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好きなマンガについてひたすら書いてみたら33作品出てきた件① - 鯖缶@3rd&forever
(今回のもくじ)
- 「GANTZ」奥浩哉
- 「進撃の巨人」諫山創
- 「H2」あだち充
- 「お父さんは心配症」岡田あーみん
- 「哲也-雀聖と呼ばれた男」さいふうめい/星野泰視
- 「天牌」来賀友志/嶺岸信明
- 「ノーマーク爆牌党」片山まさゆき
「GANTZ」奥浩哉
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「GANTZ」奥浩哉
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 18, 2020
劇団をやってた頃。友達の芝居を見て、面白いなんて思ったことなくて(5%は嫉妬で、95%はクソだった)。でも一度だけ、感動したことがある。夜に打ち上げ中の演出のF君に電話して「僕は毎晩、悪夢を見るけど内容は覚えてない。今日の芝居は、その悪夢みたいだった」とか伝えた。
そんな僕にとって、「悪夢みたい」というのは最高の褒め言葉の1つで。「GANTZ」の悪夢感はすごい。「明らかに悪夢だと分かってるのに、起きてる時よりもむしろ脳は覚醒していて、悪夢から目が離せない」みたいな。(「必然性なく女性キャラが巨乳」なんだけど、それだってこの悪夢の重要な要素だ)
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 18, 2020
「進撃の巨人」諫山創
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「進撃の巨人」諫山創
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 18, 2020
「ナウシカ」や「GANTZ」を支持した読者たちのリテラシーがあったからこそ「進撃の巨人」が生まれた、みたいなことを思った。ストーリーテリングも絵も分かりにくいんだけど、作品の力が圧倒的なら、それすらやみつきになる味、とかも。
「H2」あだち充
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「H2」あだち充
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 18, 2020
最後主人公が、ヒロイン2人のどっちとくっついたのか、どうしても思い出せなくて、まあ、思い出せなくてもいいんだけど、我ながらなんで忘れちゃったのか。何を楽しみにして読んでたのか。まさか野球の内容が楽しみだったわけでもあるまい。
少し前に、「あだち充の描くヒロインが嫌い(安易で都合のいい類型化が鼻につく、みたいなこと?)」と、「いや、例えば浅倉南は良妻賢母キャラではなく、男の思い通りになるストーリーではまったくない」と、両方のツイートが流れてて、僕は両方の意見が面白かった。
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 18, 2020
「いわゆる良妻賢母のイメージ、いい女とはかくあるべき、という固定観念を安易に再生産してるわけではない」というのはそう思うけど、それでも、あだち充が似たようなキャラ、似たような話をもう何十年も量産してきたこと(偉業といってもいいですよね?)、になんかムカつく人がいるのも分かる。
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 18, 2020
「すべてを描ききらない(説明しない)ストーリーテリングが粋」っていうのも、「あだち充的演出って、パターン化されてて、野暮とは言わないまでも、もはや説明してるのと同じじゃね?」とも思ったり。まあ、僕は大好きですけど。
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 18, 2020
「お父さんは心配症」岡田あーみん
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「お父さんは心配症」岡田あーみん
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 18, 2020
ひょっとしたら、「読むと元気になるマンガ」の歴代ベスト1は「お父さんは心配症」で、2位は「こいつら100%伝説」で、3位は「ルナティック雑技団」で、岡田あーみんが表彰台独占するんじゃないか。もう手元にないけど、思い出すだけで元気が出る。
「哲也-雀聖と呼ばれた男」さいふうめい/星野泰視
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「哲也-雀聖と呼ばれた男」さいふうめい/星野泰視
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 20, 2020
僕は、阿佐田哲也の原作小説「麻雀放浪記」の熱狂的なファンだから、長年この作品は無視してたんだけど。読んだら面白かった。「鬱々としたアウトローの世界観」を背景に、「博打にプライドを賭ける滑稽さ」をカラっと描いていて、良質なスピンオフ。
「天牌」来賀友志/嶺岸信明
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「天牌」来賀友志/嶺岸信明
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 20, 2020
そこまで強烈な思い入れがあるわけじゃないんだけど、麻雀マンガの王に敬意を表して。勝負はいつも「51対49」。
ところで、僕がしたい話は、「麻雀の面白さを描くのに、マンガというメディアはものすごく適している」という件。
麻雀の闘牌の展開に合わせて、
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 20, 2020
①打ち手の1人称視点(主人公の手牌、思考が読者に示され、相手の手牌は分からない)
②神の視点(対局者4人の手牌、思考が示される)
③観戦者の視点(1人か2人の手牌は見える、思考は分からない)
を自由に選んで、かなり自在に切り替えられるからだ。
小説でも、1人称と3人称を組み合わせることはできなくもないけど、かなり器用にやらないと読者を混乱させてしまう。映画でもそうだ。
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 20, 2020
でも、マンガはどうか。ト書きが出てきた時に、「神の視点でのナレーション」なのか、「主人公の心の声」なのか、説明なしでも読者に伝わる(なんでだろう)。
そのマンガの特性が、麻雀を描くのにうってつけじゃないか。「すべての牌を見透かしたような手順の妙」「相手の手が分からないドキドキ」がどちらとも描ける。
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 20, 2020
もう1つ。今度は「麻雀の実況番組」と比べてみる。マンガは時間の流れが自由だ。作品中の時間の流れがワープしたり、リプレーしたり。読者がページをめくるスピードも自由だ。清一色の待ちを確認したいなら、1つのコマを読むのに1分かけてもいい。(まあ、「番組」でも編集や一時停止は可能だけど)
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 20, 2020
そう思うと、麻雀の面白さを最も適切に伝えるのはマンガだし、マンガの持つ特性が、もっともよく表れているのが麻雀マンガなのではないか(←論理の飛躍)。
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 20, 2020
野球マンガがいくら面白くても、野球マンガばっかり載ってる雑誌はない。でも、麻雀マンガだけ載ってる雑誌は(恐ろしいことに)実在する。
「ノーマーク爆牌党」片山まさゆき
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「ノーマーク爆牌党」片山まさゆき
— 鯖缶 (@savacanmemo) January 20, 2020
片山まさゆきは「ぎゅわんぶらあ自己中心派」「スーパーヅガン」で、「笑わせようと思ってるのかどうか分からないクールなギャグ」を見せた。でも、「泣かせようとはまったく思ってなさそうなテンションでの泣かせるマンガ」も好き。あの絵、あのキャラで泣ける。
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