鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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リスペクトのあり方について考え中


僕は、映画のエンドロールにはほとんど興味がない。でも、エンドロールが流れてる間は席を立たないし、スマホも見ない。「映画の余韻にひたってる人」がいるなら、その人の「余韻」を尊重したいからだ。


「リスペクト」って、例えばそういうことなんじゃないか。「エンドロール、すごく大事」「エンドロール、感動」って尊敬するんじゃなくて、「僕にとってはどうでもいいことだけど、この時間を大事に思ってる人がいることを踏まえようかな」っていうリスペクトのあり方。


(同じように、「エンドロールの途中で席を立つ人」のことをバカにする必要もないな、とも思う。その人だって、映画を十分に味わったかもしれない)


ずっと書こうと思ってサボってることがあるんだけど、それは「僕は子ども入学式に君が代を歌わない」という話。


僕は誰からも歌うことを強制されたくないし、誰にも強制したくないし、それは国歌であっても同じだ。入学式(あるいは卒業式)に君が代を歌うのは自然なことかもしれないけど、その一方で、君が代を歌わない入学式を認めてもいいはずだ。そのことを自分で覚えていたくて、歌わないことに決めてる。


だけど、僕は「君が代を歌わない側」に寄り添いたいだけであって、「入学式で君が代を歌うこと」を否定したいわけじゃない。だから、自分が歌っていないことをその場で誰かに示して抗議したいわけじゃない。だから、起立して、静かに目を伏せて、祈るような感じで斉唱が終わるのを待っている。


(我ながらなかなかに面倒くさいな。いずれ詳しく考え直そうと思ってます)


なんでこのことをずっと書こうと思ってサボっていたかというと、「君が代を歌わないとか言うと、怒られるんじゃないか」という単純なビビリだ。だから、「国」の話じゃなくて、「会社」の話に置き換えて続けてみたい。


「自分の会社の業務には社会的な意義があって、自分のやっている仕事には間違いなくやりがいがある」と、そんなふうに自分の会社をリスペクトすべきだろうか。あるいは、リスペクトできるだろうか。または、会社を愛すべきか、会社を愛せるか、でもいい。


「会社を愛せる人もいるかもしれないし、愛せる時もたまにはあるかもしれない」とは思うけど、「まあ、愛社精神を前提にして会社を回そうとするのは無理があるな」というのが僕にとっては実感に近い。


じゃあ、会社を愛してないからと言って、バカにしていいのかと言うと、それは違う。会社があり、仕事があることのありがたみを感じずに生きるのは無理がある。会社の今までのあり方を尊重すること、そのことを同僚や上司や後輩に伝わるように態度で示すことは、大人として当然のことだ(挨拶するとか、指示には返事するとか、その程度のことを想像しています)。


愛社精神を前提とせずに、「すばらしいもの」としてではなく「必要なもの」として尊重する、という意味でのリスペクト、がむしろ大事なんじゃないかな、と思う。


「愛国心」も同じだ。愛国心を前提にするのは端的に言って無理があるのではないか。ただし、「国」はたぶん必要だし、今までも存在したしこれからもたぶんあるだろう。そのことを踏まえて尊重するのが、僕にとっては自然に思える。

 

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