寝坊の遅刻でも、なんかのミスでも、ちょっとした失言でも。人は多かれ少なかれミスするものだから、ミスした時に「普段一生懸命なあの人ならしょうがない」と思ってもらえるかどうかが重要っぽい。だから、「普段の当たり前の仕事に手を抜かない」というのは自分のためでもある。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月8日
で、ミスした人を「あの人なら仕方ない」と許せるかどうかも、日常の精神衛生に結構大きい気がしてる。「ごく小数の身内と、圧倒的多数の見ず知らずの他人」のなかで暮らして、「顔見知り、知り合い」が少ないと、他人のミスを許しにくくなるのかなと考えると、自分を含め現代人をかわいそうに思う。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月8日
僕はコールセンターで働いてるから、「他人のミスを起因にしたクレームについて謝る」ことは時々よくある。「頼んだはずの物が届いていない」「約束した時間が守れてない」とか。
そんな時「それ、僕が悪いわけじゃないのに」みたいなことは、あんまり考えないようにしている。職業倫理的な心構えではなく、もっと実践的な判断として。「僕のせいじゃない」みたいな態度は、一番お客をイライラさせるので、そう思うだけムダだからだ。
じゃあどう思うか。「僕という個人の人格で話しているわけじゃない。会社としての答えを話せばいい。それには謝罪も含まれる」というのが1つ。もう1つは、「自分のミスの尻拭いは、どこかで誰かがしてくれている」と思い出すことだ。
僕が入力を間違って、次の工程の人がその間違ったデータを元に取った行動でお客に大小の迷惑をかける。僕のミスが原因だけど、次の工程の人が謝ってくれている。もしくは、お客が怒るほどのことじゃない、と許してくれている。そして、そのことに僕は気づいていない。
自分のミスは、自分では取り返せない。なぜなら、気づいていないし、覚えていないから。だから、他人のミスの尻拭いをしている時は、「それを取り返すチャンスなんだ」と思えばいい。
自分が客の立場になった時も、そう思えばいいのにな、と思う。「仕事が遅い」「不機嫌そう」「順番を守ってくれなかった」とか、店員に腹が立った時に、「自分も気づいていないけど、誰かに許されながら働いてるんだ」と思い出せないだろうか。これは、「そっちの方が明るい世の中になる」みたいな話をしたいんじゃなくて、ただ単に自分の精神衛生上の話。そう思った方が、嫌な腹の立ち方にならないんじゃないか。
と、過去にも似たようなことは書いたのに、なんでこんなことを思ったり書いたりするのかと言えば、それが難しいからだ。他人のミスを許すのは難しい。自分のミスに気づくことが難しいのと同様に。
ネットを通じて、ものすごい数の「他人の失言や失敗」を目にする。迷惑行為や犯罪まがいの動画を見て、許す気持ちになるのは難しい。「この人も普段はしっかりしてる」「自分で気づいて今では反省してる」というニュースなんて、努力しないと見つからない。
そう思うと、「ストレスの原因をネットで増幅させてるのかよ、現代人よ」みたいなことを思う。多分、似たようなことをまた書く気がする。
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