鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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最近気づいたこと(2020年7月)

ツイッターで僕が無鉄砲につぶやいたことを、時々振り返って反省するコーナーです!「最近」と言っても、もはや半年以上前のツイートをほじくり出して語り直しているわけで、我ながら悠長な話です。

 

今回はこんな感じ…

 

 

復讐の方法を妄想する

 


嫌なことがあった時に、「嫌な気持ちになった僕」や「僕を嫌な気持ちにさせたアイツ」のことを考えると、出口がなくて嫌な気持ちを育ててしまう。仕返しや罰を与えるの方法を考えると気分が変わっていいかもしれない。うーん、そうでもないかな。

 

それとも、心の中でデーモン小暮になって、演技するのもいいかも。「ブハハハハ。キサマは足元から2週間かけて蝋人形になっていき、その後10時間かけて燃えていくのだ。その間意識を失うことは許されない。怖いか? ブハハハハ」みたいな。デーモン閣下のキャラ把握が雑でもなんか楽しくなれるのはすごいな。

 

感動ポルノ

 

最近「感動ポルノ」という言葉を知って、なるほどな、と思った。たとえば、「はじめてのおつかい」で「小さな姉弟が泣きながら買い物を済ませて帰ってくる」というパターンを見る時、それは「感動」という気持ちの良さを得るために「子どもの挑戦」という図式を利用しているだけであって、「おつかいをあっさりクリアしてしまう子ども」とか「お母さんのため、でなく、単に怒られるのが怖いからおつかいを引き受けた子ども」とかは出てこない。


(性的興奮を刺激するためのポルノのように、「感動を呼べばなんでもいい」という安易な図式を批判する言葉として「ポルノ」を用いているわけであって、「エロ+感動」という意図の言葉ではない。そして、ポルノが芸術より下という話でもない)


(「ニコニコ大百科」のまとめ方がわかりやすく、かつ面白かったです↓)

感動ポルノとは (カンドウポルノとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


僕が「感動ポルノかよ」と思った映画で、すぐ頭に浮かぶのは、「フラガール」だ(当時「感動ポルノ」という言葉は知らなかったんだけど)。


フラダンスのチームが実力をつけてきて、「旅公演」も順調になってきたと思っていた矢先、地元の炭鉱で事故が起きる。そこで、「せっかくのステージを諦めて地元に帰る」みたいな図式になって、その決断をしたシーンでちょっと涙を誘う。まあ、分かる。それはいい。でもその1分後に、「お父さんたちのことも心配だけど、ステージに立つわよ」と松雪泰子が宣言して、そのシーンも「泣ける」みたいな演出なのはさすがに「バカにするなよ」と思った。


「家族のために夢を諦める」「夢のために家族を諦める」という、安易な図式を、連続で見せられて、その両方で泣くのは無理でしょ、と思って腹が立ったのだ。


とは言え、恥ずかしながら僕は「フラガール」の途中で実際には何度も泣いた。蒼井優の体現した「夢へのひたむきな憧れ」が映画を救ってるとも思う。そう思うと、結局は好みの問題で、「あんまり露骨にやられると感動が冷めるんだよ。もっとジラしてくれよ」というだけのことかもしれない。僕もまた、「感動ポルノ」の消費者であることを、否定するつもりもない。

 

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人を裁きたい気持ちの話

 
「疑わしきは罰せず」という考えは、少なくともツイッターを見ていると、まったく役に立たない呪文のように感じる。誰もが、目についた悪に反射的に腹を立て、悪が成敗されることを強く願ってる(ように見える)。僕も同じだ。リツイートこそしないけど、煽り運転の映像がタイムラインに流れてきたらほぼ必ずガン見して、「こいつ、呪われてくれ」ぐらいのことは必ず思う。


以前、「電車内で盗撮おじさんを見つけた」という画像がバズって、僕も「こりゃやべえ」と思ったんだけど、よくよくリプ欄とかを見てみると、おじさんがカバンで隠すように股間の位置に置かれた小型カメラは、合成だというのだ。つまり、おじさんは盗撮犯ではなくていたずらの被害者、らしい。


僕は、「素人が写真をパっと見ただけでは、その写真がフェイクかどうか判断するのはかなり難しい。そして、写真なんて一瞬しか見ないんだから、事実上判断不可能」とか思って、気が遠くなった覚えがある。「判断できない以上、善悪については判断停止」が一番リーズナブルな結論に思えるんだけど、そんなんでいいのか。


悪いヤツが裁かれてほしい。悪いヤツを裁いてやりたい、という気持ちだけ刺激されて、「いや。こいつが悪いヤツかどうかなんて、そう簡単に分かるものか」とか思うと、「裁きへの欲求」だけ宙ぶらりんになって自分に残ってしまう。


だから、人間界にデスノートを落とした死神のように、「おもしろ」って、ミーハー気分で人間界を眺めるのが、不真面目に見えて一番まともな態度なのかもしれない。それは案外疲れることだ。

 

 

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他人がうれしそうにしているのを喜べるか

 

「他人が楽しそうにしてるのを見て、見てる僕までうれしくなってくる」という時と、「他人が楽しそうにしてるのを見て、それをやっかんで腹が立ったり、悲しくなったりする」という時と、両方あるんだけど、それってなんなのか。


できれば他人の幸福感が自分に共鳴するような精神状態が望ましいと思うんだけど、そんな精神状態はめったに訪れない。むしろ、つまらなそうな話題で盛り上がってるっぽいグループを見ると、それが「老」でも「若」でも、「男」でも「女」でも大抵腹が立つ。他人が幸せだと、自分が何か損をするのか? むしろ、逆だよね。不幸で不機嫌な人が周囲にいる方がいやだし、場合によっては危険だよね。でも、幸せそうな人を見ると、反射的にやっかんじゃうんだよ。この病気、直せる薬があるんなら定期的に処方されたい。


などと、雑に自分を責めていてもしょうがないか。本当に幸せそうな人(たち)って、無意識に張ってるバリアがなくて、その幸せへの参加を歓迎してるっぽい雰囲気がある。そんな幸せに触れると、僕の荒れた心も柔らかくなりやすいのかも。それに比べて、まがい物の幸せをむさぼってるヤツらは、それが嘘だとバレないように、他人の参加を無意識に拒絶してる感じがある。それに傷ついて、僕も攻撃的になるのかもしれない(全然違うかも知れない)。

 

その他のツイート

 

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