小学校にて。PTAの方が準備してくださったバザーへ。レッスンバッグと、給食セットをゲット。子供たち2人には100円玉2枚ずつ渡して、使い古しのおもちゃを物色させた。「お金を使う練習には最適だな」って思った。感謝。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年12月22日
このツイートは去年の年末のもの。土曜日に、PTA主催のバザーが娘の小学校の体育館であった。出かけるのを面倒そうにしていたうちの子どもたちも、一緒に行って、使い古しのおもちゃや絵本なんかの中から、買うものを自分で決めたりして、結局はまあまあ楽しんだ。
息子5歳に、レジ係のお母さんの場所を教えて、「自分でお金払いに行って」とやらせてみる。2歩後ろをついていったけど、息子はモジモジし始める。なんとか励まして、「こんにちは」と声を掛けるところまで一緒にやって。そこから先は、息子が自分でできた。
夜、妻が帰ってきてこの「はじめてのお買い物」を報告してると、ちょっと涙が出た。妻に報告する段階になって、子どもに「はじめてのこと」を経験させられたことがじんわりとうれしくなった、ということが1つ。それと、「普段子育てをしているときに、人に迷惑をかけないように緊張しているんだなあ」と、その時しみじみと気づいたからだ。
泣くほどのことじゃない。分かってる。子育ては緊張の連続で、妻と話してた時にちょっと緊張が解けただけだ。感情的になったのとも少し違う。何かや誰かへの批判をすることが本意ではないので、ちょっと聞いてほしい。
僕は、PTAのバザーで、僕も息子も顔見知りのママ(子ども同士が同じ幼稚園)がレジ係をしていたので、安心して「お買い物体験」をさせることができた。それを妻に伝えようとしたとき、「どうして普段は安心できないんだろう?」と感じたのだ。
例えば、コンビニでアイスを買うとき。娘に1つ、息子に1つ買うとする。普段、2人の分を僕がまとめてお金を払っている。半ば無意識に、そっちの方が楽だからそうしてるというのもあるけど、「大人がやった方が早いことを、子どもにやらせるのは、時間がかかる。後ろに並んでる人にちょっと迷惑かも」というのもあって、子どもに「レジでお金を払う」ということをさせてこなかった。
でも、レジの店員さんも、周りで並んでる人も「顔見知り」だったとしたらどうだろう。「迷惑かもしれないけど、そんなのある程度はお互い様」と思って、もうちょっとリラックスして、子どもにちょっとしたことを体験させらるんじゃないかな、と思ったのだ。
PTAのバザーで、緊張せずに買い物を体験させることができたことで、普段は緊張してるんだな、と気づいたということ。バスや電車に乗る時も、科学館や動物園でも、いつでも「他人の迷惑にならないように」と緊張ばかりしてる、と自分を哀れむような気持ちになった。
「自分の都合を他人に押し付けない」「他人の存在や、他人の価値観を想像して、その目線で自分の行動を省みる」という意味での「緊張感」はあってしかるべきだと思うし、「子連れで大変だから○○はOK」みたいなことは周囲が考えるべきことで自分から要求することじゃないと思う。何より、子どもたちに世間をナメるような態度を取ってほしくない。
でも、「味方、身内」と「他人、世間」との間に、「顔見知り」の層がもっと分厚くあったら、子育てもリラックスできるだろうな、とは想像した。「礼儀は守らなくちゃいけないけど、失敗しても謝れば許してくれるだろうな、と感じられるぐらいの信頼関係」というか。
そういう意味で言うと、PTAの活動を通じて、親同士が「顔見知り」になれるチャンスがあるのであれば、そこには数字にしにくい価値があるのかな、と思った(PTAの役員の方には感謝するしかない)。顔見知りの子どもを見る目。顔見知りの老人を見る目。そんな緩やかなコミュニティ。都会では結構難しいし、「地域の共同体」を失ったことで、得たものもきっとあるんだろうと思う。
ただ、「隣に住んでいる人と、顔見知りじゃなくても暮らしていける社会」が好きかと言われれば、首を傾けるばかりだな、と感じた。
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