ツイッターで僕が無鉄砲につぶやいたことを、時々振り返って反省するコーナーです!(「最近」と言っても、取り上げているツイートは結構前のものです。かなり前に取ったメモを振り返って反芻する、なんとも悠長なことをしています)
今回はこんな感じ・・・
治せるのは自分だけ
威圧的な態度が染み付いてる人がいて、「ああ、威圧的な態度の人にもビビらずに済む薬があったらほしいなあ」と思った。「えばりんぼうにつける薬」を塗って、そいつの態度を治す発想はあまりなくて、その発想に至らなかったのが不思議な気もするし、分かる気もする。
— 鯖缶 (@savacanmemo) May 24, 2019
自分の足音の大きさに無頓着な人が時々いる。そいつは「えばりんぼう」だと僕は決めつけてる。
自分の存在が、他人の楽しみを邪魔してしまうかもしれない(例えば、居眠りとか、読書とか)という発想があれば、大人になるまでの間に、自分の足音の大きさをコントロールすることを、きっと身につけてるはずだから。
足音がデカい人は、その根っこの部分で、他人への配慮を欠いているんだ、どうせ。でも、えばりんぼうを治す薬なんてない。もしそんな薬があって、処方したとしても、そいつはどうせ体に塗らない。
だから、僕は「毅然としてスルー」だ。そうできるように自己暗示を繰り返しかけるようにしよう。こっちがビビらなければ、調子に乗ってナメてくることもない。
(ここまで決めつけておいて、こんなこと言うとつまらないんだけど、体の使い方が不器用な人、障害がある人はいるから、他人に配慮したくてもどうしても足音が大きくなってしまう人だっているだろう。足音だけで他人を判断しちゃいけない)
マンガ「累(かさね)」(松浦だるま)を読んだ
マンガ「累(かさね)」(松浦だるま)読んだ・・・!
— 鯖缶 (@savacanmemo) May 30, 2019
「演劇をマンガで描くのって、相性いいな」と思わせる感じ。「伝説の女優の演技力」って、生身の人間だとなかなか説得力出せないと思うし(じゃあマンガだったら簡単なのかって言ったら当然そうじゃないんだろうけど)。
有名戯曲のセリフが、吹き出しの中にカギカッコでくくられて出てくるのが好きだった。「吹き出し(虚構)×引用したセリフ(虚構)」が、妙に真実味が出る、というか。映画「トゥルーマン・ショー」のジム・キャリーの「嘘っぽい設定×嘘っぽい演技」が「ニセモノでもそれが真実」っぽかったのに似て。
— 鯖缶 (@savacanmemo) May 30, 2019
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「この世のものとは思えないほどの醜女」が、「他人と顔を入れ替える呪術能力が具現化された口紅」を使って、「絶世の美女」と顔を交換し、舞台女優としてスポットライトを浴びる、という仕掛けのサスペンス。
(老若男女問わず)誰しも、自分の容姿に何らかのコンプレックスを持ってるし、変身願望を持ち合わせてる。普段そんなこと気にしてない人でも、ふとしたきっかけで美しさへの嫉妬に身を焼かれることがあるかもしれない。そんな恐怖が、このマンガの吸引力になる。
(ところで、「美男美女」にもひょっとしたら人一倍の恐怖があるのかもな、と想像した。自分でも自分のことはイケてると自覚して、他人からも美しいと思われてることをわかっていたら、それを失うのはさぞ恐ろしいことだろう。自分より美しい誰かはさぞ憎らしいだろう)
さて、20代の頃に熱心に演劇をやっていた僕からしてみれば、恐ろしいのは「演劇の魅力」だ。僕自身を含めて、当時劇団に入ってきたメンバーは、どちらかというと内向的な性格の連中ばかり。感情表現も、コミュニケーションも得意じゃない。目立つのだって苦手な奴が多かった。
でも、というか、だからこそ、「今までうまく表現できなかった、本当は目立ちたがりな自分」を肯定できる場所としての演劇は、かなり中毒性があった(僕は脚本、演出という裏方だったから、ちょっと違うかもしれないけど)。
その、「演劇の中毒性」が、物語を先に進ませる力として常に機能してたように思う。最後までテンションを落とさずに読めた。
フォーマットありきなのかよ
うまく周囲の空気に乗れなくて、ウジウジしちゃう人がオタクになれる才能がある気がする。マニアックにネチネチ考えるのが好きな人。自意識過剰だけど、集中力がある、みたいな。「自分が調子に乗れるフォーマット」が見つかると、それまでを取り返すように突っ走る。そこが好きでも嫌いでもある。
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 1, 2019
