鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに日が暮れる(007)

2021年5月20日(木)「うみべの女の子」を出勤前に読んだ

昨日は朝に日記を書いたあと、会社に出る前に「うみべの女の子」(浅野いにお)を読んだ。思春期にただ中にいる主人公たちが、思い込み激しすぎて他人も自分も傷つける話。通勤前に読む話かよ、と。

 

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こう書くのはちょっとだけ勇気が要るんだけど、すごく好きだった。僕は岡崎京子もよしもとよしともも魚喃キリコも好きだったわけであって、それがもう中年になってからこんなサブカルの匂いが詰め込まれた作品にグッとくるなんて、「思うツボ」すぎるじゃないか、と。


感動ポルノ、という言葉がある。ポルノを見て条件反射的に性欲を盛り上げるように、感動したいヤツが条件反射的に感動できるような要素を詰め込んだ作品を「安易だ」とバカにして言う悪口だ。どんなにありきたりでも、薄っぺらくても、感動のスイッチだけは用意されているので、騙されたい読者が勝手に騙される、みたいな。


それで言うと、「うみべの女の子」は「やさぐれポルノ」というか。繊細さを持て余した登場人物が、傷つけあうのを読んで、それに同情する。(読者である)自分の繊細さに酔う快感を、条件反射的に刺激されるだけのことでしょ、とも思わなくもない。


さて、言い訳はこのぐらいにして、「思うツボ」「やさぐれポルノ」とは思うんだけど、それでもやっぱり好きだった。泣けた。


「繊細さをこじらせて心を閉じた」男の子が、でもそれはただの思春期のテンプレートではなくて(そうかもしれないけど、でもそれと同時に)、歯を食いしばってツラく悔しい現実を受け止めようとあがいてる姿なのだ、と知る1巻の最後。


悪い方向に歯車が噛み合って、加速度を増してどうしても避けられない悲劇的な結末に向かう(ように見える)2巻の中盤から、それでもあっけなく運命から抜け出す2巻の終盤。


あんなにも苦しんで、どうしようもなく持て余してた自分の繊細さが、「でもそれってただの思い込みじゃん」で片付いてしまう。感情移入を誘っておいて、カタルシスまでは連れて行ってくれず、突き放してくる。おかげで、ずっと余韻が続くんだ。まったくもって、通勤前に読むのに向いてないよ。


5月21日(金)電話コンクールの準備が始まる

昨日、職場で。電話応対コンクールの研修を受ける。研修と言っても、「大会のねらい」「今年のお題の説明」なんかをまとめた講義のビデオを見る、というだけのものなんだけど。それでも、「大会」への準備が始まった感じはちょっとだけする。


僕はコールセンターのオペレーターを、アルバイトスタッフとして20年以上続けている。20年。なかなかに迫力のある数字だ。正社員になって、管理職に回るか、離職するかして、「20年間同じ会社で電話を取り続ける」みたいな人間はあまりいないんじゃないか。


それで、大変みっともないことに、「年下の正社員」に嫉妬してるんである。年下の正社員に管理される、評価される、注意される、みたいなことが面白くない。


もちろん以前から、そんなこともあるだろう、とは想像はしていた。だけど、想像の10倍ぐらいの濃さだった。「嫉妬、ひがみ、自分をみじめに思う気持ち」に、自分がこれほどまでにハマってしまうとは、想像していなかった。


例えば、給料。僕は思うんだけど、「お金」はつまり、「リスペクト」だ。会社はよく、「最前線で電話対応をするスタッフが一番大事」みたいなことを言う。「でも、だったら一番お金もらってないと、おかしいですよね」としか思えない。そして、40代も半ばになると、「リスペクトされない」ってことが身にしみてつらい。お金以外のことでリスペクトを感じることができるのは、一部の天才(それか「紙一重」の人)だけなんじゃないか。


さて、それで「電話コンクール」の選手に、半ば「ヤケ」になった気持ちで応募したんである(論理の飛躍)。「卑屈になってるよりは恥をかくほうがまだマシ」っていう話か。

 

「20年電話取ってる」って言っても、20年分応対がうまくなるわけではない。3ヶ月の新人と2年のベテランはさすがに実力が違うけど、3年と20年はあんまり変わらない気がする。


「コンクール」みたいな茶番劇に参加して、自分の卑屈が好転するといいな、とは一応思ってる。今までよりさらにこじらせる気もするけど、それはまあしょうがない。


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