鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る④(どこに行き着こうとしているのか)

2023年3月某日 どこに行き着こうとしているのか

「フラジャイル 病理医岸京一郎の所見」(原作:草水敏/作画:恵三朗)…4~8巻。無料公開は3巻までだったけど、課金して読んだ。1~3巻より、面白さが加速してる。主人公たちのキャラと、舞台設定がすでに伝わっているので、話の内容に集中できる感じ。どのエピソードも面白い。


「ウィッチウォッチ」篠原健太…5~6巻。こっちも面白かった。舞台設定とキャラの説明が必要な1~2巻ごろって、やっぱりちょっと味がクドくなることがあるかもしれない(読んでる時はそう思わなかったけど、後から振り返ってみると)。世界観の説明が終わって、飛び方が安定してくると、読んでる方も安心して楽しめる。けっこう尖ったギャグ(1話まるまる作中作のマンガにしたり、マイクラの絵柄で話を展開したり)もあると思うけど、センス自慢に感じずに油断して読めるのは相変わらず。


「ザ・ワールド・イズ・マイン」(新井英樹)…1~2巻。物語がどこから始まって、どこに行き着こうとしているのか、まったく分からない居心地の悪さ(主人公たちを応援していいのかどうかも決められない)。その気持ち悪さすら巻き込んで暴走する物語、みたいな出だし。まあ、すごい。


大変恥ずかしながらこの歳になるまで「ザ・ワールド・イズ・マイン」は未履修で。何度読もうとしても3巻ぐらいで脱落しちゃうんだよな。「知るか」みたいになって。だけど、数々の読み手たちがオールタイムベストに挙げてる作品だとは知ってるので、また読み始めてみた。Kindle Unlimitedに入ってたから、というきっかけなんだけど。


去年までは、TSUTAYAの月額コミックレンタルでマンガを読んでて。それに特に不満もなかったんだけど、どうしても「比較的新しい」「ある程度以上流行してる」ものが多くなる。Kindle Unlimitedの会員無料に含まれている作品がどういうラインナップなのかイマイチ理解してないけど、とりあえず「昔の作品」も読めるのは確からしい。(加入するサブスクって、ひょっとしたら定期的に変えた方がいいのかもしれない)

 


3月某日 感想をメモしたら単なるディスになることもある

「Dr.コトー診療所」(山田貴敏)…1~4巻。読んでみたら、「名作」とは違う感じ(なんとなく、「名作」のカテゴリーに入るのかと思ってた)。この主人公、魅力的なんですかね。「ナヨナヨして弱そう」「でも信念と度胸はあるらしい」「医者としてはスゴ腕」って、なんとも言えない「浅さ」じゃないですか? ストーリーも、絵も、「真に迫るもののなさ」がエグいことになってるじゃないですか。


…感想メモしようと思ったら、自分の想像以上にディスってしまった。でも、それでも4巻まで読み進めたわけで、つまらないわけではない。たぶん、ストーリーテリングのリズム感がウマすぎるんだと思う。「知りたいタイミングで、適切な情報量をぴったり知らせてくる」技術がすごいんじゃないか。「浅い」とか、ディスになってないでしょ。浅いからサクサク読めるんだからむしろ長所なんじゃないか(フォローになってない)。


「ライジングサン」(藤原さとし)…1~5巻。自衛隊に入隊して最初の訓練を受ける若者たちの群像劇。シンプルに面白くてグングン読める。僕は「愛国心を美化すること」にアレルギーがあるから、“自衛隊モノ”というだけで警戒して読むけど、警戒してる分、そのガードが外れればむしろ好きになっちゃうかもしれない。“未来の見えない若者がなんとか居場所を見つけようとして歯を食いしばる”みたいな構図にされちゃったら、嫌いになれないよね。


“自衛隊モノ”だから「安易に美化するなよ」みたいな気持ちにスイッチを入れられたけど、別にどんな職場が舞台でも、高校生の部活でも、子育てエッセイでも、なんらかの美化は働いてるはずであって。「美化」や「単純化」をしないなら、それって作品じゃないよね、みたいなことも思った。美化してないからと言って、真実が描けてるわけではないし、単純なトレードオフではないのかもしれない(メモだけ。いつかもうちょっと考えるかも)。


