2025年3月某日 ツラすぎて笑うしかない
Kindle Unlimitedの「まんがで読破」で名作のマンガ版を読んでから、青空文庫で原作を読む流れ、まだ続けている。あらすじや登場人物を理解してた方が、文を読んでる途中で迷子にならずに、集中力が途切れない、というシンプルな話なんだけど、これが案外悪くない。
読みました、「蟹工船」。これ、めちゃくちゃ面白かった。助かったよ、小林多喜二。あんたのおかげで、僕にもまだ「文学を味わう心」が残っていたことを実感できた。ものすごく面白かった。
僕には、面白いものに出会うと「不条理コントみたい」と形容してしまう癖があるんだけど、この作品もそう思った。というか、これこそ不条理コントでしょ。「蟹工船」の労働環境が地獄過ぎる。それでも、そんな地獄ですら受け入れようとしてしまうのが人間、というか。「ツラすぎて笑うしかない」「寒すぎて笑うしかない」というような。
僕が思わずメモした一文(下記太字が引用部です)。
毎日の残虐な苦しさが、何か「英雄的」なものに見え、それがせめても皆を慰めさせた。
と。これは、ロシア人は時間が来たら仕事を終わらせてしまうが、日本男児たるもの、10時間で終わり、13時間で終わり、ではなく、蟹が獲れる限り働き続けろ、というようなことを監督者から言われて、蟹工船の労働者たちが思わず「そうかもしれない… 日本… 最高…」と思ってしまう文脈で出てきた一文なんだけど。
人間と言うものは、痛みに耐えようとする時に、「この痛みには意味がある」と、自らを騙そうとしてしまうものなんじゃないか。21世紀になって、僕が働いている環境は、「蟹工船」を10000倍希釈したような、まるで天国のような地獄だけどさ。この、地獄を受け入れようとする弱さ(もしかしたら強さ)、地獄に意味を見出してしまう愚かさ(もしかしたら賢さ)、身に覚えがありすぎる。
上司が無能すぎれば、「この環境に耐えれば成長できる」、お客に嫌味を言われれば、「誰かが受け止めるべきなんだから、この仕事だって世の中に貢献してる」などと自分に言い聞かせる。クソな仕事のクソな現実を変えるよりも、それを受け入れることばかり得意になる。自分も、このクソな現実を作ることに加担してるじゃないか、と思うのも面倒な無力感。その濃密な原型が、「蟹工船」に描かれているじゃないか。
ほとんどの登場人物たちが、名前を持たないモブとして描かれてるのも演劇的。有名な冒頭部を引用しておこう(下記太字が引用部です)。
「おい地獄さ行ぐんだで!」
二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹をすれずれに落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。
ほら、面白い。冒頭の「おい地獄さ行ぐんだで!」から、誰が誰に言ったセリフなのか分からなくないですか。わかるのは、「地獄」に行くらしいこと。それなのに妙にテンション高いようにも思える。その後も、労働者の罵倒、ため息、愚痴、叱責などのセリフが、誰が誰に言ったのか判別がつかないのが、妙にクセになる。
感情移入すると言うより、昆虫の生態を描いたドキュメンタリーを、BGMなしで見てる感じ。ソリッドな演出で描かれた光景が、悲劇にも喜劇にも見える。やっぱり、不条理コントでしょ。
ところで、僕は「蟹工船」を「プロレタリア文学の金字塔」みたいなキャッチフレーズのせいで、逆に食わず嫌いしてた。「啓蒙されたくないんだよ」みたいな反発があったのかもしれない。実際、ストライキに至る流れやその顛末みたいな終盤はそれほど面白くないな、とすら思ったんだけど。「作品の歴史的価値」を抜きにしてシンプルに小説として引き込まれたので、もはや別にいいんだけど。
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