2021年5月22日(土)職場で同僚の子育て話を聞いた
朝起きて、将棋の棋譜中継アプリを布団で見る。昨日夕方から夜にチラチラ見ていた羽生九段対木村九段の竜王戦。勝った方が1組4位で本戦トーナメント進出らしい。よく覚えてないけど、ベスト8進出ぐらいに相当するのかな。
中終盤の内容がすごく面白くて、唸らされた。関節技と、打撃技と、クリンチが組み合わさったような手順の応酬。柔剛、攻守、局地戦と広い視野。派手な手も渋い手も出て、最後の最後まで優劣不明で、引き込まれた(僕が大好きな羽生さんが勝った)。
ところで、棋譜中継のアプリ、今ではほとんど羽生さんの対局しか追いかけていない。月額550円。うーん、もったいないような気もするんだけど、今朝見たような棋譜がほとんど手間なく、ほとんどリアルタイムで見られるのなら、高くはない。というか、「いろいろ見られるなか、全体の2%ぐらいしか見てないからもったいないような気がする」というだけの話であって。
サブスク、やっぱなかなかに狡猾な商売だな。例えば、「都度課金で1局いくら」みたいなプランがあったとして、そうしたら結局買わないよなあ、とか。
昨日、職場で。同じチームの同僚が、子育てエピソードを話してくれて。3歳になった娘に、「いつもおいしいごはんをありがとう」って言われて感激して泣いた、っていう話なんだけど。
普段物静かで、自分から話をしない彼女が、突然ボソボソと身の上話をしてきて、ちょっと緊張した。僕のサイコパスっぷりが浮き彫りになるんだけど、こういう時の僕は、相手の気持ちよりも、「自分の応対の正しさ」ばかり気になってしまう。「せっかく話してくれたのに、リアクションを間違えたら恥をかかせるんじゃないか」みたいなことばかり気になる。大げさに共感して、わざとらしい感じになるのも嫌だし。自分のことを話すのも違う気がする。かと言って、相づちだけだと話が広がらなくて、「つまらない」と思ってるみたいになっちゃう。
それで、「え? 母の日とかですか? ああ、そうじゃなくて… ああ、ふとした時に。 …それは、ジーンとしちゃいますね」みたいな感じで話を聞く。
今、思い出して書いていて、やっぱりウケるのは、この間ずっと僕は「自分のリアクションが間違えてなかったか」ばかり、1日経っても気にしているんである。
子育ては無我夢中で、何が正解か分からなくて。体力もメンタルもずっと張り詰めていて、ずっと油断できなくて。このコロナ禍での緊張感ではなおさらのこと。そんな時、「ありがとう」とわが娘が言ってくれた。「ありがとう」っていう言葉を知ってること。というか、「ありがとう」っていう気持ちを知ってること。知っていて、その気持ちを伝えようと自発的に思うまで、成長したこと、その驚き、うれしさ。
「報われた、って言うのはちょっと違うかもしれないんですけど、今まで無我夢中でやってきて、気がついたらこんなにも成長していたんだって、ずっと覚えていようって思いました」と。
「報われた」って、ふとした瞬間に急激に訪れる実感なのかもしれない。子育てって、「報われたい」と思ってやってるわけじゃなくて、「報われた」と思ってもそこで終わりじゃないんだけど。でも、「報われた」っていう感じがやっぱり近そう。そして、その直前までは分からなかったけど、「これが報われるってことなのか」って感じふと分かる。
はは、1日経って、思い返して、ようやく僕も共感してきた。さぞうれしい瞬間だったことだろう。Aさん、聞かせてくれてありがとう。
5月23日(日)飽きてきたけどやっぱり飽きてなかった
毎朝3時か4時に早起きして日記書いてるんだけど。結局午後に昼寝するから、あんまり意味ない感じがしてる。目が疲れる趣味しかない。
ところで、「スプラトゥーン」がようやく飽きてきた、と3日ぐらい前に思って。その瞬間、ちょっと落ち込んだんだよね。「楽しいと思ってたことがつまらなく感じるぐらいすさんでるのか」みたいな感じで。でもちょっとしたら、「いや、スプラやめたら、膨大に時間できるじゃん。1日2時間ぐらい浮くっしょ。勉強やり放題。料理やり放題じゃん」とか思って、「飽きてきたことは悪くない」と思って。
で、昨日やったら面白くて。「まだまだやめられないのかよ」と。
この、「思い込みの不思議」みたいなことを思う。NBA(バスケ)がプレーオフに入った。僕は去年の12月に、NBAのサブスクに入った。「1週間に9試合」という一番安いプランだったんだけど。
レギュラーシーズン終わるまで、5試合ぐらいしか見なかった。もっと見るかな、と思ってたんだけど、案外見る気にならなくて。じゃあ年間料金ムダだったじゃん、と思うんだけど、「NBA視聴に時間を吸い取られなかった」とも思わなくもない。(プレーオフの2ヵ月だけ月額で契約するのも、年間で契約するのも「そんなに変わらない」と思って、早めのタイミングで加入したんだけど、まさかここまでとは)
で、この3日間で「プレーイントーナメント」を2試合見た。カンファレンス内の成績7位から10位のチームで、最後直接対決をする。「7位対8位」の試合の勝者が、「第7シード」でプレーオフ進出。敗者は、「9位対10位の試合の勝者」と対戦して、その試合の勝者が「第8シード」と。
つまり、「負ければシーズンエンド」という超重要な試合である。その試合を見たんだけど、あんまり面白くなくて(試合内容は接戦で、見所十分だったにもかかわらず)。
まあでも、それも仕方ないんである。今までのストーリーを見てこなくて、いきなり最終回だけ見て感情移入しようだなんて、ムシがよすぎるでしょ、と。
僕は毎年NFL(アメフト)を5ヵ月で100試合見る。9月の開幕を楽しみにしてるんだけど、これだって「思い込み」にすぎなくて。ある年突然、「別にどっちが勝ってもどうでもいい」ということになるかもしれない。NFL、飽きちゃったら淋しいけど、でもどちらかといえば「どうでもいい」方が普通なのかもしれない。
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