2025年2月某日 覚えといた方がいいのか、忘れた方がいいのか
職場で、デキない後輩キャラのEさんに、世話好きのBさんが「傷病手当金」について教えていて。曰く、「病気やケガで仕事を一定期間休んだ場合に、受け取れなかった給与の2/3が支給される制度」があり、結構昔の分でも申請できるから聞いてみた方がいいよ、というような。
その話を聞いて、「僕も去年の8月にコロナで休んだよな」と思い出して、社内のFAQを調べてみた。確かに、申請は2年以内と書いてある。というか、このページは見たことあるぞ。去年も復帰したタイミングでチェックしたじゃないか。
もう一度読んでみて、「休みの4日目以降が支給対象」という説明を見つけた。「そうそう、この説明見た。僕がシフトを休んだのは3日だけだから、申請できないんだった。覚えてるわ」と、安心し直したんである。
申請できないのに安心したとは、どういう心境なのか。「本当なら申請できるはずの給付金を、気づかずにスルーした間抜け野郎じゃなかったぜ、オレは」ということなんだろうけど。お金がもらえなくて喜んでるんだから、もうその精神性自体が間抜け野郎じゃないか。まあいずれにせよ、もらえないものはしょうがない、とページを閉じようとしたその瞬間。なんか「イヤな予感」がして。もう一度吟味し直すことにしたんだけど。
社内のFAQではなく、そこにリンクのあった健保組合のホームページを読んでみた。すると、どうやら申請できそうである。どういうことか。僕は、月~土の6日間がコロナ発症の出社停止期間だったんだけど。そのうち月・火・土は「シフト上もともと休み」で、割り当てられた出勤日で休んだのは水・木・金の3日間。で、「休みの4日目以降が支給対象」の意味なんだけど、「もともと休み」の月・火も含めて月~水を「待期期間の3日間」として、木曜が4日目、とカウントする、らしい(4回読み直した)。だから、僕は木・金の2回分の休みが、手当支給の対象になる。2年前までさかのぼって申請できる、とも確認。
マジかよ、申請できるっぽいな。反射的に「めんどくせ」って思って、「気づかないフリ」で5回ぐらい画面を閉じそうになったけど、気づいちゃったんだからもう遅い。画面を閉じても記憶は消せない。
手続きに必要な作業そのものが面倒なのではなく、自分の要求を伝える時の心理的な障壁を突破するのが面倒、というか(それを含めて「作業」なんだろうけど)。
「心理的な障壁」? その時の心境を思い出しながら自分で呆れてるんだけど、要するに自意識過剰なんである。「コイツ、休んだ上にカネが欲しいのかよ」と思われたくない。「手当が申請できることに気づいてなかったなんて、とんだお気楽野郎ですね」とかも。「そんなこと思う奴いないし、思ったとしても言ってこないし、言ってこなければ考えるだけムダ。というか、そんなこと思う方がおかしいんだから、ほ放っておけよ」と、頭では理解できるんだけど、どうしても本能的に腰が引けてしまう。
「要求すること」が苦手すぎて、それを避けたいがために「諦める言い訳」をつい探してしまうんである。挙句、「お金を欲しがるなんて、はしたない」とか、なんとか「何もせずに済む世界」に住める方向性を探してしまう。いやあ、「はしたない」というような性質のお金じゃないでしょ。ていうか、48歳にもなって「はしたない自分になりたくない」のはむしろ、甘えんぼでしょ。はしたなくあれよ、と
結局。3分間ぐらい逡巡して、「諦めるための言い訳」は特に見当たらなかったので、申請させていただくことにしましたよ、と。そう決まれば実はそれほど面倒ではなさそう。直属の上司に、「これって総務のOさんが窓口ですよね? メールしていいですか?」と確認。連絡してから、直接出向いて書類をゲット。
担当医師に書類を書いてもらうのか。オンライン受診だったから、病院に出向けないんだけどどうするんだ? でも、こんな書類どうせたくさん処理してるでしょ、と帰宅後に調べてみたら問い合わせフォームがあって、そこから依頼すればいいらしい。
ほら、大して面倒じゃなかったじゃん、というのが今日の結末なんだけど。「これってひょっとして僕も申請できるんじゃね?」と気づいてから、「めんどくさいから諦めよう」という心の動きがちょっと気持ち悪くて、そこで疲弊するの無駄すぎないか、とは思った。この心の流れ、覚えといた方がいいのか、忘れた方がいいのか、今のところ決められないでいる。
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