友人の披露宴でスピーチを頼まれた10年前に、結構真剣に考えたけど歌わなかった替え歌のおめでとうソングが、歌ってないし誰にも話してすらいないのにめっちゃ恥ずかしくて叫び出しそうです。
— 鯖缶 (@savacanmemo) June 20, 2019
「風呂に入って後悔した人はいない」って、糸井重里が書いて、ここには「風呂に入るのすらすごく面倒に感じることがある」と「風呂に入った程度のことで自分の機嫌が劇的に回復することがある」っていう人生あるあるが詰まっていて、それを人生の心理のように決めつけて、言い切っちゃうところが面白い。
(※糸井重里の言葉は、「小さいことばを歌う場所」が出典らしいんですかど、僕もちょっと覚えていないです。実際には「風呂に入って後悔した人はいない」という格言風の言い方じゃなくて、「人に会うこと」を風呂に入ることに例えて、億劫だけど会ってみたほうがいい、みたいな話のようです。昔読んだはずなのですが細部は覚えていません。Amazonのリンク貼っておきます↓)
すでに陳腐化してるような気もするけど、「やらずに後悔よりやって後悔」みたいな言い方もよくある。「案ずるより産むがやすし」「思い立ったが吉日」の、語呂のよさ、言葉としての迫力もやはり健在にも思う。
何か面倒なこと、失敗が怖いこと、をやろうか迷う時に、決断を後押ししてくれる言葉が時として人を助けることはあるだろうから、その言葉が残り、伝わるのはなんとなくわかる。
「やらずにウジウジ悩むこと」には果てがない。雪だるま方式に借金が増えるみたいに、「ウジウジ複利」でウジウジが増殖していく。それはならば確かに、「そんなに悩むぐらいだったら、やってみたほうがいい」となりそう。失敗した悔しさ、恥ずかしさは複利式で増えたりはしない気がする。
でも、それとは別に、「あんなこと、やらなきゃよかった」「あんなこと、言わなきゃよかった」みたいな種類の後悔はいくらでもあって、忘れた頃に記憶の海面に顔を出してきて、その度にかゆいほど赤面させられる。冒頭に引用した僕のツイートみたいに、「頭の中から決して外に出していない替え歌」ですら恥ずかしい。
ならば、安易な決断や調子に乗った発言を戒めるようなことわざはないのな… あんまりない! 「思い立ったのは勘違い」とか「深夜のラブレター、届くのは真っ昼間」とか「恋はまぼろし、結婚は墓石」とか「安請け合いは安月給」とか。そういうのないのかよ。
まあ、ないのかも。「やっちまった」は避けられないから、「恥ずかしいこと」を受け入れて楽しむしかないか。とりあえず、「赤面は人生のスパイス」というダサい言葉を思いついた。大変恥ずかしいことに、ちょっとだけ気に入っている。