鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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スプラトゥーン日記(020)

(僕のスプラトゥーン修行を題材にした私小説です。95%実話ですが、あくまでもフィクションです。1つ前の日記はこちら↓)

スプラトゥーン日記(019) - 鯖缶@3rd&forever


2020年5月27日(水)

勤務日。僕が興味があるのは、「会社の喫煙室の使用禁止」が解除されるかどうかだったんだけど、まだ使用禁止は続行だそうだ。それはまあそうなるだろう。「依然として感染拡大の対策」は必要な状況だ。緊急事態宣言が解除されてすぐに、喫煙室の使用が認められるとはさすがに思ってなかったんだけど、ちょっと興味がある。


僕自身の偏った目線で見た景色を、すごく雑な印象でいうと、「喫煙者を叩くこと」「喫煙者をいじめること」は、かなりお手軽に楽しめるレジャーだ。「愛煙家がタバコを吸うことを認められるかどうか」は、社会にどの程度余裕があるのかのバロメーターになるんじゃないか。


もちろん、「喫煙室」は、「密閉」されているし、多くの人間が集まり、距離も近い。タバコを吸う時はマスクを外すし、おしゃべりもするだろう。だから、今喫煙室が使えないのは、「喫煙者バッシング」ではなく、やむを得ない判断に思える。でも、いつになったら再開できるのか、はちょっと気になる。


「安心かどうか」を基準にすれば、「リスクゼロ」の状況などいつかくるのかどうか。「必要かどうか」を基準にしたら、「喫煙を認めることは、少なくとも会社の業務には不可欠とは言えない」となりそう。じゃあ、いつまで経っても愛煙家は会社の休憩時間にタバコを吸えないのか。それで世の中は構わないのか。


例えば、「恋人同士がキスすること」「友人同士が握手すること」に、自粛を求めたらそれは人権侵害になるんじゃないか。それは、他の誰かが決めることじゃなくて、当人が(リスクを理解した上で)決めるべきことだろう。ならば、食事中の雑談はどうか。飲み会はどうか。パチンコはどうか。旅行はどうか。登山やサーフィンは。ジムに通うのはどうか。今のところ、他人から見たら「こんな時なんだから我慢しろよ」という話にしかなってなくて、「それってそんなに簡単に奪っていい自由なの?」という話にはあんまりなってない気がする。


僕はタバコを吸わない(この2年で3本ぐらいしか吸ってない)けど、「喫煙」みたいな、「不必要で、自分にも害がある(可能性がある)ことをする自由」に注目したい(タバコをどこでも吸っていい、という話じゃなくて、公共の安全とどう両立させるのか、という話)。


ガチエリア(B)2勝3敗(銀モデラー)。ガチヤグラ(C+)5勝4敗。プライムシューターベッチューを使って。ホテルニューオートロで負けて、海女美術大学で勝つというパターンだった。僕でも15キルぐらいとれる試合が続いて、驚いた。これなら、相手のスーパーチャクチを狩ろうという気にもなるものだ。僕にとって「チャクチ狩り」は、ウデマエXクラスの実力のプレーヤーたちができる、動画の中だけの架空の技に等しかったけど、練習すればできるかも、と思った。狙ってみなければそもそもできるようにならない。その意味でも、プライムシューターを使って遊ぶのは面白いかも知れない。


5月28日(木)

ガチエリア(B)3勝1敗。ガチアサリ(B)4勝4敗。この2ルールは銀モデラーを使った。アサリは、ナワバリバトルのつもりで、盤面をひたすら塗る。スペシャル増量のギアをつけると、カーリングボムピッチャーがすぐに溜まるので、もったいぶらずにすぐ使う。カーリングボムがメインで、それをランダムに滑らせる遊びのつもりで。


ボムピッチャーを投げている間にも、カーリングの塗り跡に沿って移動した方がいいときは積極的に動くといいような気がする。相手が詰めてきたら、ちょっと位置を変えてメインで応戦するといい。カーリングが当たってダメージ入っている相手なら、互角以上になるはず。基本的にはボムピッチャーは溜まったらすぐ使うんだけど、ゴール前を制圧できそうなタイミングで、自分か味方にガチアサリがあるなら、「カモン」を押して知らせる。(この、「カモンを押す」というのは、個人的にはかなりの成長なんで、ちょっと驚き。ヘタレで声出しできない系男子だったので。母が知ったら喜ぶことだろう)


ガチホコ(B)2勝5敗。ガチヤグラ(C+)4勝5敗。この2ルールはプライムシューターベッチューを使ってプレー。試合開始のタイミングで、相手の編成を見るのがちょっと楽しみになってる自分を発見してややウケた。自分より射程の短いシューターを見つけると、精神的有利に立てる、というか(C帯で負け越しして「精神的有利」とか言ってるんだから、なかなかのお調子者である)。

活躍できる試合と、そうでない試合の落差が激しい気がする。順調にキルが取れている時は、落ち着いて敵を見つけてから行動できるから次も有利な撃ち合いができて好循環になるんだけど、カウントが不利だったり、自分がデスを繰り返していると、焦って悪循環に陥る。「ナイスダマをヤグラに投げるだけの簡単なお仕事」と思ってたのに、不調時は、ナイスダマが溜まらず常に不利な状況に追い込まれてしまう。難しい…


