鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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電車で席を譲るのが苦手な件


「電車で席を譲る」ことが苦手だ。40代にもなって情けない話だけど、気後れして声を掛けるのが恥ずかしい。言い訳にならないだろうけど、「席を譲らずに自分で確保したい」っていうわけじゃなくて、「誰とも目を合わせたくない」のが実感に近い。


「無意識のうちに他人との関わりを避けてしまう一瞬」があって、「譲る気はあるのに、声を掛けるのが恥ずかしくて躊躇してしまう一瞬」が続いて、それで、「そんな自分を認めたくないから、最初から気づかなかったことにしてしまう」みたいな流れが続く、という。


なんでこんなことを半年前にツイートして、今振り返ってもう一度咀嚼し直しているかというと、「内向的な自分を瞬時に認められないこと」が問題をややこしくしてると思うから。あらかじめ認めて、そこはしょうがないと割り切っておけば、「クソのような葛藤の果てに気づかないフリ」はせずに済む。


タイミングが遅れるほど恥ずかしくなるので、なるべく早く葛藤は終わらせて、黙って立てばいい。タイミングよく譲れば、「あのー、よかったらどうぞ」とかも要らない。ていうか、タイミングが多少遅れても、黙って立てばいい。


さて、このように僕は自分の内向性を認め、「そこはしょうがない」と許した。この基本設定は、もはや僕の一部だし、死ぬまで治りそうもない。そこに過剰にこだわってしまうとロクなことにならないので、「引っ込み思案を前提として、その上でどうするか」を考えるということ。


この「苦手」を自分で認めてしまわないと、どうなるか。苦手な行為を強いている状況を攻撃してしまう気がする。「頼むから俺の前に立たないでくれよ」みたいな思いが、老人や妊婦への攻撃(的発言、態度)に結びついてしまう、というような。あるいは、「自分より先になんで席を譲らないんだよ」と周囲の人のマナーにやたら厳しくなってしまったり。もっとこじらせてしまうと、席を譲らなかった自分を自己弁護するために、席を譲った誰かを「なんで譲る必要なんてないのに譲るんだよ」と思ってしまったりするかもしれない。


さて、「苦手」とは言いながらも、実際には僕は席を譲ることができる。引っ込み思案とはもう30年も付き合ってる。完璧ではないけど、まあまあ克服してる。というかそもそも、僕は通勤時には最大15分しか電車に乗らないし、早起きして空いた電車で行くので(席がぴったり埋まる程度)、立ってもさほど不快じゃない。


でも例えば、通勤に80分かかる電車だったとしたらどうか。しかも満員電車ですし詰め状態だったとしたら。できる限り座って通勤したいと思うだろうな。そのつもりで始発になる駅のアパートを選んで、電車を2本見送ってから確保した座席だったとしたら、譲れるだろうか。


たぶん譲れないな、と思う。少なくとも、「最後に座った奴が譲れよ」とは絶対に思うだろう。そんな満員電車に、老人や妊婦が長時間乗る必要があるなら、むしろ積極的に譲る必要があるだろう。だから、「俺は譲らないぞ!」と声高に主張するつもりはない。でも、「そこで席を積極的に譲れるほど、できた人間じゃないでしょ」って、自分を認めておかないと、きっと周囲を責めてしまう気がする。自己弁護のために周囲を責めるのは一番嫌だな。


通勤とか、日常使うシチュエーションだったら絶対に「80分満員電車」は耐えられないと思うので、そもそも住む町か仕事を変えるかめっちゃ早起きするか、とにかくその状況自体を避けるようにしよう。でも、旅行が帰省のピークと重なってしまった新幹線とか、あるいは電車じゃなくて、「災害からの避難で炊き出しの列に並ぶ時」とかならどうか。


まあ、ちょっとわからない。でも、「そんな簡単に譲れないよね」と思ってたほうが、ヒステリックにならずに済む気がする。自分しか譲る人間がいなくて、譲るべき人が目の前にいるなら、渋々譲るんだろうか。あんまり自信ないな。本当は「半分こ」とか「交代で」とかならいいんだけど、それこそそういう交渉的なことは引っ込み思案でできそうもないけど。

 

まあ、「どうしても譲れない時」が来た時に罪悪感を軽減するために、自分に余裕がある時には譲っといたほうがいいかな、というのが暫定的な答え。

 

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