鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る㉖(理想の話し相手かもしれない)

2023年6月某日 「どこが面白いのか」が分からないと訳せない

相変わらず映像翻訳の添削仕事をチマチマと。「この翻訳は、よくできてるな」と思うような原稿はめったにない。というか、まったく何も伝わってこない原稿ばかりで、心配になったよ(人の心配してる場合じゃないんだけど)。


それぞれのセリフをなんとなく訳しただけで、「やり取りの流れ」とか「作品としての面白さ」とかがロクに伝わってこない。もちろん、受講生の人が翻訳や課題をナメてるんじゃなくて、必死でやってるのかもしれないけど。でも、3番のセリフと10番のセリフが矛盾していたら、それはナメてるのと変わらない(「ストーリーの流れ」とか「人物の性格や情緒」とか「ユーモアのセンス」とか、いろんな矛盾がある。矛盾というか、つじつまが合ってない、というか)。


映像翻訳、どんな素材でも(広い意味で)エンタメなので、「どこが面白いのか」が分からないと訳せない。自分の好みじゃなかったり、未知のジャンルだったりしても、「面白さを味わうための周波数」を合わせられるとうまくいく(合わせられないとうまくいかない)。


セリフの面白さ、掛け合いの面白さ、キャラの面白さ、ストーリーの面白さ、などなどはそれぞれ相互補完的なものなので、「この素材はこういう面白さなのか」と腑に落ちてないと、解釈も推敲もピントが合ってこない、と思いながら添削してた。腑に落ちないものを、どうやって腑に落ちる状態まで持っていくか。そのパターンを多く持てると、スピードも質もあがるんだろう。


まあ僕も、受講生の心配をしてる場合じゃない。添削ぐらいでしか翻訳に触れてないんだから、シンプルに実力もやせ細ってきつつあるだろう。とは言え、今のところはしょうがない、とブツブツグルグルと自分を甘やかしながら過ごしてる。ゆるやかに諦めてるけど、ダラダラと諦めてない。なにもやってないよりはマシでしょ、と。


6月某日 最寄りのローソンを思い出した話

昨日の夜、娘が「ローソンどこにあるか知ってるか」と急に言い出して。ああ、そういえば思い出せない。ファミマとセブンは普段の行動経路に何軒かあるんだけど、ローソンは普段使う範囲にはないような…。


「駅の近くに1軒あるでしょ」と娘が言う。ああそうか、確かにあるかも。昔、ジブリ美術館のチケットを発券した気がする。「なら知ってるんじゃん」と返したけど、「あのローソン以外のローソンを知りたい」という。


思い出せないのでgoogleマップで調べてみると、行ったことのあるローソンが2軒あった。そうか、子どもたちが通っていた幼稚園の方角に1軒、娘が通っていた英会話教室(コロナ以降オンラインになった)の近くに1軒。


「あ、わかった、ありがとう!」と娘は喜んでて。僕もちょっと盛り上がる。普段、「ローソンに行かないこと」なんて意識しない。ローソンはなくても、ファミマやセブンはあるからだ。それで、「何回かは行ったことがあるけど、それを思い出せないでいるローソン」があったことを思い出して、なんとなく面白い。確かに覚えてるんだけど、普段使ってないから無に等しい記憶の存在が(大げさに言うと)いとおしい。幼稚園の方向、当たり前だけどもうほとんど行かないわけであって。


それで今日、学校から帰ってきた娘が「今月のおこずかい」を要求してきて。おお、そういえばおこずかいの日だったか、と小銭を子ども2人に渡したんだけど。それで、「ローソンに行ってくるよ」と。ランドセル置いたばかりなのにもう出かける、という。息子と娘の2人で出かけていった。


ローソンから帰ってきて、ようやくどうしてローソンに行きたかったのかを話してくれた。娘が好きなYouTuberのグッズ(アニメ絵のクリアファイル)が、ローソンでお菓子を何円か以上買うともらえるらしい。その情報を友達から聞いて、実際にゲットしてきた、ということ。


「友達は駅前のローソンでゲットしたんだけど、もうほとんど残ってないらしかったから、別のローソンがよかった」「お菓子レジで買って、ファイルがもらえますか、って言えたまではよかったんだけど、ファイルもらったらお菓子忘れちゃって、店員さんに呼び止められた」とか、めっちゃうれしそう。


