2025年2月某日「3年が限界かなあ」
朝。出勤前の妻が、「今の職場にいるのも、3年が限界かなあと思ってる」と漏らしていて、ちょっと心配。去年の夏に転職して、今の職場で働き始めて、ちょうど半年ぐらい。
「やりたかった仕事だし、仕事内容は実際面白いんだけど…」と言葉が詰まる。上司にモラハラ傾向があるらしい。妻や特定の誰かが標的になってるということではなく、ランダムにちょっとしたピリつきが発生するみたいなことか。人数の少ない会社で、愚痴を言い合えるようなタイミングがないのも息が詰まる、と。
「まあ、そういう人とは距離を取るしかないしね」とだけ返して。「そうなのよ。本当に辞めるかはともかくとして、辞めるつもりでいた方が気が楽っていうか」と言っている。なるほど、そうかもしれない。3年後に辞めるつもりで、とりあえずあと半年頑張ってみる、というようなことを言っていた。
僕が思っていたのは、「家族のことを誰かに自慢するな」という格言である。どういうことか。例えば、子どもが中学受験をして、有名校に合格したとする。そのことをあまり自慢してしまうと、「自慢の子どもであってくれ」というような「欲」が働いて、判断が鈍ってしまうということ。「子どもにとって何がいい選択か」だけ考えればいいのに、「自慢の子ども」から外れる選択肢を選びにくくなったり。子どもの失敗を許せなくなったりする。
「妻の転職を自慢してなくてよかった」と思った(自慢話をする相手が特にいなかっただけなんだけど)。そう思いながら同時に、「ああ、僕は妻の転職を自慢に思ってたんだな」とも気づいた。40代になっても勉強をやめずに、希望の職種で正社員に。夢のような話じゃないか。その夢に、僕も貢献していると思えば、僕のみじめさもちょっとは救われる、みたいな感慨を自分に許していたらしい。
それはちょっと違うかな、と思った。妻の努力は妻のものだ。妻が努力の結果得たものをムダにしてしまっても、僕が「もったいない」と思う必要もないだろう。辞めろとも辞めるなとも言わずに、妻の出した決断を支えることにしておこう。
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