鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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映画館でのスマホは本当にナシか

「映画の上映中にスマホを見てしまう人」がいて、「画面を暗くして見ているし、いいでしょ」みたいな感覚を持ってるらしい、というのが話題になった。


「マナー違反」みたいな反応がほとんどで、僕自身も「映画館の中でスマホ」は「考えるまでもなくナシ」派なんだけど、ちょっと気になってることがあるので考えてみた。


(「映画館の中でのスマホ」についての参考記事↓)

映画上映中にスマホいじりする若者、「2時間は耐えられない」 | マネーポストWEB

上映中にスマホ使う若者に羽鳥慎一が激怒 「映画館に行くな」 - ライブドアニュース


 

映画館でのスマホの話以外でも、「マナー違反」という時に、それは「迷惑」という観点と、「失礼」という観点の2種類のベクトルがあると思う。


例えば、寿司をネタとシャリに分けて食べる行為は、たぶん「迷惑」とは少し違う。だけど、少なくとも僕の価値観の中では圧倒的なマナー違反で、それは「失礼」というジャンルのもの。目の前に出された寿司へのリスペクトがあまりにもない。


「授業中の居眠り」はどうか。僕は、迷惑ではないと思う(よほど大きないびきとかがあれば迷惑かもしれないけど)。敢えて言うなら「失礼」。居眠りすることで、「この授業には価値がない」と堂々とディスってる感じ。


多くの雀荘では「鼻歌禁止」というマナーがあって、これも面白い。「鼻歌」よりも迷惑な行動はいくらでもあると思うけど、「勝ってる人間に歌われる鼻歌」ほど腹の立つものはない。これも、「対局相手へのリスペクトを欠いた挑発行為」としてのマナー違反だと思う。(仲間内なら少しぐらいいいかな、と個人的には思うけど)


それで、僕が興味を持ってるのは、他人のマナー違反を批判したりする時に見かけるワードは、ほとんど「迷惑」だということ。これが結構世相を反映してる感じがして、注目してる。


他人のマナー違反を責める時に、「それは敬意を欠いた行為だ」と、その人の心的姿勢を問いただす「失礼」という観点よりも、「それは公共の利益を損なう行為だ」という「迷惑」というワードが優先される機会が多い気がする。


それはある程度仕方がないのかな、とも思う。「失礼」という概念は、時代によっても流動するし、人それぞれの価値観で簡単には正解を決められない。


授業中にペットボトルのドリンクを飲む行為を「失礼」と思う講師は、今やほとんどいないと思うけど、「ガムを噛む」ならばどうか。微妙だ。怒っていいのかどうか。飲食店で、スマホを見ながらの食事はどうか。僕がこだわりのラーメンを作った店主だったら「ながら」で食べないでくれよ、と内心思う気がする。でも、客の立場では「ちょっとは失礼かもしれないけど、食事の時はリラックスさせてくれよ。スマホぐらいOKでしょ」とも思う気もする。


「失礼かどうか」のジャッジは難しい。しかも、「失礼だろ」と指摘しても、「だから何?」と開き直られたら、それ以上何も言うことがなくなる気がする。


そこで、人々は「迷惑だろ」というワードに頼る気がする。「僕の個人的な好みの問題じゃなく、みんなが思ってることなんだよ」と、あいまいな「多数」をバックにつけてマナー違反を断罪する。そんな流れに思える。


ちょっと気をつけたいな、と思うのは、「迷惑」ばかりが強調されたり、「失礼」と「迷惑」が混同されたりすると、問題の焦点がボヤけることがあるかも、ということ。


ある大学教員の方がしたツイートで、「居眠りは誰にも迷惑をかけていない」と言う学生に「君に居眠りをされると私のテンションが下がり、授業のクオリティが下がるから迷惑」と言った、というのを目にしたことがある。この責め方は僕はあんまり好きじゃない。


学生に居眠りされたぐらいでテンションが下がるプロ意識の低さ(テンション下がるのは人として当然だと思うけど、それを自分で認めてしまうのはちょっと違う気がする)。というか、「いや、迷惑かどうか以前に、失礼なんだよ」と諭すのではいけなかったか。学生の心的姿勢に対して語りかける方が、教育的ではないか。「迷惑かどうか」の議論を屁理屈で戦うだけでは、結局学生の姿勢は変わらないのではないか、みたいなことを思った。


さて、「映画館でスマホ」の話に戻る。僕の感覚では、この行為は「失礼7割+迷惑3割」ぐらいに感じる。


例えば、一生懸命準備した料理を、スマホでしゃべりながら食べられたら、それは「失礼」だと思う。せっかく熱々で出したのに、LINEしてるうちに冷めて、Youtube見ながら適当に調味料かけて食べて、途中で残して席を立たれたら腹が立つ。これは、家庭でもそうだし、「客」と「店」の関係だろうが「失礼なものは失礼」だ。


それと同じで、「真剣に見ることを前提に作られた作品を、適当に見るなよ。金を払った客という立場かもしれないけど、それ以前に、作り手対受け手という関係性があるじゃん。客としてアリかナシか以前に、人として失礼じゃん」というように感じる。そして、「スマホを見てると、味わって見てないことが伝わってくるんだよ。それは、この作品を面白いと思って集中している僕に対しての挑発なんですけど」というようなことも感じて、映画館スマホに僕は腹が立ててるんだと思う。


だから、個人的にはどんなつまらない作品を見ても、僕個人はスマホは触らない。映画館のどこかで、この作品に熱中して、感動してみてる人がいるかもしれない。その人の感動を邪魔したくない。


僕の個人的な感覚が、どの程度スタンダードなのか、少数派なのかはわからないし、自分の基準が正しいと主張したいわけじゃない。ただ思うのは、「マナー違反」という問題を扱う時に、「迷惑」っていう観点からの話が多すぎて、逆に「迷惑じゃないんならいいでしょ」という理屈に力を与えてしまっている現状はあんまり好きじゃないな、ということ。例え迷惑じゃなかったとしても、人としてやってはいけないことはたくさんある。

 

(繰り返しになるけど、その「やってはいけないこと」の基準は人によっても違うし、時代によっても変わるから、「自分の感性に合わないこと」や「新しい感覚」を頭ごなしに否定するのは無理があるとも思う)


さて、ここまで書いておいてちゃぶ台をひっくり返すようなことを書いて結びにする。


それでも、「映画館でスマホ」は近い将来普通の光景になる気がする。僕らは、まるで呼吸をするようにスマホをいじってる。「スマホを見ながら、映画に感動する」みたいな人がマジョリティになるし、映画館側だって「スマホでのながら見」でもお金を落とす人を排除することはできない。誰かのスマホの光が目に入っても、その光景に慣れてしまえば映画への没入に大して邪魔にならないだろう。


中には、写真撮影禁止のジブリ美術館みたいに、「スマホ使用禁止」の映画館への人気も根強く残ったりすることはあるかもしれないけど。


まあ僕は、演劇に青春を費やした人間だから、「暗転」へのノスタルジーは人一倍感じる。スマホを見ながら映画を見る人とはあんまり友達になりたくないのは変わらない。

 

 

 

(よかったらこちらもどうぞ。やはり、「マナー」について考えています↓)

www.savacan3rd.com

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