うれしかっただろうな、と想像する。友達から情報を得て、自分も「欲しい」と思って、調べて(父親に調べさせて)、ゲットしてくる。ちょっとしたドラクエじゃないか。なんというか、おめでとう。

 

6月某日 理想の話し相手かもしれない

読んだマンガ。

「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」(マキヒロチ)…1~3巻。吉祥寺の不動産屋が舞台。吉祥寺に住みたいな、と部屋を探しに来たお客に話を聞いて、「それなら吉祥寺じゃなくて、この街がいいでしょ」と、別の街での暮らしを提案してしまうユニークな不動産屋さんの物語。いろんな街の紹介と、「住む場所を変える」っていうテーマで、訪れたお客の人生の一幕を読み切りで描く感じ。


不動産屋の重田姉妹(双子)、めっちゃいいな。「人生の節目に、こういう友達ほしいな」っていう憧れの話なのかも。お客の事情を踏まえるけど、同情したり、羨んだり、ジャッジしたりしない。部屋が見つかるまでの短い間、友達になってくれる、というような。


昔、部屋を探した時のこと思い出した(僕は人生で1回しかやったことないんだけど)。出せる家賃は最初に決めて、そこから先どうやって部屋を選ぶのかはすぐには思いつかなくて(考えたことなかったからね)。いろいろ考えた結果、「住む街の雰囲気」は重要だな、と思って。僕にとっては、「読書や執筆に使えそうな店がある」みたいなことはポイントだった(あまり意識してなかったし、恥ずかしくて不動産屋さんにそのまま伝えることもなかったけど)。


今だったら、どんな街に、どんな部屋に住みたいと思うかな。「海の近くに住んでみたい」とか「めっちゃ都会に住んでみたい」とかは思いつくけど、まあそれが本音なのかは自分でもよく分からない。実際その時になってみないと、具体的に考えるのは難しそう。


「どこに住みたい」って、自分の欲望(なりたい自分)を認めることだから、誰かに話したいけど、ちょっと恥ずかしい。そんな時、重田姉妹は、理想の話し相手かもしれない。

 


「ブルーピリオド」(山口つばさ)…7~10巻。6巻で藝大に受かって、7巻から10巻は藝大1年生の話。6巻までは「受験」というタイムリミットがあって、シロウトだったら八虎が絵描き修行をする展開は、スポ根のグルーヴが伝わりやすくて、マンガとしての快感がキャッチ―だった。なら、ある種の「燃え尽き」が生じる藝大合格後は、当然マンガとしても失速せざるを得ないんだけど。美術部、予備校の時は、「努力」でなんとかアートに食らいついていってたけど、大学に入って努力の方向を見失うフェーズを描く。


でも、それはそれでやっぱり面白い、というか。八虎の人物造形が秀逸なんよな。「チャラそうに見えてビビリ」「見栄っ張りだけど唐突に素直」みたいな。「過去の偉大なアート」とか「自分より才能がある同級生」とかとの向き合い方が正直なところがいい。「偉大とか言われても最初はピンとこない」「嫌われたり見下されたりするのは怖い」みたいな、「アート好きじゃない読者」でも共感できる性格してるのよ。


ところで、6巻までは主人公に自分を投影して(翻訳スクールに通ってたころの自分を思い出して)、感情移入してたんだけど、7巻以降は「うちの子が、美大に行きたいって言い出したらどうしよう」みたいな目線で読んだ気がする。


「受験のための絵画修行」だった6巻までは、「スタートが遅れたけど、やっと見つけたやりたいことだから、諦めるわけにはいかない」という点で、「30代の頃の僕と同じだ」みたいに読んでたんだろう。それで、八虎が大学に入って、作品作りのために試行錯誤して自己嫌悪して悪戦苦闘する7巻以降は、「やっぱアートって途方もないな」みたいなことで。ちょっと途方もなくて。僕自身が、今からその「途方もなさ」に立ち向かえる気もしないから、「うちの子が、途方もないことに挑戦したくなったらどうしよう」とか思ったのかもしれない。

 

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