上のツイートで何を言いたいのか、自分でもいまいちよく分からない。でも、僕としてはちょっと興味があることなので。
例えば、オタクがネットスラングを使って会話をしたりする時。ネットスラングというか、ある種の会話の成り行きのテンプレートとか。ツッコミのセリフとか、ある種の「分かる人だけが分かるルール」でコミュニケーションを成立させる時のこと。
「オタ芸」(高速で両手をシャカシャカさせるダンス)のことを思ってもいい。普段「自分の心を開いてテンションを上げる」ことが苦手であろう人が、なんでオタ芸だったらあんなにもテンション上げられるんだよ、みたいなことにちょっと興味がある。
「調子に乗ってる奴」が嫌いだったはずなのに、自分が優位に立てるフォーマットでは調子に乗っちゃうのかよ、という。僕としては勝手に「裏切られた感」を持ってる。
僕はこんなこともツイートしてた。こっちの方が分かりやすいかもしれない。
「地味ハロウィン」がなんかムカつく理由。
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 14, 2019
ハロウィンにノれない僕にとっては、「いや、同類かと一瞬思ったけど、一番楽しんでるじゃん」みたいな「裏切られた感」なのか、と。
(季節外れ)
これは、6月の半ばのツイートで。ハロウィンへの嫉妬を話すのに、一番遠くの季節な気がする。それだけ「盛り上がりに水を差さないように気をつけた」のか、単に恨みが深いだけなのか。
僕はハロウィンが苦手で、というかどちらかというと憎んでいる。特定の「ノリ」を受け入れて、それに乗らないと「サムい奴」みたいな扱いにしてくるあの空気は、「面白い人間のつもりのいじめっ子と、それに便乗する取り巻き」を思わせるからだ。我ながらひどい被害妄想だけど、どうして苦手なのかを言語化しようとするとそうなる。(特定の誰かのことを攻撃したいわけではないので、「モテない奴がひがんでるだけ」と聞き流してくれるとありがたいです)
それで、ハロウィンはまあしょうがない。誰が何を楽しんだっていい。誰が何を楽しんだっていい、ということの方が大事。僕だってクリスマスは「どちらかと言えば好き」なんだから、単に慣れの問題だ。
それはいいんだけど、憎たらしいのは「地味ハロウィン」だ。卑怯じゃないか。「地味ハロウィン」が成立するのは、「全力で仮装してる人」がいるからじゃないか。「本気ハロウィン」をバカにしながら、ちゃっかり便乗してる。
自分で書いていてちょっと驚いた。自覚してたよりマジで嫌いみたいだ。ハロウィンの悪口はもうよしておく。
僕の興味としては、「祭り」を盛り上げるのには「他を排除して内輪を作る」ことが必要になると思うんだけど、いざ祭りに参加してしまうと「他を排除してる」ということに自覚的になるのは難しい、ということだと思う。そのことはまた考えてみたい。
その他のツイート
「メモを取る」みたいなつもりでツイートしていることが多いので、自分的に覚えておいてもいいかも、ということを貼りつけておきます。
駅のベンチで、「あしたのジョー」みたいな姿勢の男性が3人いて。背筋を丸め、首をガクンと落とし、両手をひざに乗せてる。とおりすがりにチラ見すると、2人はスマホを熱心に見てたんだけど、1人は何も手に持たず、地面を虚ろに見つめてる感じだった。灰になったのかな、と思いながら通り過ぎた。
— 鯖缶 (@savacanmemo) May 25, 2019
職場(コールセンター)の後輩バイトリーダーが、新人に何か教える前にほぼ必ず「これわかる?」「これ知ってる?」と聞き、新人に「わかりません」と言わせてから仕事を教えていて、そのマメなマウンティングがなかなか絶妙に気に障る。
— 鯖缶 (@savacanmemo) May 30, 2019
コワモテスキンヘッドのバスの運転手さん、バス専用のはずのロータリーに紛れ込んだ高級外車見て、「マジぶっKOROす」みたいな表情。「ご乗車ありがとうございました」の車内アナウンスの声色には感情を出さず、ちょっと惚れた。
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 1, 2019
息子5歳「最近、いいことあったんだ~。 プールの級があがって、先生がすごく優しいんだよ。いつもニコニコだよ。注意するときでもニコニコなの」
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 1, 2019
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