鯖缶@3rd&forever

2児(娘8歳、息子6歳)の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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思考は繊細に、気持ちは鈍感に

 

昔職場(コールセンター)で。確か月間皆勤賞みたいなのの表彰(回覧板に名前が載るとか)が始まって、でも半年ぐらいでなくなったことがあった。


「事情があって休まなくちゃいけないだけなのに、皆勤賞とか見ちゃうとテンション下がる」的な意見が出て、それに対応して中止にした、というような説明があって、「めんどくさ」と思った記憶がある。


他人が褒められていると自分が責められているように感じる、あの感性。あるいは、他人が得をしていると自分が損をしているように思ってしまう。(正直言うと僕にもよく分かる)


例えば、飲み会で大皿にチャーハンが盛られていた時には、誰かがたくさん食べれば、自分の取り分は少なくなる。そこには損得関係がある。それに対し、「向こうのテーブルで、楽しそうに会話が盛り上がってる」時、「自分のテーブルが盛り上がってない」のは「向こうのテーブルのあいつら」の責任ではない。


だから、楽しそうにしているやつらに対する「限りのない嫉妬」は無駄でしかないんだけど、(その感情を認めたくないだけに)むしろ迫力がある。


「あいつが得してるおかげで僕が損してる」ケースと、「あいつが得してるのと僕が損してるのは関係ない」ケースと両方あるのに、ごっちゃにしてしまう。ようするに思考が雑。雑なら雑で「得してる」「褒められてる」と勘違いすればいいのに、どうしてか「損してる」「責められてる」という方向に針が振れてしまう。


この、「センサーの誤作動」的な「感情のムダ使い」で疲れてしまうのはまさに「やってられない」ところなんだけど、現代人の宿命みたいなものなのかもしれない。


「野生の鹿を猟銃で仕留めるためには五感を研ぎ澄ます必要がある。感傷が入り込む余地はない」みたいなテーマが村上龍の「愛と幻想のファシズム」では繰り返し語られて、僕もハンターに憧れるけど、とはいえ、まあ、狩猟生活は単なる憧れであって、実際にはコンビニ生活じゃないですか。コンビニで食料品を選ぶのに、五感を研ぎ澄ます必要はない。


五感をフルに使う機会のない僕らは、本物の自信を奪われてしまってる。それで、「ルールを決めて、時間限定で、死なないように」格闘技やスポーツをしたりして、それを応援したりする。面倒でウザいな、とも思うけど、「かわいそうで愛おしいな」とも思えなくもない。


何か、嫉妬を覚えるようなことがあったら、「センサーの誤作動が起きたか、かわいらしいことよ」と自分を眺めることにしてみよう。(我ながら、なんだこの結論は、とは思うけどこれでおしまい)

 

 

 

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)

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  • 作者:村上 龍
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1990/08/03
  • メディア: 文庫
 

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