2025年3月某日 不安にさせる言い方を絶対に選ぶマン
中1娘と小5息子の保護者会のハシゴ。同じ日にあったおかげで、中学校の方を早抜け、小学校の方を遅刻することになった。慌ただしかったけど、1日で用事が片づいた感じもある。
中学の方は「3学年合同」で1年の締めくくり、みたいな。「受験担当」の先生(進路指導主任、みたいな役職名かな)からのお話もあったんだけど。もう僕は、その先生(仮にM先生とします)のことが嫌いになった。嫌いになったというか、元から嫌いだったことを、ついに今日自分でもはっきりと認めた、というか。
「相手を不安にさせることで、コントロールしようとする」考え方のクセが、しみついちゃっているところが嫌い。そういうのって、言葉選びに表れてくるじゃないか。僕には分かる。2つの言い方がある場合に、このM先生は必ず相手を不安にさせる方を選んでる。それが当たり前になりすぎて、自分でそのことに気づけなくなってる。
例えば。「安易に選択すると後悔することになる」みたいな言い方。私立の推薦入試が日程的に最初にあるから、早く安心したいという心理が、受験生や保護者の私立志望を後押ししがち。私立高校の授業料無償化と言っても、授業料以外にもお金はかかる。校舎や設備がきれいでも、高校のカラー(カルチャー)が自分に合ってなければ苦しむことになる。自分にとって何が大切かは慎重に考えた方がいい、という話。まあそれはいい。
その話をテコにして、「安易に選択すると後悔することになる」って強調するんだけど、その論理、実は飛躍してません? 「早く安心したい」も、「授業料無償化」も、全然小さくないファクターなわけで、「安易な選択」かは分からない(人による)でしょ。「後悔」もそう。どんな選択をしたって「後悔」はあり得るわけで。安易な選択をしたからと言って、「後悔」するかどうかは場合によるはず。
「安易に選択すると後悔することになる」と、同じことを伝えるにも、他の言い方ができる。「どんな選択にもメリットとデメリットがあります。進学してから気づくこともあり、選択を後悔することもあるでしょう。でも、納得いくまで考えた上での後悔であれば、それは今後に生かせると思います。情報や不安に振り回されず選択できるよう、子どもたちを支えていきましょう」とか?
他には。「私立高校の推薦入試の場合、1、2年でも遅刻・早退・欠席が多いと不利になりかねない」という情報を伝える時に、「“生活面を適当にしてる子なんか要らない”と高校は考えるんです」という言い方で伝える。これもひどいよ。実際に、学校をナメてるから欠席や遅刻が増えるかなんで分からない(人による)でしょ。
学校を休みがちな子ども、時間を守るのが苦手な子ども。その親たちが、どれほど心配な気持ちで接しているか。「甘やかしすぎたかも、厳しく言い過ぎたかも」って、日々悩みながらもなんとか見守ってるわけでしょ。それをさ、一律「生活面を適当にしてる」と決めつける言い方をしなくてもいいじゃないか。それに、「要らない」ってなんなんだ。「合格・不合格」を超えて、「要る・要らない」を言ってくるほど、高校受験って偉いんですか?
高校受験の現実が厳しければ厳しいほど、受験失敗のダメージがデカければデカいほど、中学の「進路担当」という自分の役職も価値も大きくなる、みたいなストーリー。それを自作自演して勇者気取りしてるんだ。
M先生、嫌い。1学期と2学期にも話を聞いたんだけど、その時は中3の「進路説明会」に、中1・中2の保護者もオブザーブ参加できるという機会で。その時は「中3の生徒と親を相手に説明する」という文脈だったので、「”受験ナメんな”という喝入れのための演技」だったのかな、と思って「先生も大変だな」ぐらいに思ってたんだけど、今日は違う。1年の締めくくりで、生徒がおらず親だけを相手に、「進路関係の報告」という文脈だから、意味合いが全然違う。この文脈で”受験ナメんな”という態度を貫いてるのは、敢えてやる演技ではなく、”ホンモノ”ってことでしょ。「人を不安にさせる言い方」のフィルターがのどの奥に内蔵されちゃってるんだ。「2種類の伝え方があったら、相手を不安にさせる方を絶対選ぶマン」だからこその完成度。神よ、哀れなM先生をお赦しください。
夜、妻にも僕がいかにM先生の話がイヤだったのかを共有して。親として、子どもを不安にさせてコントロールしようとする態度をやめよう、と話し合った。そんなのは学校だけで十分だ。人生のなかで、合格・不合格は避けて通れないけど、不合格は単なる不合格であって、そこで終わりじゃないよ。そこから学べばいい、とか。
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