昼に、NFLのネット記事をまとめて読んだりして、自分の中に好奇心が戻ってきた感じがしてちょっと安心する。この3ヵ月、かなりの時間家にいて、ずっとダラダラしてて、「もしかして、この僕は、もう一生勉強しないのでは?」と薄々気づいてしまって、ヘコんでいた。


初級から中級に上がる手前でずっとサボってるロシア語とか、入門の途中で抜け出したスペイン語とか。自分のブログも野暮ったいままだし(すみません)、この期間に読んだ本は2冊と半分だけ。まあ、そういう「自分のための勉強」はともかくとして、翻訳の仕事先の新規開拓(僕は1つのエージェントからしか案件を受けてないけど、「プロ」を名乗る人は複数のエージェントから仕事を受けるらしい)とか、パンフレット見ただけになってる「がん保険」のこととか、そういう今後の人生に関わるっぽいイベントもサボり続けている。


数学の「任意の点」「任意の数」みたいに「偶然選んだある1つで当てはまるものが、結局すべてに当てはまる」という感じ。「結局、こんなに時間があって何もしなかったんだから、今後どんな状況になっても俺って何もしないってことだよね」という実感が説得力ありすぎて、でもそれを認めるのが怖すぎて放置していたけど、気分が上向きになってようやくそれを認められた感じがする。自分のダメな部分を認めるには、ある程度自分に自信がないと無理なわけであって。


「緊急事態宣言」が解除されて、「NFL開幕できるのかも」とか思った。日本とアメリカなので、直接的な関係はないにもかかわらず、「一歩前進なのでは?」と雑に錯覚して、自分でもそれは雑な錯覚と分かってるんだけど、その勘違いに便乗してNFLの情報調べてみて、やっぱり楽しみになってきた。開幕できるかは分からないけど、楽しみに思っても別にいい。


この3ヵ月は、今まで対処したことがない種類のストレスがずっとある状態だったので、「このダメな自分でも、しょうがない」とも思った。「よくはないけど、自分に失望するほどでもない」というような。落ち着きを取り戻しつつある気がする。


5月29日(金)

職場で昼に。社員がブラインドを開けて、何人かのスタッフが窓の外を見て何か話していた。何やら楽しそう。


夕方に、ツイッターを覗いていたら、航空自衛隊のブルーインパルスの曲芸飛行の披露があったようだ。医療従事者への感謝と尊敬を表したもの。ツイッターを見ていると、「戦闘機を飛ばすことがなんで感謝を伝えることになるのか意味不明」「税金の無駄」「もし自分が医療従事者ならこんなことされてもうれしくない」という批判と、「あれは戦闘機じゃない。無知ですね」「プロが最高の技術をプロに見せるのが敬意という文脈がある」「燃料が無駄になる前の消費したもので、税金の無駄というほどのものではない」「自分は医療従事者ですがうれしかったですよ」という批判への反論が両方あって、僕は左翼のツイートには「言ってることが雑」、右翼のツイートには「左翼叩きにムキになりすぎ」というような印象を持った(僕のまとめ方も雑なのは認めます)。


僕は「セレモニー」というものを反射的に警戒する人間なので、常に左寄りの立場から物事を考え始める。「愛国精神」というとムキになってしまうことが多いから、会社で例えてみる。


やたらと愛社精神の盛り上がりを要求してくる会社があったとしたらどうだろう。会社の運動会は強制参加で、毎朝社歌を大声で歌い、会社のバッヂを胸につけてない奴はクビになる、そんな会社があったとしたら。僕はそんな会社は「ヤバい」と端的に思う。会社が普通に世間に貢献して、従業員の生活を守ってたら、愛社精神をそこまで強調する必要なんてない。愛社精神をやたらと要求するがあったとしたら、多分ダメな会社だ。精神性によって、当たり前に大事なことを隠蔽しようとしてる。


「国」だって同じじゃないか。何らかのセレモニーで、愛国精神の高揚を要求される時、僕はそのことで隠蔽されるものはなにかを考えてしまう。だから、ブルーインパルスの曲芸飛行も、僕にとっては「あまり好きではないイベント」だった。


じゃあ、「意味不明」や「無駄」と僕も言いたいか、というとそれはそうでもない。愛国精神が、必要な時だってあるでしょ、と思う。なんというか、「こんなの茶番でしょ」というのはあまり批判になってない気がする。茶番には茶番なりの切実さも必要性もあるじゃないか。「民族意識の高揚」は警戒すべきと思うけど、「国」という単位で富の再分配や防衛や防災に取り組む以上、その必要最低限の「信頼」はあるはず。その信頼は誰かから前提条件で与えられるものではなくて、もはや意識して演出していくもの、なんじゃないか。茶番だって必要なんだったら、「こんなの茶番でしょ」は批判になってない。


じゃあ、左翼っぽい書き込みを必死に叩いてるツイッター右翼に賛成できるかというと、それはもちろんそんなことはない。文句を見つけると、ヒステリックにそれを叩く様を見るとがっくりと疲れる。「セレモニーへの違和感」と、「医療従事者、自衛隊員への感謝」は両立可能じゃないですか。


ここまで書いておいて、実をいうと僕自身にはこれと言って意見はない(ごめんなさい)。ただ、漠然とした右翼アレルギーがあるだけで、その物の見方も相当雑なものだという自覚があるから、勉強不足を開き直るか、卑屈になるかの2択しか持ってない。多分、違和感のある意見を目にしても、それに対抗するだけの力が自分になくて、ただ無力感を感じてしまう。疲れた。ああ情けない。

 

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