さて、翻訳仕事や家事の合間に、短めの気分転換として、タバコを吸うようにマンガを読んでるんだけど。あるいは、「酒とツマミ」みたいにして読んでる。「電子書籍で読む」という習性になると(つい最近まで食わず嫌いしてた)、「読みたいマンガが常に手元にある」という状態になるのがやっぱりちょっと新鮮。それで、今日は午後に「マンガ読みたいから、その合間になんかタスクないかな」という時間帯があって。「タスクをこなす時のツマミとしてのマンガ」ではなくて、「マンガを読む間のツマミとしてのタスク」というパターンもあるのか、と思った。こういう反転って、上手く使える場合とそうでない場合があると思うんだけど、どこでその差がでるのか。また気づいたらメモしたい。

 

3月某日 音合わせを真剣にできるか

娘の吹奏楽部の発表会。近隣の小学校5校での合同コンサートみたいなのに行ってきた。娘のクラブ、去年の夏よりもずいぶん成長していて驚いた。夏の時には、「一生懸命やってる」という感じだったのが、今日は曲に“表情”があった。抑揚を表現する技術が上がった、ということなんだろう。昨日から今朝にかけて娘は緊張してる様子で、本番でステージに上がって演奏を始めるまでも緊張してる顔だった。いいね。「うまくできるかも」って思えないと、緊張できないもんな。


夏の演奏会でもそうだったし、今日もそうだったこと。「上手い吹奏楽部は、音合わせがガチ」。娘のクラブは小学生らしく、「先生に言われてなんとなく音を出してるだけ」っぽいんだけど、隣の小学校(コンクールで金賞とか取るクラブ)は、ガチで音を合わせてるのである。


子どもたちが、音を出して、お互い聴き合う流れが、慌てずに慎重。パートのリーダーらしき6年生が、後輩の出す音の音程を確かめて何度もやり直させるのがなんかカッコいい。単純に、「やっぱり基本が大事」みたいな話なんだろうけど、目の前で見ると迫力あったな。


「音合わせを真剣にやる」って、演奏の技術が未熟でもできることなんだろうけど、やっぱり「出したい音、出すべき音」が自分で分かってないと、音合わせに真剣になるのって難しいんじゃないかな、と想像した。一流のアスリートが、トレーニング前後のストレッチを真剣にやるみたいなことか。「体の鍛え方、整え方」にイメージがない素人だと、なかなかストレッチを真剣にやるのは難しい気がする(面白くないし、なんとなくで済ませてしまいそう)。


先月のNFLスーパーボウルでは、AFCはチーフス、NFCはイーグルスと第1シードの本命同士の対戦だったんだけど。両チームとも、勝ちあがる過程でも「闘志」がすごかったのが印象に残った。スター選手のタレントも、層の厚さも、攻守のコーチングも充実してるのからもちろん強いんだけど、それに加えて、「絶対譲らない」みたいな気迫があって。その時、「気持ちを込めてプレーする」のは技術に関係なくだれでもできることのはずで、弱いチームこそまずは「気迫」からがんばれよ、とか思いつつも、やっぱり“王者になれるかも、なれるぞ”ってチーム全体が信じられるからこそ、それが闘志になってプレーに宿ってくるのかな、とか思った。


NFLに残れるような選手たちはみんな競争に勝ち残ってきた究極の負けず嫌いばかりのはずだから、どんな選手でも「負けん気の強さ」は持ってるはずなんだけど、やっぱり、「きっと勝てるだろう」と思える状態じゃないと、闘志を出すのって難しいんじゃないか。


あの、上手かった吹奏楽部の「音合わせ」は、たぶん本番だけじゃなくて、いつものルーティンでやってること、みたいな雰囲気があった。やることの流れがしみついている感じ。「音をしっかり合わせればいい演奏ができる」っていうイメージがあるから、真剣にできるんだろう、と想像した。


たぶん、普段の練習からやってることなんじゃないかな。そう思うと、「普段の練習から、ちょっとした基本をおろそかにしない」みたいなことが半年後には曲の完成度になって表れる、そんなことがきっとあるんだろう、とか思った。いやあ、いいもの見たよ。


それで、「僕もがんばろう」とか思うんだから、僕の思春期気分も抜けてない、というか。僕の場合は何だろう。「普段から誤字脱字に気をつける」とか、「知らない言葉と出会ったらすぐ調べる」とかかな。

 

 

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