ツイッターで僕が無鉄砲につぶやいたことを、時々振り返って反省するコーナーです!(「最近」と言っても、取り上げているツイートは結構前のものです。かなり前に取ったメモを振り返って反芻する、なんとも悠長なことをしています)
今回はこんな感じ・・・
カメラを動かすのが難しい
子どもたちにスイッチを買い与えたおかげで、ほぼ10年ぶりにゲームをしてるのですが。「スプラトゥーン」がすごく難しくて。「自分が動きながらカメラも動かす」という感覚が初代ファミコン世代の僕には意味不明。「ニュータイプかよ」と。まだ始めたばかりだけど、案外すぐ慣れるのかどうか。
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 1, 2019
「マリオオデッセイ」は、カメラを動かすのが下手でもそれほど致命的ではないんだけど、「スプラトゥーン」は「狙ってインクを飛ばす」という動作が下手だとまったく遊べないので、ちょっと練習が必要そう・・・
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 1, 2019
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去年のクリスマスに、子どもにニンテンドーSwitchをあげた。実際に僕がちょっとやってみたのは、「スーパーマリオ オデッセイ」と、「スプラトゥーン2」。どちらもすごく面白かった。
実際はそのあと割とすぐに慣れたんだけど、上のツイートの時点では「すごく難しい」と感じていたのは、「マリオ」を動かすのと同時に「カメラ(マリオをどの角度から見るか)」を同時に動かす操作感覚だ。
何しろ、僕がゲームを覚えたのは、「ゼビウス」「マッピー」「(初代)スーパーマリオ」の頃だ。どれも、キャラは2次元的な動きしかできない。「ゼビウス」には「高度」という概念がないし、「スーパーマリオ」には奥行という概念がない。
だけど、マリオオデッセイは「左右」「前後」「上下」に動けるし、その上それをどの角度から見るか、も同時に操作できる。「スプラトゥーン」も同様で、こっちの方はさらにゲーム上カメラの動きが重要。キャラが見ている方向しか狙えない(銃みたいな武器からインクを飛ばすことができない)ので、動きながらカメラも動かさないと相手を倒せない。
実際には、コントローラーの傾きでカメラも動くので、「直感的」にプレーすればいいのだけど、最初にやった時はそんな種類の「直感」を持っていないので戸惑った。
ゲームの進歩を体感して、その上で人間は結構簡単に新しい世界に慣れるな、みたいなことを実感できて面白かった。ゲームの進歩って、おそらく仮想現実(VR)の進歩と同期していると思うんだけど、心理療法とか、職業訓練とかで今までは想像できなかったやり方が実用されて、案外それが当たり前になるスピードは速いのかも、とか想像した。
「大切なものを守りたい」って何だよ
今日見かけた地方議員の立て看板で、スローガンが「大切なものを守りたい」だって。「大切なものが何なのか議論したり、人によって大切なものが違うのことを、認めたりスルーしたり利害の調整をしたりしようよ」って思った。
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 2, 2019
「大切なものを守りたい」って何だよ。本当に。言っていいことと悪いことがあるよ。「大切なものを守りたい」って何なんだよ。
そりゃあ、そうだよ。大切なもの、守りたいよ。でも、「大切なもの」って何なんだよ。お金? 健康? 自由? 伝統? 常識? 教育? 家族? 生きがい? 安全? 全部? 何なの?
まあ、全部かな? 全部大事だよね。で、「守る」って何だよ。全部守れるの? 優先順位は? 何をもって「守れた」って評価するの? 誰が守るの? それぞれ自分で? 世の中? 国が守るの? 自治体?
まあ、いいよ。「守りたい」だもん。ふんわりした願望なんだから、はっきりさせなくてもいいよ。なんとなくの願望を表明してるだけなんだから。「大切なもの」も「守る」も定義しなくていいよ。なんとなく思ってるだけなんだから。でも、それをポスターに載せるなよ。
たかがポスターのスローガンなんだから、そんなにムキになることはないのかもしれない。でも、これは「相当ヤバい」と思った。何がヤバいって、絶対「いいこと言った」と思ってるだろうこと。たぶん、本当に「大切なものを守りたい」と思ってるだろうこと。
人々、世の中にとっての「大切なもの」が何なのか、自明でないこと。その時代のよさと、困難。それを味わってない人とは、酒を飲みたくない、とだけ言っておきます。
子どもたちに買い物の練習をさせたい
期間限定の出張駄菓子屋みたいなの見つけて。子どもたち大喜び。それぞれ100円を渡して、何を買うか自分で決める。買い物の練習をさせられて、大変ありがたい。
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 2, 2019
駄菓子屋って、ひょっとしたら子どもたちに「買い物の練習をさせる場所」として機能してきたんじゃないかな、と想像した。(とは言っても、僕が小学生の時に近所の駄菓子屋で買い物をした記憶はないんだけど。遠足の前に、クラスメイトたちは待ち合わせて「ちょっと遠くにある駄菓子屋」に自転車で遠征してたのを、ほのかにうらやましく思ってた)
これはあくまで個人的な感覚なんだけど、コンビニの店員さんの仕事には、「小学1年生の相手をして、質問に答えたり、行儀の悪さを叱ったりすること」は含まれてない気がする。「必要なものをパっと買う」みたいなことを期待してコンビニに行くので、「子どもが買い物の練習をする場所ではない」と感じる。(一方で、「別にいいじゃん、多少待たせたり待たされたりしても。気にしすぎるなよ」とも思うけど)
そして、これもあくまでも個人的な願望なんだろうけど、駄菓子屋の業務には、「店主のおばあちゃんによる子どもたちとのコミュニケーション」も含まれてる気がする。どうだろう。そうでもないかな。ひょっとしたら、「近所の床屋」とかもそうだったんじゃないかな。そして、そういう場所って、なかなか貴重になってきてるのかな、とか思った。
その他のツイート
「メモを取る」みたいなつもりでツイートしていることが多いので、自分的に覚えておいてもいいかも、ということを貼りつけておきます。
「分厚い本だからって中身が詰まってるとは限らないし、売れてるバンドだからって中身がからっぽとは限らないし、詩人だからって繊細だとは限らないし、バイトだからって会社をナメてるとは限らないし、童貞だからって童貞だとは限らないんだよ!」
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 4, 2019
「?」
「中には童貞じゃない童貞もいる!」
「??」
息子5歳が本を見ながら、「ひまが嫌いな花は?(ひまわり)」「突然倒れる虫は?(てんとう虫)」みたいに連続してなぞなぞを出すんだけど、娘8歳、全部の問題に「せっけん!」て答えるネタをずっとやってて。「手を洗うとき出てくる犬は?」という問題が出てきて家族全員興奮した。
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 5, 2019
「自分の前の世代が、自分より得してやがる」っていう怒りを、「自分の後の世代に、自分より損をさせないためには何ができるか」に結びつけられるか。
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 6, 2019
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