子どもを通わせている幼稚園の園長先生が話してくれた言葉が大好きで、時々思い出す。
— 鯖缶メモ (@savacanmemo) 2018年9月2日
「夫婦はよく2人3脚と言いますが、2人3脚は、ハラハラして競技としては面白いけど、足を縛ってて危ないんです。夫婦は、いつも一緒じゃなくても大丈夫」
夫婦は二人三脚じゃなくてもいい、と聞いたときに、僕は深く共感して大げさに言えば救われたような気分になった。
ということは、僕にもやはり、「いつも二人三脚じゃないとダメ」「夫婦で息を合わせて子どもに対応しないとダメ」というようなプレッシャーがあったんだろう。(「ものの例えでうまいこと言われると、何か納得したような気分になる」というところもあるんだろうけど)
僕と妻が違うところを考えてみた。
例えば、「片付け」。僕は片付いてなくてもほとんど全然気にならないけど、妻は片付いてないと落ち着かない。
整理ができてない僕の机は子どもたちには悪い見本だけど、片付けに興味がない僕にもいいところはある。「子どもたちが自分で片付けるまで、待てる」ところだ。(妻は「片付けなさい」と言ってからしばらくして、結局自分で片付けてしまう)
だけど、そんな悠長なことを僕が言っていられるのも、普段妻が部屋を整えているからであって、2人とも「片付かなくてもどうでもいい」と思っているよりも、ズレがあるのがいいような気がする。
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片付けとちょっと似てるのが、子どもの宿題。僕は子どもが宿題やらなくても、本当に気にならない。「宿題をサボってテレビ見まくって、次の日にクラスで恥かいてテへへ」みたいなことでも、子どもは育つと思う。
でもこれも同じで、妻がこまめにサポートしてるから、僕が何も言わずにいられる。妻が不在の日も、娘(小1)はほっとけば自分のタイミングで宿題を片付けてる。
息子5歳の、自転車のヘルメットが古くなってきたので、新しいものを買わなくちゃね、と言っていたら、「ママ友が、要らないヘルメットをくれるかも」と妻が言う。中1の女の子のために、その家のパパが買ってきたヘルメットが、どうしても気に入らなかったらしく、それをくれると言うのだ。
うちとしては、いただけるのであればありがたく受け取るだけだが、そのお父さんの立場に僕がなったときのことを想像して、妻と話した。
「安全についてのものなんだから、わがまま言うな、親が買ったものを使いなさい、って僕が娘に言うから、そしたら僕の知らないところで、新しいの買ってあげて。取り替えてもらった、とかそういう話にしといて」
そんなような機会が、これから増えるんだろうか、となんとなく想像している。
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