最近少し話題になった「タトゥー」について、ツイッターでいろんな意見を目にした。僕はタトゥーについて興味がある。それは、「自分も入れてみたい」ということでも、「歴史・文化的に面白い」でもなく、こういうことだ。
もし子どもが成長して、「タトゥーをいれたい」と言ってきたら、僕はそれにどう答えたらいいんだろう?
この想定に、今のところの答えもなんとなくあるんだけどあんまり自信がなくて、気になっているところ。結論も特にないんだけど、思っていることをメモしておきたい。
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タトゥーについて思うこと①
— 鯖缶メモ (@savacanmemo) 2018年8月26日
子どもが大きくなって(18歳ぐらいを想定)、「タトゥー入れたい」って相談してきたら、理屈抜きに「やめなさい」って僕は言うと思う。でも、その場では言わないけど、「それは自分で決めなさい」って子どもには伝えたい。
タトゥーについて思うこと②
— 鯖缶メモ (@savacanmemo) 2018年8月26日
僕がタトゥーを好きでないのは、「聞かれてもないのに主張してる」みたいな感じがするから。でも、僕が好きでないことと、それを他人に言うかは別の問題。というか、「聞かれてもないのに主張」しても別にいいと思う。それに、それだけでその人を嫌いになるかも別の問題。
タトゥーについて思うこと③
— 鯖缶メモ (@savacanmemo) 2018年8月26日
僕はタトゥーを入れたくないけど、もしどうしても入れなくちゃいけないんだったら、妻と子どもの名前を入れると思う。
タトゥーについて思うこと④
— 鯖缶メモ (@savacanmemo) 2018年8月26日
もし、「タトゥーを入れることが普通、マジョリティ」という状況になって、「お前も入れろよ。仲間だろ?」って言われたら(僕は)すごく嫌。だったら逆に、安易に「タトゥーなんて〇〇だからやめろよ」とは言えない。自分があまり好きじゃなくても。
僕自身がタトゥーを入れることは、多分死ぬまでないと思う。だけどそれは、確固たる考えがあって、考え抜いた上で決めたことじゃなくて、「なんとなく」である。でも、というか、だからこそ、というか。「なんとなく」というのは根拠がないからこそ揺るぎがないことだったりする。
その、「なんとなく揺るがないもの」というのは、実はちょっと気をつけたほうがいい。理由がないからこそ、「その尺度でものごとを測ること」に批判的になることが難しい。
「なんとなく揺るがないもの」を突破(というか無視)している人を見ると、不安になるものだ。これはタトゥー以外について考えてもそうだと思う。「日本が好き」っていう気持ちが「なんとなく揺るがないもの」が、「それって別に絶対的な前提じゃないでしょ」っていう価値観と出会うと狼狽するように。
だけどその「不安」は、「なんとなく」側が勝手に受け取った「不安」であって、「俺のことを不安にさせんなよ」と、反射的に攻撃したりするのは乱暴なんだろうな、と思う。
まだ考えたほうがいいことはいくらでもありそうだけど、今日はここまで。またいつか続きを。
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