の時とは違うスタッフに声をかけられる。妻は別のところで休んでいる、という。「受け答えもはっきりしており、ご心配はないと思います」「ただ、頭を打っていることもお顔を切られていることも事実なので、病院には行かれた方がいいです」「救急車を呼ぶほどではないお怪我かもしれません。ただ、旅行中とお聞きしました。連休中ですし、病院に心当たりもないでしょうから、救急車を呼びました」と。


わわわわ。マジか。女湯で一緒だったはずの娘ははぐれてないですか、と聞く。一緒にいる、と。


こんな時、僕は妻の心配をするよりも、「これからどんな行動をとればいいんだ?」と自分のやるべきことが見えなくなって不安になる、ということが分かった。正直言って、救急車を呼ぶ判断を、(本人と相談の上)店舗のスタッフがしてくれて助かった。僕に決めろ、と言われたらちょっとパニックになりそう。


妻は救急車で運ばれる。僕と子ども2人はどうしたらいいんだ? 家にいる時だったら、同居の両親がいるので、子どもの面倒は任せられる(なんと幸運なことか)。でも、旅先のスーパー銭湯にいて、そのスーパー銭湯はスマホで検索して、グーグルマップのナビに指示されるがまま着いた場所であって、近くに何があるのかもまったく分からない「どこか」なんだ。


僕は子どもたちに夕飯を食べさせなくてはならず、そのスーパー銭湯の中にあるレストランで夕飯を済ませるつもりでいた。だから、「ここを離れたらどこで、どのタイミングでメシを済ませればいいのか分からない」みたいなことで、ちょっと困っているのだ。


妻がケガをしているというのに、なかなかのサイコパスっぷりで我ながら呆れるんだけど。でも、この後の予定を組み直さなくちゃいけないんだけど、それが判断できないでちょっと呆然としてる感じ。


妻と娘が出てくる。2人とも元気そうではある。頭はタオルで押さえていて、ケガの具合は分からない。救急隊員が来て、妻は救急車に移動。僕は、料金の精算をしなくちゃいけない。そうか、救急車が来る前に精算すればよかった。「先に言っといてくれよ」と内心思う。すぐに救急車が出発するわけではないんだけど、はじめて来た施設で精算のやり方もよく知らないので焦ってしまう。


スーパー銭湯の施設から出ると、救急車はまだ駐車場にいる。この時点で、僕はまだ「自分の取るべき行動」が理解できていない。「僕ら3人も救急車に同乗して病院まで行って、終わったらタクシーとかでここまで戻ってくるのかな」とか思ってる。いや、違うな。搬送先が決まってから出発するんだから、僕はたぶん、救急隊員から搬送先の病院を聞いて、そこには自分で車を運転して行くんだ。


救急隊員に病院名を聞いて、それをメモした。出発する救急車。駐車場に残る僕と子ども2人。僕らはスーパー銭湯の建物から外に出ており、もう店のスタッフも救急隊員も近くにいない。ホッとするような、寂しいような、よるべない感覚。もう、誰も何も指示してくれない… ともかく病院に行かなくては。


車に戻り、グーグルマップで病院の位置を検索。所要時間10分ほどの場所のようだ。さっき救急隊員から聞いた情報と一致。道をなんとなく予習する。子どもたちに、トイレは大丈夫か、のどは渇いてないか聞く。息子が、「ちょっと気持ちが悪い」と言い出した。「電気風呂がよくなかったのかも」とか言っている。マジか。僕は青ざめた。サイクリングの時に買ったアメと、おみやげの「サツマイモの甘納豆」みたいなやつを食べさせる。なんか知らんが糖分取っといた方がいいんではないか。「さっきよりはよくなってきたから、たぶん大丈夫」とか言ってる。そうか、言い出しにくかったのかもしれない。ちょっと分からないけど今から向かうのは病院だ。もし息子までダウンしたら、息子も診てもらおう、と出発することに。


スマホを娘に持たせる(うちの車にはスマホホルダーみたいなのはなくて、それまではずっと妻にスマホを持ってもらっていたのである)。「パパは、この音声のナビどおりに行くから、聞こえるように持ってて。間違えてもルートを作り直してくれるから、心配ない」みたいに話す。


途中1回道を間違えた。車を路肩に寄せて、ハザードをつけて止める。スマホを見直してもう一度道を確認して出発。あとはトラブルなく病院に到着する。息子に気分を聞くと、「もう大丈夫。全然平気」と。助かった。ナイス糖分。


よくよく考えれば当たり前なんだけど、病院に着いてから、40分ぐらい待つんである。だから、焦ることもなかった。妻本人の荷物に保険証も財布もスマホも入ってるわけで、極端な話、僕らだけメシを済ませてホテルに戻り、あとで迎えに行く、という段取りでも構わなかった。

 

さっき、「妻のケガよりも、自分の判断の自信のなさにうろたえた僕」を自分で笑ったけど、案外大事なことかもしれない。救急車を呼んでもらった時点で、妻のケガは専門家に任せるとして、自分は行動の段取りをしっかりやる。その方がいいのかもしれない。段取りが分からなければ、知ってそうな人に教えてくださいと聞き、教えてもらえなければ自分で決める。自分で決めたことを必要な人に伝える、というような。


結果的に息子が吐いたり気を失ったりしなかったけど、救急隊員に病院を聞いた時点で、もう一度スーパー銭湯に戻って「息子が疲れてるみたいなので15分程度休んでから出発します」と言えばよかった。精算が終わった後で、ちょっと図々しいけど、たぶんそのぐらい認めてくれただろう。(普段の僕なら「ちょっとした図々しさ」は発揮できないけど、必要な場面で引っ込み思案のスイッチをオフにするのは大人ならやらなくちゃ)


ともかく、妻が点滴を処置してもらった段階で病室に僕らも入れてもらえて合流できた。3針縫ったものの、それ以上のダメージはなさそうで、次の日の旅行日程にも支障はなさそう。


その日は、午前から午後にかけてサイクリングをしてたんだけど(休み休みで片道2時間ぐらい)、妻も自分でも気づかないぐらい疲れてたのかも。「のどの渇きを感じる前にこまめに水分補給」とよく聞くけど、それも本当のことだった。病院を出て、近くにチェーン店のうどん屋で夕飯を済ませ、ホテルに帰ってようやく息がつけた。ピンチ脱出。子どもたちも落ち着いて、むしろ僕らを励ましてくれて感激したよ。

 


旅行から帰ってきて、やっと安心してから「吊り橋効果」のことを思った。吊り橋の揺れと高さの恐怖によるドキドキが、恋愛のドキドキと脳が誤解して、結果として仲が深まる、みたいなやつ。家族で旅行に行くのも、似たような効果があるかもしれない。出不精の僕にはなかなか難しいタスクだけど、それは「行ってもいいし行かなくてもいい」と迷うからだ。「また絶対行こう」と思ってた方が、楽なような気もする。また必ず行こう。


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