鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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麻雀仲間のこと


20代の頃、バイト仲間で麻雀が流行して、毎日のように打っていたことがある。夜勤で、男ばかりで、みんな未来への展望はなく、暇を持て余していた。麻雀でもやらないとやっていられない。


でも、就職したり、実家に帰ったり、バンドがちょっと売れたりして、みんなバイトをやめていった。僕はやめなかったけど、夜勤の「稼ぎ」よりも、早番の「生活リズムの安定」を選んだ。夜勤仲間とは当たり前だけど徐々に疎遠になった。


それで、気づくと麻雀を打たなくなった。打たなくなってみると、安心と言えば安心。あんなに時間を無駄にするものはない。一日中ずっとツモっては切り、ツモっては切りを繰り返してどこにも行き着かないなんて、正気の沙汰とは思えない。


でも、どこか寂しくはある。本当は、時間を無駄に使いたいんだ。少なくともその間は、「時間を有効活用しなくちゃ」みたいなプレッシャーフルな世界観から自分を解放させられる。たしかに、毎日のように打っていたあの頃はちょっと人生をナメてた。それは反省してる。でも、時々なら、人生をナメたような態度で過ごしたいじゃないか。

 

そんなようなことを思ってかどうかわからないけど、職場で後輩のT君が誘ってくれた(後輩と言っても、今は3つぐらい上の階級の上司だ)。当時の麻雀仲間で、比較的マシな腕(将棋で言えばアマ初段ぐらい?)の4人がいて、よく打ってた。その4人で卓を囲もう、と。


今までも度々、「今度打ちましょうよ」とは言ってくれていて「うん、そうだね」みたいなやりとりはしてたんだけど実際には集まろうともしなかったのに、今回は本当に集まることになった。僕はこのことがなんとも不思議。「飲みに行こうよ」って言って全然行かない世界と、実際に行く世界があって、そのパラレルワールド、「行く世界」と「行かない世界」の話。


普通、パラレルワールドの話を考えると、「ちょっとした違いがあったことによって、いじめっ子のビフが召使いになってたり、カジノ王になってたり、全然違う未来になる」みたいなことを思い浮かべる。でも、飲み会とか麻雀とかだと、「行く世界」と「行かない世界」に、見分けなんてつかない感じがする。実際には集まって麻雀打った方の現実にいるけど、あのまま麻雀を一生打たないままの人生があったとしても、まったく何も変わらない気がする。


その4人は、友達と言う感じではなくて、多分麻雀以外の理由で集まらないと思う。でも、相互に最低限の敬意を持っている。「礼儀」というほど立派なものではないけど、ある程度真剣に対局する相手がいないと、勝負ごとが面白くないことをお互いに分かっている。この「ゲームへの真剣さ」の度合いは、他人に強制できないから、同じぐらいの真剣さのレベルで遊べる仲間と出会えることは幸運だ。


麻雀に夢中になる程度には世の中のことをクソだと思っていて、でも丁寧に麻雀を打つ程度にはヤケになってない感じ。人に嫌われても別にそこまで気にしないけど、わざわざケンカを売ったりはしないし、どちらかといえば下手に出ることも多い、みたいな性格も共通していて、あまり気を使わずに済むのがいい。


実際に打ってみて、やっぱり麻雀自体はグズグズだったけど、少なくともまだ楽しいと思えることは分かって安心した。時間をドブに捨てて爽快だった。また何年後かに集まりたい。

 

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