僕は「自分だけが正しくて、自分以外はみんなバカ」って思ってる人が一番嫌い。でも、そういう人に出会っても、「ひょっとしてこの人にも幾分かの正しさがあるのかも?」って思って、嫌うタイミングが一瞬遅れるのが悔しい。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年12月30日
腹が立つのは、仕事ができない奴が「デキる風の態度」でいて、しかも無能がバレないと思ってる時。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年1月4日
グッとくるのは、仕事ができる奴が、バカのフリをしてる時。
ちょっと前に、「バカは論破できない」っていう言葉をツイッターで見かけて、「これ、すげえぇぇぇ」とか思って興奮した。「ツイッターでは昔からよくある言い方」っていうことらしい(確かめてない)。
人は誰しも、「自分に都合のいい情報しか頭に入ってこない」仕様になってる。つまり、バカ最強。何かに調子に乗れるってことは、だいたいにおいて何かに目をつぶっているということだ。つまり、自分が間違ってることを示すようなデータをブロックしてる。そのことをうまく伝えようとしても徒労に終わる。だって、バカがバカをやめるメリットなんてないのだ。そんなわけで、バカとは議論がそもそも成立しないから、論破なんてできっこない。
でも、これって僕だって同じじゃない? とも思う。本当はそう思ってないのに「自戒を込めて」と言うようなポーズではなくて。
子どもが生まれてから、本が読めなくなった。本を読んでさえいれば、それでものを考えてることになる、と思ってるわけじゃないけど、この「本を読む」というのは、「自分に都合の悪い情報でも、それが真実なら受け止める」という自分の感性の開き方のシンボルのような行為としての「本を読む」だ。
時間がなくて、お金も体力も心の余裕もなくて。「これって本当はどうしたらいいんだろう?」というようなことを考えるのが面倒で。
でも、本当は時間なんて案外ある。本は読めないけどマンガは読める(やはり、「絵」がある分だけ、マンガの方が「能動的」に読む力が少なくて済むから?)。「面倒だな」と反射的に思っても、立ち止まって覚えておくことぐらいはできる。
問題が大きくなりすぎると、理解や解決を諦めて思考停止になってしまう。でも、すぐに解決できないでも、問題をいくつか小分けにすればいい。
たとえば、子どもの名前を考えるときに、それこそ候補は無数にあるから、いきなり決めようとしてもうまくいかない。だからまず、名づけにとって大事なことを列挙して、その中で優先順位をつけることをまずする、とか。
「思考停止は仕方のないこと」と思わずに、思考停止せずにすむようなルーティンの欠如、と捉えたい、と思ってるところ。
博士「ついにバカが治る薬が完成した」
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年1月4日
助手「やりましたね、これでハロウィンの時に軽トラ倒した奴らとか(以下略)が救われます!」
博士「まだ使えん」
助手「え?」
博士「バカが急に治ると絶望で死んでしまう」
助手「まさか」
博士「少しバカになる薬、を開発するぞ」
助手「博士...」
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