鯖缶@3rd&forever

2児(娘7歳、息子5歳)の父の雑記ブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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最近気づいたこと(2019年1月①)

ツイッターで僕が無鉄砲につぶやいたことを、時々振り返って反省するコーナーです!(久しぶりの更新なので結構前のツイートから取り上げてます)

 

今回はこんな感じ・・・

 


ゆで卵がうまく作れなくて凹んだ


「ゆで卵」。僕は全然上手に作れなくて。つまり、「ツルン」と剥けるように茹でたり、茹でたあと冷やしたり、がよくわからなくて、僕が作ると、上手くいくかどうかは「時の運」という感じ。


ここからはたぶん予想なんだけど、「ゆで卵」って、「ちゃんとした手順を知って、その手順を丁寧にやる」ことができれば、かなりの確率で「成功」する料理なんじゃないかと思う。というか、料理はほとんどそうなのかもしれないけど。「華麗なテクニックや特殊な準備、道具を必要としない」という意味で、「丁寧さ」さえあればできるはずの料理。


だけど、情けないことに僕はそれができないんだ。「卵かけご飯、卵焼き、目玉焼き」のほうが好きで、めったにゆで卵を作ることがないから、失敗しても、次に作る時までにそのことを忘れてしまう。そして、なんか適当に茹でて、「上手く剥けない(殻がツルンとならない)」茹で上りになってしまう。


それで、剥きながら、ボロボロになっていくゆで卵を見て、なんというか胸が痛む。「ああ、僕がもう少し人生に丁寧だったら」と、自分のダメさを自分で責めてしまう。でも、食べたらまあうまいので、次まで忘れてしまう。そんなことの繰り返し。

 

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人間ドックに行ってきた


「4週間で4キロ減量」と最初のツイートに書いてある。事実なんだけど、これには悲しい前段階があって。僕は油断すると70キロぐらいの体重になる。それを、健康診断の前の4ヵ月ぐらいで、なんとか65キロぐらいに落とす、というのがここ数年のルーティーンだったのが、今年は、気づいたら75キロになっていた、という。それに気づいてあわてて落としたのだ。なので、差し引き1キロ増量ぐらい。毎年「ちょっと肥満かも?」だったのが「ちょっと肥満」に進行した感じ。

 

速報結果(?)を見ながらの医師との問診的な場面で、「言い方が少し威張ってた」と書いたけど、実際は「ものすごく」威張ってた(なぜかソフトに言い換えてた)。でも、それでムカつくなんて、やはり動揺してたな、と思う。


「食」についての生活週間というのは、いわばその人の「弱み」というか、ある意味「人格の一部」なんだと思う。それをどうこう言われるのは、悔しいし、腹の立つことだ。僕の食生活がどんなに「クソ」だろうと、それにはそうなるに至った必然があるし、そのクソに僕自身は愛着を持っているのだ。尊敬しろとも尊重しろとも言わないけど、バカにしないでほしいな、とは思った。

(とはいえ、どんなに優しく言われてもどうせ腹が立つんだから、医師や看護師も大変だろうな、とは思う)


羽生善治九段に寄せて


将棋の羽生さんが竜王戦で挑戦者の広瀬さんに敗れて、27年ぶりに無冠になった。このことがどういうことを意味するのか、実は僕にはよくわからない。というのは、それまでずっとタイトルを獲り続けていたことの凄みも、「天文学的」な偉大さ、というか、あまり理解できるレベルではないからだ。


羽生さんの将棋が、全盛期より衰えたのか、と言えばたぶん答えはイエス、なんだろうけど、でも今の羽生さんが七冠独占していた時の羽生さんと対決しても、必ずしも負けるとは限らない。負けた竜王戦だって、「老獪な勝負術でなんとか3勝した」のとは違う。「瑞々しい感性の若い将棋を指したが、挑戦者の広瀬さんが強かった」というシリーズだ。


端的に言えば、感動した。僕の大好きな羽生さんが、将棋の面白さを伝えてくれるような手、手順、局面の考え方を見せてくれた。きっと、これからも見せてくれる。


羽生さんが将棋と出会えてよかったな、と感謝したい。そして、その羽生さんの価値を分かるライバルたちと出会えて、真剣に対局ができて、心の底からうらやましい。そんな幸せなことってないだろう。軽々しい言葉かもしれないけど、きっと羽生さんはその幸せに値するだけの人だ。おめでとう。


(僕のツイートに、どうしてか「森下さん」「深浦さん」の名前が出てこなくて、ちょっと我ながら残念。まあでも、それを言い出すとキリがないので・・・)

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信じなければ、救われない

 

これまでも似たようなことを書いてきたし、これからも似たようなことをどうせ書いていくんだろうけど。「ズルいな」って思うことってたくさんある。


例えば車同士の事故があったとして、過去の裁判判例が「甲2:乙8」だったとする。それで、この「甲」の立場になった人の中には、「過去の裁判での判断がどうであろうと、自分は絶対に悪くない」と思い、そう発言し、そう信じ込める人、が世の中にはある程度いる。


少なくとも裁判の判断で「2割」の責任があったような事故類型なら、自分が「絶対に」悪くない、と思うのは無理があると思うんだけど、そう信じて疑わない。本当は、自分が優先道路の側にいようと、事故が起こるかも知れないと「予見」する義務はあるし、実際に事故になりそうになったらそれを「回避」する義務があったとしても、「そんなこと知るか」で済ませてしまう認識が大雑把な人。


いや、もっとシンプルな例でいいな。バスの運転手で、やたら運転が荒い人。僕の予想では、そんな人に限って、「その荒い運転が上手い運転だ」と思ってる。「俺は運転が上手いから、ある程度荒い運転をしても大丈夫なんだ」とか思ってる。違うよ。本当に運転が上手い人は、状況をよく見て先読みして運転行動を選択するから、周りを威嚇しないし、急停止も急発進もしない。真面目とか丁寧とかそういう性格の問題じゃなくて、それがふさわしい運転だからそうするんだし、それが上手い運転だよ、とか思う。

 

不機嫌な態度の上司、認められないとスネてばかりの部下。どっちもズルい。店員に威張ってる客。下手したら、それがカッコいいことだとすら思ってたりするタチの悪い下品な奴もいるだろう。ズルい奴ばかりだ。


「ズルいな」と思うのは、ひょっとしてその人たちは、「自分が正しい」と信じたまま死んでいくんじゃないか、と思って、どれが「ズルい」「不公平だ」と思えるのだ。そう思うと悔しくて泣けてくる。だから、「どうぞ罰せられてくれ」と思ってしまうことがある。でも、この思いはどこにも行き着かず、苦しさが募るばかりだ。


僕は無宗教だけど、ひょっとしたら「宗教的」な人間かもな、と思うことはある。僕が今までしてきたちょっとしたウソ、ズル、サボリ。他人を羨む気持ち、蔑む気持ち、自分だけ認められたいと思う気持ち。それらを「できるだけ気をつけるようにするので、どうか許して」と願う時は、ちょっと救われるような感じがある。神に祈っているのとは多分違う。でも、自分で決意しているだけなのもとも少し違う。「許してください」と思うとき、人は自分の誤りを見ている。僕が自分の間違いをいつも気づいているだなんて図々しいことを言うつもりはないけど、「許してください」と願うとき、少し救われるな、と思っていて、その時は「奴らはズルい」という思いから多少自由になれるかもしれない。

 

 

その他のツイート

「メモを取る」みたいなつもりでツイートしていることが多いので、自分的に覚えておいてもいいかも、ということを貼りつけておきます。



 

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